『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということ
今日も幸せについて語っていきます。
幸せになるとは、『幸せを探す』マインドの私になるということです。
出来事は向こうからやってきません。
したがって引き寄せることもありません。
ただ、そういう言葉で表現されているにすぎないのです。
今日『『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということ』と題して、幸せを探す私になるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということ
『私』たちは変化する
『私たちの生きる目的は幸せになること』。
確かにそういう感覚を持って私たちは生きていますが、実はこれは錯覚だと思っています。
どういうことかと言うと、幸せになろうとしているとき、私たちは幸せな出来事が起こることを期待したり、待ったりしています。
もちろん、ただ待っているだけではなくて、そのために勉強をしたり、仕事をしたり、人間関係に気を配ったりしながら努力もします。
それ自体を否定はしませんし、それ自体に問題はありません。
何が錯覚だと言っているかというと、『幸せな出来事が起こる』と思っているところです。
出来事には良いも悪いもなく、幸せも不幸せもありません。
出来事というのは情報です。
情報というのは本を読んだときに得られる知識や理論と同じという意味です。
情報というのは変化しません。
ここでいう変化しないという意味は、修正されないとか、新しい発見がないという意味ではなくて、たとえば、ここに一冊の本があって、それが時間とともに内容が変わることはないという意味です。
一刷と二刷で改定が行われれば、もちろん内容は変わります。
これを出来事に置き換えると一度起こった出来事が変化することはないということです。
ただ、『私』たちは変化しますね。
一度読んだ本を何年かして読み直すと、一度目には理解出来なかったことが今回は理解出来たということがあります。
それは本の内容が変わったからではなくて、『私』が変わったからです。
勉強をしたり、仕事をしたり、人付き合いをするなかで様々な経験を積み、新しく生まれ変わった自分が同じ本を読んだとき、一度目には理解できなかったことを今回は理解できたということです。
『幸せになる』とは、まさに『幸せになる』なのです。
幸せな出来事が向こうからやってくるのではなく、自分が成長し変わることでこれまでは感じることが出来なかった幸せを感じることが出来るということなのです。
『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということ
幸せになるためには、『待つ』ではなく、私の方から『行く』ことをしないといけないのです。
感覚的な表現でわかりにくいかもしれませんが、出来事に対する心の姿勢の話です。
神頼みという言葉がありますが、『幸せにして』という姿勢ではなくて、『幸せになる』『幸せを発見する』という自ら『行く』という心の姿勢が必要です。
情報は変わらない。出来事は変わらないということは人類は皆平等だということです。
良い出来事や悪い出来事があると思ってしまうところに錯覚があると思うのです。
なぜ、錯覚が起こっているかというと、『人間』は変わらないと思っているからです。
つまり、『私』は変わらないと思っているのです。
そんなこと思っていないと言い張りたくなるかもしれませんが、『私』は連続した存在だと人は思っているし、そう信じています。
昨日と今日の私は別人だなんて思えないですよね。
『私』は変わらない、不変だと無意識に思っている以上。変わるのは『私』の周りで起こる出来事だと錯覚してしまうということなのです。
先ほどの、本を読んだときのたとえでも分かるように、変わっているのは出来事ではなく『私』です。
だとしたら、『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということなのです。
同じ川には二度と入れない
実を言うと。
本当は、『私』も『出来事』も変化し続けています。
本が一刷、二刷と改定していくように『私』も『出来事』も変化していきます。
仏教では、それを『諸行無常』といい。ギリシア人の哲学者ヘラクレイトスは『万物は流転する』と言いました。
同じ川には、二度と入れません。
川は一見同じように見えますが、中を流れている水は変化し続けています。
同じ川に入ったつもりでも、それは先ほどの川とは別物です。
『私』も『出来事』も川と同じです。
そして、出来事から見れば『私』は出来事の一部です。
たとえて言えば、レストランで食事をしている『私』は、他人からみればレストランの風景の一部ということです。
どちらかだけが特別ということはないですよね。
だとすると、『私』以外の他人も同じはずです。
『私』たちは、他人が言ったことや行動をみて、あいつは悪い奴だとか、あの人はいい人だと思います。
そして、一度そう思うと、それに縛られてしまいます。
『私』が変化するように他人も変化します。
許すことが大事だとされるのは、こういうところから来ているのだと思います。
『私たち』は変化します。
『私たち』には、森羅万象この世界のすべてが含まれているのです。
『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということのまとめ
今日『『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということ』と題して、幸せを探す私になるについて考えます。ついて考えました。
『私』たちは変化する
『私』たちは変化しますね。
一度読んだ本を何年かして読み直すと、一度目には理解出来なかったことが今回は理解出来たということがあります。
それは本の内容が変わったからではなくて、『私』が変わったからです。
勉強をしたり、仕事をしたり、人付き合いをするなかで様々な経験を積み、新しく生まれ変わった自分が同じ本を読んだとき、一度目には理解できなかったことを今回は理解できたということです。
『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということ
本を読んだときのたとえでも分かるように、変わっているのは出来事ではなく『私』です。
だとしたら、『幸せになる』とは、『幸せを探す私になる』ということなのです。
同じ川には二度と入れない
川は一見同じように見えますが、中を流れている水は変化し続けています。
同じ川に入ったつもりでも、それは先ほどの川とは別物です。
『私』も『出来事』も川と同じです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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