深刻になる必要がない|今を生きることにくつろぎましょう
すべてが決まっていて、それがわかっているとしたら、たとえ悪いことが起こるとしても受け入れる準備は出来ます。
わからないから、なんとか出来ると思ったり、そのことで悩んだりします。
一番わかりやすいたとえが、”死”です。
もし、一年後に死ぬことがわかっていたら、最初は別としても、どこかでそこに向かって残りの時間を生きようとするでしょう。
死以外のことだって同じなんです。
今日は『深刻になる必要がない|今を生きることにくつろぎましょう』と題して、今を生きることにくるろぐことについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
深刻になる必要がない|今を生きることにくつろぎましょう
すべては世界のはじまりから決まっていた
すべては決まっているという話をよく書きます。
もちろん、だからといって、決まっていることが分かるわけではないので感覚的には、自分が行いを変えれば結果が変わると思ってしまいます。
仏教でも縁起論とか、因果の道理といって、原因があって結果があると教えられます。
もちろん、これも正しいです。
では、”決まっている”というのは、どういうことかというと、原因も結果もセットで決まっているということです。
考えてみればわかるのですが、原因だってもともと何かの結果だったわけです。
その結果には原因があって、その原因ももともとは何かの結果で、と遡っていくと、世界のはじまりに行き着くわけです。
『私』たち、ひとりひとりは、そのたくさんある結果のひとつひとつですよね?
つまり、『私』たちだって、ひとりひとり遡っていけば世界のはじまりに行き着くわけです。
お釈迦さまが実際に言ったのか?それとも手塚治虫の思想なのかはわかりませんが。
手塚治虫の著書『ブッダ』で、お釈迦さまは『この世のあらゆる生き物はみんな深い絆で結ばれている』と言いました。
ワンネスという、すべてはひとつのもので出来ているというスピリチュアルな思想もあります。
物理学では、物質の基本的な最小単位は弦(ひも)のようなものであるという『超ひも理論』という仮説もあります。つまり、『私』も目の前のテーブルも最小単位の要素は同じ弦(ひも)のようなものだとする仮説です。
表現は違いますが、スピリチュアル(精神世界)もサイエンス(科学)も似たようなことを言っています。
原因に応じた結果があるということを信じるならば、すべては世界のはじまりから決まっていたということになるのです。
深刻に考える必要がなくなる
すべてが決まっていると頭で理解しても、それが事前にわかるわけではありませんから、起こる出来事にハラハラしたりドキドキしたり、喜んだり、悲しんだりしてしまうのは当然です。
それは、それでいいし、変えることは出来ません。
そして、すべてが決まっているということが、わかった後もわかる前も起こる出来事は何も変わりません。
ただ、深刻に考える必要がなくなります。
なぜなら、すべては決まっているからです。
自分が何かをしたからといって良いことが起こったり、悪いことが起こるわけではありません。
自分が何かをすることも、その結果も、世界のはじまりからすでに決まっているからです。
ただ、『私』たちは、それを知らずに今を生きている。ただそれだけのことです。
知らないから、落ち込んだり悲しんだりします。
なんで僕だけ、なんで私だけ、とひとりぼっちな感覚になってしまいます。
ですが、『私』だけではなく、すべての人が『すべて決まっている』世界を生きているのです。
今を生きることにくつろぎましょう
ここからは提案です。
毎日書いているブログは、すべてのこの提案をしたいがためのブログなのですが、『すべて決まっているのだから、今を生きましょう』ということです。
過去あんなことをしたからだと悩む必要はありません
だって、決まっていたんだから。
未来はどうなるんだろう?と不安がる必要はありません。
だって、決まっているんだから。
たとえ、明日野垂れ死んだとしても、それも決まっているし、そのための今日なんです。
明日、野垂れ死なないように、今日なんとかすることは出来ないんです。
なんとかしたとしても、その結果野垂れ死ぬだけです。(笑)
極端なたとえ話をしてしまいましたが、”死”ということでさえ同じだと言いたかったのです。
だったら、それ以外のことなんて楽勝でしょう。
深刻になる必要はありません。
だからといって、手を抜いても仕方ありません。
ただ、『来た球を打つ』。
今を生きることにくつろぎましょう。
深刻になる必要がない|今を生きることにくつろぎましょうのまとめ
今日は『深刻になる必要がない|今を生きることにくつろぎましょう』と題して、今を生きることにくるろぐことについて考えました。
すべては世界のはじまりから決まっていた
”決まっている”というのは、どういうことかというと、原因も結果もセットで決まっているということです。
考えてみればわかるのですが、原因だってもともと何かの結果だったわけです。
その結果には原因があって、その原因ももともとは何かの結果で、と遡っていくと、世界のはじまりに行き着くわけです。
深刻に考える必要がなくなる
すべてが決まっていると頭で理解しても、それが事前にわかるわけではありませんから、起こる出来事にハラハラしたりドキドキしたり、喜んだり、悲しんだりしてしまうのは当然です。
それは、それでいいし、変えることは出来ません。
そして、すべてが決まっているということが、わかった後もわかる前も起こる出来事は何も変わりません。
ただ、深刻に考える必要がなくなります。
今を生きることにくつろぎましょう
深刻になる必要はありません。
だからといって、手を抜いても仕方ありません。
ただ、『来た球を打つ』。
今を生きることにくつろぎましょう。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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