50代の幸福論|今在る幸せに気づく生き方

年齢を重ねていくと、ふとした瞬間に心が温かくなる経験が増えていきます。
それは何か特別な出来事が起きたからではなく、自分の周りにある何気ない景色や、日々の暮らしの中に確かな価値を見つけられるようになったからです。
幸せとは遠い場所へ探しに行くものではなく、今ここにある豊かさに「気づく力」を育てることなのかもしれません。
足元にある小さな喜びに目を向ける姿勢は、これから先の人生をより一層、明るく照らし出す道しるべとなります。
今日は「50代の幸福論|今在る幸せに気づく生き方」と題して、今在る幸せに気づくについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!
今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。
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●50代の幸福論|今在る幸せに気づく生き方
○50代の幸福論|今在る幸せに気づく生き方
50代になってから人生が急に楽しくなりました。みんなもそんな感じ?
まずご飯と味噌汁と目玉焼きが最高においしいと感じます。
また、子供たちも成人して一緒にお酒が飲めるようになって楽しすぎます。
プライベートも年収が上がってきて未来は明るいと感じます。
後は健康だけですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14326622494)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
在るものに幸せを感じられるということだと思います。
年齢は関係ないのかもしれませんが、ある程度歳を重ねたからわかるということもあるのかもしれません。
たとえば、朝起きて、炊きたてのご飯とお味噌汁、そして目玉焼きがある。これまでは当たり前だと思って通り過ぎていた光景が、実はとてつもなく贅沢で、最高においしいものだと気づけるようになる。
これは、私たちが長い年月をかけて、日常の細かな機微を感じ取る「心のセンサー」を磨いてきた結果ではないでしょうか。
若い頃はもっと刺激的なもの、もっと特別なものを外に求めてしまいがちですが、50代という入り口に立って、ようやく自分の足元にある豊かさに目が向くようになったのだと感じます。
こういう心がけで生きていると、たとえこれから先、病気になったとしても、その身体でできることをしていこうと考えられるような気がします。
幸せの根拠を「完璧な状態」に置くのではなく、「今ここに在るモノ」に置いているからです。
もし体に不自由が出たとしても、その時に味わえるお茶の香りに感動したり、窓から見える景色を愛でたりすることはできます。
老いや衰えを単なる損失と捉えるのではなく、変化していく自分という存在を面白がり、その時々のベストを尽くしていく。そんなしなやかな生き方が、50代以降の人生をより深く、味わい深いものにしてくれるはずです。
未来への不安に怯えるのではなく、今日という日の一膳の食事に心から感謝する。
その積み重ねこそが、本当の意味での「明るい未来」を形作っていくのではないでしょうか。
◯アドラー心理学の「課題の分離」の応用
幸せや不幸せ、苦楽というのは、実に単純な仕組みであると言えます。
「今に無いモノ」を欲しがれば、苦しく不幸せで、「今在るモノ」で満足すれば幸せで楽しいのです。
私たちは知らず知らずのうちに、他人と比較したり、世間一般の「成功」という物差しで自分を測ったりして、「もっとあれがあれば」「これが足りない」と不足している部分ばかりに目を向けてしまいがちです。
しかし、他人から見て、どんなに不遇であっても、自分自身が今の自分に満足していれば不幸せを感じることはありません。幸せの決定権は、常に自分自身の心の中にあるのです。
これは決して、どんなに苦しい不遇な状態であっても無理に満足しなければならないと言っているのではありません。
ただ、不遇な状態を恨んだり、恵まれている他人を妬んだりしているその気持ち自体が、自分自身の不幸せな感覚を作り上げるということは間違いありません。
状況そのものが人を不幸にするのではなく、その状況をどう捉え、どう心に定着させるかが、不幸せの正体なのです。不遇だから不幸せなのではなく、不遇なことに心が侵されているから不幸せなのです。
この違いを理解することは、人生を劇的に楽にするための大きな鍵となります。
たとえば、病気になったとします。病気になったらたいていの人は「もうおしまいだ」と落ち込みますが、病気になると落ち込まないといけないと決まっているのでしょうか?
もちろん、痛みや不便さは辛いものですが、たとえ病気であっても前向きな気持ちで生きてもいいはずです。
病気であることと、心が落ち込むことは、実は別のことなのです。
これはアドラー心理学の「課題の分離」の応用です。
病気と向き合い治療することは「体の課題」であり、それによって心を沈ませるかどうかは「心の課題」です。これらを切り離して考えることができれば、どんな困難な状況下でも、心の自由を保つことができます。
自分が病気であることに心を侵される必要はないし、侵されてはいけないのです。
たとえ状況が変化し、思うようにならない場面が訪れたとしても、この仕組みを知っていれば、何度でも自分の足で「幸せ」の場所へ戻ってくることができるからです。
外側の条件に左右されない、自分自身の内側から湧き出る楽しさを大切にしていきたいものです。
◯幸せを感じるために必要なものは、実は最初からすべて揃っている
もうひとつ大事なことがあります。今在るモノに目を向けるという心がけです。
健康であることは素晴らしいことです。私たちが元気に動けるうちは、その恩恵を存分に受け取り、人生を謳歌すればよいでしょう。
しかし、健康でなかったとしても、その身体でできることはたくさんあるはずです。人生には波があり、いつまでもすべてが完璧な状態であり続けることは稀かもしれません。
しかし、たとえどのような状況であっても、「今、自分に何ができるか」という視点を失わないことが、本当の強さであり、本当の知恵なのだと感じます。
もちろん、年齢とともにできないことも増えてくるでしょう。若い頃のような無理が利かなくなったり、視力や体力が衰えたりすることもあるかもしれません。
しかし、できないことに目を向けるのではなく、できることに目を向けましょう。今に無いモノに目を向けるのではなく、今在るモノに目を向けるのです。
走れなくなったら歩けばいいし、歩けなくなったら座って読書をすればいい。遠くへ行けなくなったら、庭に咲く花の変化に気づく繊細さを楽しめばいいのです。
私たちが幸せを感じるために必要なものは、実は最初からすべて揃っているのかもしれません。
50代からの人生が急に楽しくなったという実感は、あなたがこれまで一生懸命に生きてきたプロセスの中で、こうした「足るを知る」という感覚を自然に身につけてこられたからだと思います。
ご飯がおいしい、子供とお酒が飲める、未来に希望が持てる。
これらの喜びはすべて、今、あなたの目の前に「在る」ものです。この「在る」という事実に意識を集中させ続けている限り、人生の楽しさが途絶えることはありません。
健康への不安を感じることもあるかもしれませんが、それもまた「今の自分」の一部として受け入れ、その中でできる楽しみを探していく姿勢こそが、未来をさらに明るく照らしてくれます。
これからの人生、私たちはもっと自由になっていいはずです。世間の常識や過去の自分に縛られることなく、今この瞬間に感じている「最高においしい」「楽しすぎる」という純粋な感覚を信じて進んでいきましょう。失うことを恐れるのではなく、今持っているものをいかに慈しみ、味わい尽くすか。その一点に心を注ぐことで、50代、60代、そしてその先も、ずっと「今が一番楽しい」と言える人生を歩んでいくことができるのです。明るい未来は、どこか遠くにあるのではなく、今のあなたのその心の中に、すでにしっかりと存在しています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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