人生って何が面白いの?|「うまくいかない現実」が私たちを成長させる

人生はうまくいかないことが多いけど、それがあるから面白いんです。
人の幸せをうらやむより、自分の生き方を考えることが大事。
どんな世界に生まれても、自分の考え方次第で楽しく生きられるんです。
今日は「人生って何が面白いの?|「うまくいかない現実」が私たちを成長させる」と題して、人生って何が面白いの?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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今日も、
そんなYouTubeの中から
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●人生って何が面白いの?|「うまくいかない現実」が私たちを成長させる
○人生って何が面白いの?|「うまくいかない現実」が私たちを成長させる
人生って何が面白いんですか?
幸せアピールしてる人ほど、配偶者に浮気されてたりしてて地獄じゃないですか?
私達は自己愛が強く目先の幸せにとらわれる生物に神に設計され、蠱毒の実験をさせられているだけです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14321545509)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
ゲームの世界では、うまくいかない状況さえも楽しむことができ、むしろスムーズに進みすぎると物足りなさを感じるほどです。
もちろん、これは「ゲームだから」という前提があってのことですが、もしVR(バーチャルリアリティ)で同じ体験ができるなら、ゲームと同じようにうまくいかないことも楽しめるのではないでしょうか。
では、一体何が決定的に違うのか?
それは、現実世界では「うまくいかないこと=死の可能性」をはらんでいる点でしょう。そこには痛みや苦しみといった生々しい実感も伴います。
だからこそ、多くの人は「現実なんてゲームのように楽しめない」と感じるのです。
けれど、裏を返せば、それ以外の点では同じだと考えることもできます。
月並みな表現かもしれませんが、「うまくいかないことがあるからこそ、人生は面白い」としか言いようがありません。
もし、何もかもが計画どおりに進み、失敗も裏切りもなかったとしたら、人生はあっという間に退屈になるでしょう。
ドラマもゲームも、面白いのは「波乱」があるからです。主人公が苦しみ、悩み、もがくからこそ、見る者の心は動かされます。
同じように、私たちも自分の人生という“物語”の主人公なのです。
その物語の中で起こるトラブルや挫折は、単なる不幸ではなく「物語を深くするエピソード」なのかもしれません。
そう思えるようになったとき、人生の景色は変わり始めます。
◯人生の出来事は「単独で評価できないもの」
「幸せアピールしてる人ほど、配偶者に浮気されてたりしてて地獄じゃないですか?」これに関しては、ただの一例にしかすぎず、確かにこういう人もいるでしょうが、幸せをアピールしている人がすべてが、実のところ地獄のような人生を生きているということにはなりません。
また、たとえその通りの事実があったとしても、それが本当に「不幸」かどうかは誰にもわかりません。
「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。
不幸な出来事に見えても、そのことがあったおかげで次の幸せが生まれることがあるのです。
たとえば、配偶者に浮気されて離婚し、地獄のような思いをした人がいたとしても、その経験を通して自分を見つめ直し、次に出会う人との関係をより深く築けるようになるかもしれません。
その意味で、人生の出来事は「単独で評価できないもの」なのです。
また、SNS上の「幸せアピール」も、必ずしも虚栄心からとは限りません。
人は「幸せを共有することで幸せを実感する」生き物でもあります。
他人に見せることで自分を保っていることもあるし、そこに「幸せごっこ」という名の自己治療が含まれていることもあります。
結局のところ、表に見える幸せも、裏で抱える苦しみも、人それぞれ。
他人の幸せの真偽を見抜こうとするより、自分の幸せの基準を見つけるほうが、よほど価値があるのではないでしょうか。
◯世界がどう設計されているかよりも、「自分がどう解釈するか」
「私達は自己愛が強く目先の幸せにとらわれる生物に神に設計され、※蠱毒(こどく)の実験をさせられているだけです。」
※毒蛇や毒グモ、サソリなど、毒を持つありとあらゆる生物を壺に閉じ込めて殺し合わせて、最後まで生き残った生物から毒を生成する呪術
確かにそれも一つの真実です。
人間は我利我利亡者だと仏教でも説かれていますし、目先の快楽や承認に囚われてしまうというのも否定できません。
しかし、だからといって「蠱毒の実験だ」と感じるかどうかは、人それぞれの受け取り方によります。
同じ現実を見ても、ある人は「絶望」と捉え、別の人は「学び」や「成長」と捉える。
この違いこそが、人間の自由意志であり、人生の面白さそのものです。
つまり、世界がどう設計されているかよりも、「自分がどう解釈するか」が本質なのです。
誰かが定めたルールの中に生きているように見えても、そのルールをどう使うかは自分次第。
それが、神ですらコントロールできない“人間の意識”の力です。
もし人生が実験だとしても、その実験台として終わるか、研究者として関わるかは、自分で選べます。
誰かの手のひらで蠢く存在で終わるのか、それともその構造を理解して一歩上の視点から眺めるのか。
そこに「生きる面白さ」は潜んでいるのかもしれません。
人間は愚かで不完全な存在です。
でも、不完全だからこそ、考え、悩み、選ぶことができる。
この「考える自由」こそ、蠱毒ではなく「進化」の証なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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