頑張らない人生の魅力|応援ではなく敬意を

頑張らないと決めた人は、自分のリズムで生きています。
無理に応援するのではなく、その人の静かな思いを尊重することが大切です。
人にはいろいろな生き方があり、それぞれに価値があることに気づかされます。
今日は「頑張らない人生の魅力|応援ではなく敬意を」と題して、頑張らない人生について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
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くろちゃんです。
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●頑張らない人生の魅力|応援ではなく敬意を
○頑張らない人生の魅力|応援ではなく敬意を
特に頑張らずに生きてくと決めた人の人生を応援したり見てたいですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11315931311)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
質問の意図から回答がズレてしまいますが、そう決めた人は誰かに応援されることを求めていないのかもしれません。
むしろ、応援を拒んでいる可能性すらあります。
自分のペース、自分のスピードで生きていたいと考えているのかもしれません。
応援されると、自身が望む以上に努力しなければならないと感じてしまい、それが負担になってしまうからです。
幸せな生き方というのは人それぞれであり、努力して何かを得ることを望む人ばかりではないと思うのです。
そもそも「頑張らない」という選択には、その人なりの深い背景があることが多いです。
かつて誰よりも頑張っていた人が、「もう頑張らない」と決めるケースも少なくありません。
燃え尽きた経験、心や身体を壊してしまった経験、あるいは「頑張ること=幸せ」という幻想から目覚めた人もいるでしょう。
「頑張らない」とは、単なる怠惰ではなく、「自分の輪郭を守るための知恵」でもあります。
他人にどう思われるかではなく、自分がどう感じるかを大切にする。
競争社会から降り、自分だけのリズムで生きるというのは、むしろ勇敢な選択なのです。
そんな人に対して、無理にエールを送るのは違和感があります。
応援の圧力が、かえってその人の静かな決意を乱してしまうこともあるからです。
だからこそ、「応援したい」と思ったとき、まず立ち止まって自分に問いたいのです。
それは本当にその人のためなのか、自分の安心のためではないのかと。
私は、その人が求めていないなら、応援しない自由も大事にしたいと思っています。
それは無関心ではなく、最大限のリスペクトです。
人の人生には、その人にしかわからないペースがある。
私たちがすべきなのは、口を出すことではなく、耳を澄ますことかもしれません。
◯「その人の感覚」に目を向ける
ルームシェアしていた友人と海外から帰国した際、「疲れたから休んでから帰るので、先に帰ってください」と言われたことがあります。
同じ家に帰るのに?と最初は不思議に思いました。
同じ国へ行き、同じホテルに泊まり、同じ飛行機で帰ってきたのに、あと1時間ほどの道のりを共にできないほど疲れている、という言葉に戸惑ったのです。
ですが、それで気がつきました。
人それぞれ疲れ方も体力も違うし、癒やし方も全く違うのだと。人は皆違うとは言うれど、ここまで違うのかと驚きました。
この「同じ経験をしても、感じ方が違う」という事実は、人生全体に言えることです。
同じように仕事をしても、同じように家庭を持っても、そこから感じる「しんどさ」や「満足感」はまるで違います。
それなのに、私たちはつい、自分の感じ方を他人に当てはめてしまいます。
「これくらい普通だよね」「なんでそんなことで疲れるの?」。
そんな言葉を、知らず知らずのうちに口にしてしまったことが、誰しもあるはずです。
でも、それは自分の物差しでしかありません。
違いを受け入れること、それが本当の意味での「理解」なのだと、その友人の一言が教えてくれました。
そして、この経験は「頑張らないと決めた人」に対するまなざしにもつながります。
自分にとっての「頑張っている」が、相手にとってはすでに限界かもしれない。反対に、自分が休んでいるつもりでも、相手から見たら「まだ無理をしているように見える」かもしれない。
大切なのは、相手の言葉や態度の奥にある「その人の感覚」に目を向けることです。
頑張らないと決めた人も、自分のペースでしっかりと人生を生きています。
それを「怠けている」と判断するのではなく、「違うスタイル」として尊重する。
そういう姿勢が、これからの共存には必要なのではないでしょうか。
◯自分の人生を生きている人
自分の人生を生きている人を見るのは、美しいと思います。
誰かの期待に応えるためでもなく、誰かに評価されるためでもない。ただ自分の感覚を信じて、自分の心地よさに忠実に生きている人。
それは、頑張っている人以上に、強さを持った存在だと思うのです。
「頑張らない」と決めた人の中には、静かだけれど確かな覚悟があります。
それは、誰かに流されず、比較されず、自分の内なる声に従って生きていくという決断。社会のノイズに飲まれず、自分の輪郭を保つのは、本当はとても難しいことです。
だから私は、そんな人を見るたび、応援というより「敬意」を抱きます。
かつての私は、「誰かに認められなければ意味がない」と思っていました。何かを成し遂げないと、自分には価値がないと思い込んでいました。
でも今は、何もしなくても、価値はある。ただ呼吸して、生きているだけでも、十分に尊いと思えるようになりました。
そういう目で見ると、「頑張らないと決めた人生」は、とても洗練された生き方に感じます。
肩の力を抜き、無理せず、自分を労わりながら歩く姿は、まるで川の流れのように自然で、美しい。
だから私は、「見ていたい」です。
応援という言葉ではなく、ただ「見守りたい」。
その人が見せてくれる静かな日常や、何気ない選択の美しさを、そっと受け取りたいのです。
時には、「頑張らない」という生き方に、人生の本質が隠されていることもあります。
私たちは、もっと多様な生き方に心を開いていいはずです。
そして、どんな選択にも価値があると信じられる社会の中で、生きていけたらと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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