過去は変えられる?|今を生きる極意

過去の大きな過ちに縛られ、未来に希望を見失ってしまうことは、誰の人生にも起こり得る苦しい経験です。
しかし、過ぎ去った事実は変えられなくても、その出来事が持つ「意味」は、今の自分の心の持ちよう一つでいくらでも書き換えることができます。
今を懸命に生き、自分を肯定できるようになれば、辛い過去はいつか「今の自分を作るための大切な肥料」へと姿を変えます。
人生の価値を左右するのは、昨日までの自分ではなく、今この瞬間のあなたの選択なのです。
今日は「過去は変えられる?|今を生きる極意」と題して、過去は変えられる?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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今日も、
そんなYouTubeの中から
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●過去は変えられる?|今を生きる極意
○過去は変えられる?|今を生きる極意
やり直したい過去なんてなくて、人生全て上手く行ってる人っていますか?もしいたら、その素晴らしい人生を教えて欲しいです。年齢も知りたいです。
逆にやり直したくてたまらない過去がある人も年齢とそのお話を聞かせてください。
自分は過去に大きな過ちを犯したことがあって、人生に希望が持てない25歳女です。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12325282962)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
今は、やり直したい過去なんてありません。
しかし、中学生の頃から30代の後半くらいまで、やり直せるなら人生をリセットしたいと強く願っていた時期がありました。
現在54歳になり、これまでの歩みを振り返って確信しているのは、人生の良し悪しを決めるのは「今、この瞬間」の自分自身だということです。
過去に起きた出来事そのものを、魔法のように消し去ることは誰にもできません。
ですが、その過去にどのような意味を与えるかは、今の自分の心次第でいくらでも自由に変えることが可能です。
たとえば、今の生活に満足し、心から幸せを感じているとき、かつての大きな失敗や辛かった経験は「あの苦しい出来事があったおかげで、今の強い自分が作られたのだ」という、かけがえのない成長の糧へと進化します。反対に、今この時に不満を抱え、自分を責め続けていると、過去は「あの間違いがあったせいで、今の自分は不幸なのだ」という重い鎖に変わってしまいます。
過去を変えることはできませんが、過去の「解釈」は今すぐにでも変えられます。
今が幸せなら、辛かった過去も感謝の対象になり、今が不幸せなら、過去は恨みの対象になります。だからこそ、人生は「今」という時間に集約されているのだと考えるようになりました。
「今を生きる」とは、過去の清算をすることではなく、これから先の未来をより良くするために、目の前のことに全力を注ぐことです。
未来の自分が「あの時、あんなに悩んだからこそ、今の優しい自分になれた」と思える日が来るように、今という時間を使います。
過去の価値を決定する権利を持っているのは、明日の自分でも昨日の自分でもなく、今ここにいる自分だけなのです。
◯一本の道をどう定義するか?
人生をやり直したいと切実に願うことも、あるいは今の自分があるのは過去のおかげだと誇りに思うことも、どちらも一つの真実です。
なぜなら、そのどちらの感情も、たった一つの同じ事実、つまり自分が歩んできた唯一無二の人生という根っこから生えているからです。
もし「正しい道」と「間違った道」の二つが最初から存在していたと仮定するなら、過去の失敗は取り返しのつかないミスに見えるかもしれません。
しかし、実際には道は一つしかありません。自分が選んできた道、あるいは選ばざるを得なかった状況、そのすべてを含めて「これしかなかった」という一本の道が、今の自分に繋がっています。
発想を逆転させてみると、道が一つしかない以上、そこでの経験を失敗と呼ぶか、必要なステップと呼ぶかは、単なる解釈の違いに過ぎないことがわかります。
後悔という感情は、実は「これからはもっと良くしていきたい」という前向きなエネルギーが、形を変えて現れたものです。
本当に何も望んでいないのであれば、過去を悔やむことさえしなくなるからです。過去を悔やむ気持ちがあるということは、それだけ自分の人生を大切に思い、より良い姿を求めている証拠であると言えます。
道は一本道ですが、その先は常に無数に枝分かれしています。
過去の景色をどう眺めるかは、今立っている場所の高さや角度によって変わります。今は苦しみの中にいたとしても、そこから一歩ずつ進んでいけば、いつかその経験が、自分自身の深みを作るための大切な要素であったと気づく時が訪れます。
一本の道をどう定義するかは、常に「今」の自分に委ねられています。
◯あの時はあれが精一杯だったのだ
人生において、完璧であることと幸福であることは、必ずしも一致しません。
非の打ち所がない人生を送ることよりも、傷を負った人生をいかに受け入れ、そこから何を学び取って、これからの時間をどう彩っていくかの方が、人としての豊かさに繋がります。
まっさらで汚れのないキャンバスも美しいものですが、何度も塗り直され、厚みの増した絵画には、それだけの深みと迫力が宿るものです。
過去の過ちを抱えて生きることは、重い荷物を背負って歩くようなものかもしれません。
しかし、その荷物の中身をよく点検してみると、そこには他の誰にも手に入れることができない「深い痛みを知る人の優しさ」や「物事の裏側を見通す知恵」が詰まっていることに気づかされます。
一度も転んだことがない人には、転んだ人の痛みを心から理解することは難しいものです。大きな間違いや絶望を味わった経験があるからこそ、人は他者の悲しみに、より深く寄り添える存在になれる可能性を手にします。
私たちが抱く「やり直したい」という願いは、裏を返せば、それだけ清らかに生きたいと願う高い志の現れでもあります。
しかし、影が濃いほど光が強いように、過去の過ちが大きければ大きいほど、それを乗り越えて獲得する幸せは、より鮮やかで、より揺るぎないものになります。人生を彩るのは、成功体験ばかりではありません。むしろ、挫折や後悔という暗い色が混ざることで、人生という作品に深さが生まれるのです。
自分を許すということは、過去を消し去ることではありません。過去の自分を「あの時はあれが精一杯だったのだ」と静かに受け入れ、その経験を抱えたまま、今日という新しい一歩を踏み出すという決意です。
今こうして穏やかに過ごせているのは、かつてやり直したいと願った過去の自分を、今の自分が肯定し、その傷も含めて自分自身だと認められたからです。
どのような過去であっても、それを最高の物語の一部にする力は、すべての人が持っています。
今日という日を大切に過ごすことが、人生という物語の結末を、輝かしいものへと書き換えていく唯一の方法なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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