自分の価値観で生きる|他人軸を捨てて楽になる方法

他人の目や世間の常識を気にして、自分を誤魔化して生きることに疲れを感じることはありませんか。
誰かの借り物ではない、自分の心から湧き出る言葉を失うと、人との会話さえ虚しく思えてくるものです。
自分を信じて歩む道は、時に周囲から理解されないこともあるでしょう。
しかし、違和感を無視せずに「今」の自分の感覚を大切にすることで、人生は本来の輝きを取り戻します。
本当の自分を取り戻すためのヒントを綴ります。
今日は「自分の価値観で生きる|他人軸を捨てて楽になる方法」と題して、自分の価値観で生きるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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今日も、
そんなYouTubeの中から
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●自分の価値観で生きる|他人軸を捨てて楽になる方法
○自分の価値観で生きる|他人軸を捨てて楽になる方法
他人の価値観を自分の価値観にしている人、自分の感覚と価値観で生きていない人、世間の常識を自分の常識だと思い込んでいる人、自分自身を誤魔化して生きている人。
こういう人たちと話をしても面白い、楽しいとまったく思わなくなりました。
正直、赤裸々な気持ちで、あなたの言葉で対話ができる人ですか、あなたという人は。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14326319674)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
「他人の価値観を自分の価値観にしている人、自分の感覚と価値観で生きていない人、世間の常識を自分の常識だと思い込んでいる人、自分自身を誤魔化して生きている人。」
自分を信じて生きている人(上記の対極にある人)も、上記のような人には、綺麗事、理想論だと思われ、胡散臭い、宗教?みたいな評価を受けがちのような気がします。要するに、信じていることが違うのです。
そういう人たちは、自分の価値観が他人の価値観になっていることにも気づいていないし、自分の感覚と価値観で生きていると思っているし、自分が世間の目を気にして生きているとは露とも思っていないし、自分自身を誤魔化しているという自覚もないでしょう。誰もが自分という世界で生きていて、それがすべてだと思っているのではないでしょうか。
かくいう私も、自分を信じ、自分の言葉で語りたいと常々努めてはいますが、自分でも気づかないうちに他人の目をものさしにしていたり、後から気づいて「やっちまった」ということが日常飯事です。そのことを潔く認め、その上で「今」何を選択するかに努めることで、かくありたいと思っています。
自分を信じて生きる道は、決して楽なものではありません。
周囲からは理解されず、孤独を感じることもあるでしょう。それでも、私は自分の「やっちまった」という格好悪い部分も含め、すべてをさらけ出して語っていきたい。
それが、自分を生きるということであり、本気で生きている人と、深い場所で繋がる唯一の方法だと信じているからです。
◯わからないことがわかっていないと、わからないことはわかりません
NHKで1月から放送されていた「テミスの不確かな法廷」。主人公で発達障害の裁判官、安藤清春の言葉です。
「わからないことがわかっていないと、わからないことはわかりません」。
私たちは、自分が信じた世界に取り囲まれて生きています。やっかいなことに、誰もが自分と同じ世界で生きていると錯覚もしています。
頭では見ているものが違う、聞こえていることが違うと知っている人もいますが、それを確認することができませんから、自分が見えていること、聞こえていることを盲信しがちです。
だから、他人が自分が考えていていることと違うことをすると理解に苦しむのです。しかし、理解に苦しむ方が、まだマシで、違うことを思っているのに、同じことを思っていると勘違いしたまま進んでしまうと、進んだ分だけやっかいさが増します。
そこで大切になるのが「わからないことがわかっていないと、わからないことはわかりません」という大前提です。
少し言葉を置き換えるなら「違うことがわかっていないと、何がどう違うかはわかりません」ということになります。
他人とはそもそも、考えていることも、見えていることも、聞こえていることも違うんだということ。そして、それは良いことでも悪いことでもないということをわかっていなければ、違うことを認めることも、許すこともできないのです。
「この人と自分は、全く別の宇宙に住んでいる」と認めることは、冷たいことのように思えるかもしれません。
しかし、それは相手を突き放すことではなく、相手を「自分とは違う一人の人間」として尊重するための第一歩です。
違うことがわかっていれば、無理に同調して自分を削る必要もなくなります。
「わからない」と認める勇気を持つことで、私たちはようやく、自分を守るための鎧を脱ぐことができます。
相手を変えるのではなく、ただその「違い」を事実として受け入れる。その静かな諦めのような受容こそが、あなたの心を他人の価値観という呪縛から解き放ち、自分自身の感覚を研ぎ澄ませる助けになるはずです。
◯「今、ここ」で自分はどうありたいのか
多くの人は、他人のものさしを自分のものだと信じ込み、その「ものさし」で自分や他人を裁いて生きています。
他人の価値観で生きることは、ある意味では安全です。誰かの決めたレールに乗っていれば、迷うことも、激しい批判にさらされることも少ないからです。
しかし、そこには「自分の意志」が存在しません。自分の感覚を殺し、世間の顔色をうかがいながら生きることは、自分の人生という舞台で脇役を演じ続けているようなものです。
そんな生き方の延長線上に、本当の喜びがあるとは到底思えません。
自分の価値観を生きるということは、日々の些細な選択を、自分自身の感覚で決めていくことです。テレビが「これが流行っている」と言っても、自分が良いと思わなければ選ばない。常識が「こうあるべきだ」と言っても、自分の心が納得しなければ従わない。
そんな小さくて泥臭い抵抗の積み重ねが、あなたという人間の輪郭を形作り、強い言葉を養っていきます。
もちろん、そうして生きていれば、自分でも気づかぬうちに他人の目を気にしていた自分を見つけて、嫌気がさすこともあるでしょう。でも、それでいいのです。
その「やっちまった」という気づきこそが、自分が自分を誤魔化していない証拠です。完璧である必要はありません。ただ、その都度「今、ここ」で自分はどうありたいのか、何を感じているのかを問い直し、選択し続けること。
本当の豊かさとは、表面的な知り合いを増やすことではなく、自分を偽らずにいられる場所を、自分の手で作っていくことにあります。
あなたが自分の感覚を信じ、自分の言葉を大切にしていけば、やがてあなたの周りには、同じように「個」として生きる人たちが集まってくるでしょう。
他人の借り物ではない、赤裸々で、血の通った言葉を交わせる相手は、必ず存在するからです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
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