見えないモノを信じる自由と否定|違いを認めて共に生きる

スピリチュアルを信じる人も、科学を信じる人もいます。
どちらが正しいかを決めるより、おたがいの考えを認め合うことが大切です。
見えるモノも見えないモノも、どちらも大事にできたら安心して生きられます。
今日は「見えないモノを信じる自由と否定|違いを認めて共に生きる」と題して、見えないモノを信じるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●おすすめYouTube
くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!
今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。
●この世界で起こることの大半は、目に見えないモノがキッカケで始まって終わる
●見えないモノを信じる自由と否定|違いを認めて共に生きる
○見えないモノを信じる自由と否定|違いを認めて共に生きる
スピリチュアルやオカルト等、目に見えないものに縋り信じる事は人それぞれの自由だし否定する気もないです。実際に体験し自らにとって良い事があったりすれば縋りたくなる気持ちもわからないでもないので。
ただし目に見えないものが非科学的だという人や自分の目で見えるものしか信じないという立場の人間をひとくくりに「アホ」「バカ」と決めつけるのはいかがなものでしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10320012295)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
そういう人は、目に見えないモノを信じているのではなくて、自分に都合が良いことだけを信じているのではないかと思います。
目に見えないモノを信じるということは、この世界を「ありのまま」に見るという姿勢(心のあり方)のことだと思うのです。
目に見えるモノを信じるのはある意味当たり前です。
見えているわけですから、そこに加えて見えないモノも信じるという態度を持つことが本来の意味でしょう。
つまり、善悪や正誤で他人を分断するのではなく、どちらの考え方も認める姿勢こそ大切なのです。
だとすると、目に見えるモノしか信じない人のことも、同じく「ありのまま」に認めるべきです。
人はしばしば、自分の信じるものを正義や真理だと強く思い込みます。
その結果、違う考えを持つ人を否定したり見下したりしてしまいます。しかし、本来「信じる」という行為は、自分の生き方を支えるものであって、他人を裁くためのものではありません。
スピリチュアルを信じる人も、科学を重視する人も、どちらも人間として自然な立場なのです。信じ方の違いを「優劣」にすり替えた瞬間に、信じることの純粋さは失われます。
目に見えるモノを信じる人の存在を受け入れることこそ、目に見えないモノを信じることの真意につながっていくのです。
◯見えないモノが在る
目に見えないモノを信じるとは、「見えないモノが在る」という考え方です。
たとえば、この世界は空間と物体が9対1だと言われています。(真偽は不明ですが、比喩としてわかりやすいでしょう。)
この世界は、空間が圧倒的に多いのです。その空間について「何もない」と考えるのが、目に見えるモノだけを信じる人だと考えられます。
一方で、「空間というモノが在る」と考えるのが、目に見えないモノを信じる人です。
この違いは、人間関係においても表れます。
他人の心は目に見えませんが、それが「在る」ことを前提にすれば、自然と相手の思いを慮るようになります。
「心は見えないが確かに在る」という立場に立つことで、思いやりや共感が生まれやすくなるのです。
大事なことは、この世界の大半が目に見えないもので構成されているという事実です。その大半を無視するのか、それとも意識して受け入れるのかで、人生の質は大きく変わります。
目に見えないものを信じる人は、日常のなかで小さな奇跡を感じやすくなります。
たとえば「偶然の出会い」や「直感」といった現象を単なる偶然ではなく、意味のある出来事として受け止めます。
その積み重ねは、人生に深みや広がりを与えてくれるのです。
目に見えないものを信じることは、単なる非科学的な態度ではなく、豊かに生きるための一つの選択肢なのです。
◯違いを受け入れること
スピリチュアルを信じる人と、科学的に目に見えるものしか信じない人。
この二つの立場は対立するように見えますが、どちらが正しいかを争うのは本質ではありません。
大切なのは、それぞれの立場や状況によって見え方や信じることが異なるという理解です。
人は、それぞれの価値観、立場、事情に基づいて世界を解釈しており、そこに優劣はありません。
もしかすると、立場や事情が変われば、信じるものが変わるかもしれないのです。
だからこそ、自分と異なる信念を持つ人を否定しないことが重要です。目に見えないものを信じる人は、心の支えとしてその選択をしていますし、科学的な立場を取る人も、確かさを求めてその道を歩んでいます。
どちらも、人間が安心して生きていくために選んだ方法に過ぎません。
異なる考え方を否定することは、もし自分が今信じていることに疑問を持ったときに、別の考え方を受け入れることを妨げてしまうでしょう。
見えるモノと見えないモノ、その両方を認める柔軟さを持つことで、私たちは互いに安心して共存できるのではないでしょうか。
結局のところ、信じるという行為の本質は「違いを受け入れること」にあるのだと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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