愛は虚しいと思うのはなぜ?|広い視野で愛を捉えると虚しさが消える

愛は虚しいと感じるのは、狭い範囲でしか愛を捉えていないからかもしれません。
広い視野で愛を見直すと、つながりや助け合う温かさが見えてきます。自分で生きる意味を作ることも大切です。
苦しみや虚しさを感じたときは、視野を広げ、愛や人生の意味を自分で見つけることが大切です。
今日は「愛は虚しいと思うのはなぜ?|広い視野で愛を捉えると虚しさが消える」と題して、愛は虚しい?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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そして、
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奇跡を感じている
くろちゃんです。
●愛は虚しいと思うのはなぜ?|広い視野で愛を捉えると虚しさが消える
○愛は虚しいと思うのはなぜ?|広い視野で愛を捉えると虚しさが消える
愛って虚しいですよね、と言いましょうか、そもそも存在しないような。
極端に言えば、女は男に(自分の幸福と将来と家庭の暮らしを保障するための)金づるに、男は女に(自分の能力を誇示し、たまに抱いて安らぎとリラックスを得るための)着せ替え人形になることを求めます。
それを愛という綺麗ごとで包んでいるとしか思えません。
別にそれらを非難しているわけではないです。
ただただ愛って虚しいし、かつ自分の人生も虚しいし、ひいては自分を含む人間って哀れな生き物だと感じています。
もっと言えば地球上のすべての生物は生まれた瞬間から死ぬまで何かしらの苦痛に耐えながら徐々にかつ確実に死に近づいていきます。生まれること自体、罰ゲームなのかも知れません。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10303569415)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
男と女の愛(恋愛)は、愛の一部です。家族愛、人類愛、愛国心。どれも愛の一部です。
愛の一部とは、どういうことか?というと、愛には違いないけれど、その愛を特定の対象に向けているということです。つまり、別け隔てがあるのです。特定の異性への愛、自分の家族への愛、自国を愛する気持ち、愛には違いないけれど、自分が愛する対象とそうでないものへの愛に差があるのです。
本当の愛とは、それら全部を含めた大いなる存在(感情・感覚)、別け隔てのない愛のことを「愛」というのだと思います。
この観点から考えると、恋愛や家庭における愛が「虚しい」と感じるのは、狭い範囲での愛に閉じ込められているからではないでしょうか。
しかし、全ての愛はつながっていて、異性への愛も、その一部として広い視点で捉えることができます。
たとえば、恋愛や結婚におけるパートナーシップは、個人的な利益や幸せの追求を超えて、他者と共に成長し、支え合う関係を築くための一つの形だと考えることができます。
狭い意味での愛が虚しいと感じるなら、もっと広い視野で愛を捉え直し、他者とのつながりを見つめることが、虚しさを解消するきっかけになるかもしれません。
◯苦しみがあるからこそ愛が光る
地球上のすべての生物は生まれた瞬間から死ぬまで何かしらの苦痛に耐えながら徐々にかつ確実に死に近づいていきます。生まれること自体、罰ゲームなのかも知れません。
質問文より
これは「生老病死」のことで、確かにその通りだと思います。
しかし、だからこそ、ほんの少しの愛や、優しさ、思いやり、人間の健気さなどに、人は癒やされ、救われ、生きていけるのだと思います。
愛が虚しいという考え方は、どうせ死ぬのに頑張る意味はないと言っているのと同じことです。
そういう考え方をすることも個人の自由です。しかし、その考えは誰でもない自分を苦しめると思うのです。
そこには「苦」しか残らないからです。あまりに救いがないと言わなければなりません。
私たちは、苦しみの中で何を信じ、何を大切にして生きていくかを選ぶことができます。
人はみんな、少なからず苦しみを抱えています。ですが、その苦しみの中にあっても、他者と分かち合う温かい瞬間や、助け合う関係が、私たちの心を支えてくれます。
苦しい経験があるからこそ、他者と分かち合う瞬間が温かいのです。
虚しさを感じるときは、自分の中にある愛や優しさを少しでも他者に向けてみることで、心のバランスを取り戻せるかもしれません。
小さな優しさや思いやりが、虚しさの中に光を灯す瞬間になるのです。
◯生きる意味は自分で作る
虚しさや無意味さを感じるのは、私たちが「生きる意味」を他者や環境に求めているからかもしれません。しかし、私たちは本来、意味を見出す力を自分自身の中に持っています。
たしかに、地球上の生物は生まれた瞬間から死に向かって進んでいきます。ですが、それを「罰ゲーム」だと考えるか、何かしらの意味を自分で創り出して生きるかは、私たちの選択です。
人生の虚しさに対する答えを外部に求めても、それは満たされないかもしれません。むしろ、自分自身でその意味を見つけることが、虚無感を乗り越える力となるのではないでしょうか。
生まれたこと自体に意味を見出せないとしても、自分の行動や選択に小さな意味を付け加えていくことは可能です。
たとえば、他者との関わりや何かに貢献することに、自分なりの意義を感じられる瞬間があるかもしれません。
生きる意味は他者から与えられるものではなく、私たち一人ひとりが、その都度作り出すものです。愛もまた、単なる感情ではなく、自分の行動や他者との関わりの中で育まれるものです。
虚しさを感じたときこそ、自分がどんな価値を持ちたいのか、どんな意味を作りたいのかを問いかけ、少しでも自分なりの答えを見つけていくことで、人生は変わっていくはずです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●愛は虚しいと思うのはなぜ?|広い視野で愛を捉えると虚しさが消えるのまとめ
今日は「愛は虚しいと思うのはなぜ?|広い視野で愛を捉えると虚しさが消える」と題して、愛は虚しい?について考えました。
○愛は虚しいと思うのはなぜ?|広い視野で愛を捉えると虚しさが消える
男と女の愛(恋愛)は、愛の一部です。家族愛、人類愛、愛国心。どれも愛の一部です。
愛の一部とは、どういうことか?というと、愛には違いないけれど、その愛を特定の対象に向けているということです。つまり、別け隔てがあるのです。特定の異性への愛、自分の家族への愛、自国を愛する気持ち、愛には違いないけれど、自分が愛する対象とそうでないものへの愛に差があるのです。
○苦しみがあるからこそ愛が光る
人はみんな、少なからず苦しみを抱えています。ですが、その苦しみの中にあっても、他者と分かち合う温かい瞬間や、助け合う関係が、私たちの心を支えてくれます。
苦しい経験があるからこそ、他者と分かち合う瞬間が温かいのです。
○生きる意味は自分で作る
生きる意味は他者から与えられるものではなく、私たち一人ひとりが、その都度作り出すものです。愛もまた、単なる感情ではなく、自分の行動や他者との関わりの中で育まれるものです。
虚しさを感じたときこそ、自分がどんな価値を持ちたいのか、どんな意味を作りたいのかを問いかけ、少しでも自分なりの答えを見つけていくことで、人生は変わっていくはずです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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