なぜ抽象思考に差が?|統合が生む“生きる力”

人によって、抽象的に考える力には違いがあります。
それは、どんなふうに育ってきたかや、考え方の癖によって変わるからです。
見えないことを想像して、物事をつなげて考える力は、人とわかり合うことや、人生をよりよく生きるための大切な力です。
今日は「なぜ抽象思考に差が?|統合が生む“生きる力”」と題して、抽象思考について考えます。
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●なぜ抽象思考に差が?|統合が生む“生きる力”
○なぜ抽象思考に差が?
抽象的思考能力に個人差が大きいのはなぜですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13313663158)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
目に見えるモノしか信じられない人は、具体的なことだけで物事を判断しようとします。
それにどれだけ、目に見えないモノを併せて考えることができるかの度合いに応じて抽象度が上がっていくので、個人差はその度合の大きさということになります。では、その度合いはどうやって差がついていくのか?
結論から言えば、育ってきた環境、経験してきた状況、そしてそれに対する思考の癖が大きく関係しています。たとえば、子どものころから「なぜ?」と考える習慣があった人は、自然と目の前の事象だけでなく、その背後にある背景や目的、意図を想像しようとします。
たとえば、「なんでだと思う?」という質問をされて育った子と、そうでない子では、抽象的思考の差は生まれやすいかもしれません。常に「これはこういうものだから」と言われて育った子は、目の前の情報にだけ注意が向きやすく、そこから飛躍して考えるという訓練がされません。
また、学校教育も影響しています。日本の教育は基本的に「正解を当てる」ことを重視してきた歴史があり、その結果、正解がない問いに対して自分なりの答えを出す訓練があまりなされていない人も多いのです。そうすると、「具体的なもの=正解があるもの」には強いけれど、「抽象的なもの=答えがない、見えないもの」に対して苦手意識を持ってしまいます。
さらには、情報処理のタイプによっても差が出ます。視覚的な情報に強い人、聴覚的に理解する人、感覚的に捉える人など、人間の脳はそれぞれ得意な情報処理の仕方があります。抽象的思考というのは、視覚や聴覚などを超えて、概念を組み合わせて意味を見出す必要があるため、複数の認知的スキルを駆使する必要があります。こうしたスキルに差があることも、抽象的思考力の差につながっているのです。
つまり、「見えないものを見ようとする力」は、一朝一夕に身につくものではなく、日々の思考習慣の積み重ねからできています。そして、それを支えるのが「想像力」であり、経験と結びついた「内省」の力なのです。抽象的に考える力とは、単なる知識量ではなく、「考える角度の多さ」と言い換えてもいいかもしれません。
◯他者と共に生きる力
抽象的に考える力はとても大切なことだと思います。
抽象的に物事を考えることができるということは、目に見えない相手の思いや考えに思いを馳せることができるということだからです。
人間関係において、目の前に見える言葉や態度だけで相手を判断してしまうと、どうしても誤解が生まれやすくなります。たとえば、上司が部下に「もっと頑張れ」と言ったとき、その言葉だけを受け取って「プレッシャーだ」と感じる人もいれば、「成長を期待されている」と受け取る人もいます。この違いは、言葉の奥にある意図をどれだけ読み取れるかにかかっています。
抽象的思考ができる人は、「言葉の意味」だけでなく「その背景」や「状況」「文脈」を踏まえて解釈することができます。これは、コミュニケーションにおいて非常に重要な能力です。なぜなら、ほとんどの誤解やすれ違いは、この「背景の読み取り」ができていないことで起こるからです。
また、抽象的思考は創造性とも密接に関係しています。具体的な事象をいくつか組み合わせて、そこから新しい法則やパターンを見出す力こそ、抽象的思考の真骨頂です。たとえば、「リンゴが木から落ちた」という具体的な現象から「万有引力」という抽象的な概念を導いたニュートンのように、発明や発見の背景には必ず抽象的な跳躍があります。
さらに、抽象的思考は「他人との違い」を受け入れる土壌にもなります。自分とは異なる価値観や文化、立場を理解するためには、その人の背景や意図を想像する必要があります。「こういう考え方もあるのか」と受け止められる柔軟性が、実は抽象的思考から生まれているのです。
だからこそ、抽象的に考える力は、単なる思考技術ではなく「他者と共に生きる力」でもあるのです。日常の中で、相手の言葉や行動をただ受け取るのではなく、その背後にあるものに目を向けてみる。そんな小さな習慣の積み重ねが、大きな人間力の差を生んでいきます。
◯統合が生む“生きる力”
物事は、具体的にすればするほどバラバラ(別々)になっていきます。それらを分けずに「ひとつ」のモノとして捉える力が抽象的思考です。
「私」が生まれた時、この世界は「ひとつ」だったはずです。なぜなら、「私」が何も知らないからです。
「私」に名前がつき、名前を呼ばれるうちに「私(名前)」と「私以外」に具体的に分けられたのです。生まれて時間がたっていくと、モノにはすべて名前があることを知り、名前を覚える度に世界はバラバラになりました。
世界はどんどん具体的になっていき、目に見えるモノと見えないモノに分けられ、目に見えるモノの方が現実的であり、重要度が高いような錯覚を起こすようになったのです。
でも、本来はそのすべてがつながっているものです。抽象的に考えるとは、ばらばらになったものを「もう一度、つなげ直す」力なのかもしれません。「成功」と「失敗」も、「良い」と「悪い」も、「光」と「影」も、切り分けるのではなく、対になって存在していると捉えることができたら、人生そのものの見方も大きく変わっていきます。
つまり、抽象的思考とは「統合の思考」とも言えます。たとえば、「AとBは違う」ではなく、「AとBには共通点があるかもしれない」「AとBは実はCという背景でつながっているかもしれない」と考える発想です。この発想ができると、目の前の問題に対しても柔軟にアプローチできるようになり、「こうでなければならない」という縛りから解放されていきます。
哲学や宗教、アートや文学が抽象的なのは、それらが「世界を一つのまとまりとして見ようとする試み」だからです。そして、そこにあるのは「意味」を求める心です。抽象的思考は、「意味をつくり出す」力でもあります。意味のない出来事に意味を与えることができた瞬間、人はどんな逆境からも立ち上がることができます。
だからこそ、抽象的思考は「生きる力」そのものなのです。物事を結びつけ、統合し、新たな視点を持つことで、混沌とした世界を「意味あるもの」として受け止めることができる。これほど人生にとって力強い武器はないのではないでしょうか。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●今日のまとめ
今日は「なぜ抽象思考に差が?|統合が生む“生きる力”」と題して、抽象思考について考えました。
○なぜ抽象思考に差が?
目に見えるモノしか信じられない人は、具体的なことだけで物事を判断しようとします。
それにどれだけ、目に見えないモノを併せて考えることができるかの度合いに応じて抽象度が上がっていくので、個人差はその度合の大きさということになります。では、その度合いはどうやって差がついていくのか?
◯他者と共に生きる力
抽象的に考える力は、単なる思考技術ではなく「他者と共に生きる力」でもあるのです。日常の中で、相手の言葉や行動をただ受け取るのではなく、その背後にあるものに目を向けてみる。そんな小さな習慣の積み重ねが、大きな人間力の差を生んでいきます。
◯統合が生む“生きる力”
抽象的思考は「生きる力」そのものなのです。物事を結びつけ、統合し、新たな視点を持つことで、混沌とした世界を「意味あるもの」として受け止めることができる。これほど人生にとって力強い武器はないのではないでしょうか。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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