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誠実でありたい人と誠実だと思われたい人の違い

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誠実さは、行動だけでなく、その人の心の中にある考えや目的によって決まります。外から見るだけでは、本当の誠実さはわかりません。

ただ、「誠実な人物に思われたい」という思いの先には「誠実な人でありたい」があると思うのです。

今日は「誠実でありたい人と誠実だと思われたい人の違いと題して、誠実な人について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

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●誠実でありたい人と誠実だと思われたい人の違い

 

○誠実でありたい人と誠実だと思われたい人の違い

 

自分はいつも誠実でありたい。

このように思う人と、

自分は誠実な人物だと思われたい。

このように思う人の区別ってつくものですか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14311140464

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

外側からはつかないと思います。また、外側から見てわかったと思ってはいけません。

仮にわかると思っている人がいたとしても、それは、その人がそう思っただけのことです。なぜなら、答えは相手の中にしかないからです。

誠実さは、行動や言葉だけで判断できるものではありません。表面的な言動がいかに誠実そうであっても、内面でどのような動機を持っているのかは、本人にしかわかりません。たとえば、人前では常に正直なことを言い、他人を思いやる行動をしている人がいたとします。しかし、その行動が「誠実でありたい」という信念から生まれたものなのか、「誠実な人物と思われたい」という欲求からなのかを、外側から見極めるのはほぼ不可能です。

また、他人の誠実さを評価しようとすること自体が、自己の基準に基づいた主観的なものであることも忘れてはいけません。ある人にとっては誠実に見える行動も、別の人にとってはそうではないかもしれません。誠実さの判断は、受け取る側の価値観や期待によって変わるものなのです。

◯誠実さの定義

 

「自分は誠実な人間だ」と信じている人から見ると、自分以外は不誠実とまではいかなくても誠実さが足りないように感じるでしょう。

そうでなければ、自分が誠実だと感じる根拠が薄くなるからです。理想は、「私もあなたも誠実だ」と思えることですが、人間は相対的にしか物事を判断できませんので、どうしても差をつけて判断してしまうと思います。

「誠実さ」は、絶対的なものではなく、人それぞれの基準に基づいて測られるものです。そのため、自分を「誠実な人間だ」と信じる人は、その基準を自分の内に確立しています。しかし、それが他人の基準と一致するとは限りません。たとえば、「約束を守ること」が誠実であると考える人と、「相手の事情を汲み取って柔軟に対応すること」が誠実であると考える人とでは、誠実さの定義が異なります。

また、自分が誠実であることを証明したいと思うあまり、他人を無意識のうちに評価し、「この人は誠実ではない」と判断してしまうこともあります。これは、自分の誠実さを確固たるものにするために、相対的な比較を行ってしまう人間の心理的な傾向です。誠実さは本来、他人との比較によって決まるものではなく、自分自身がどうあるかによってのみ決まるべきものですが、私たちはつい周囲と比べてしまうのです

◯誠実さの始まり

 

誠実さとは、他者との関係の中で試されるものです。

一人でいるときに誠実であることは簡単かもしれませんが、他人とのやりとりの中で、自分の利益や立場、感情が絡むと、誠実さを貫くことが難しくなることもあります。

だからこそ、「誠実でありたいと願う人」は、常に自分の内面と向き合い、誠実であることを実践し続ける努力をします。一方で、「誠実だと思われたい人」は、他者の評価を意識するあまり、状況によって振る舞いを変えることがあるかもしれません。

たとえば、ある人が誰に対しても公平に接し、正直であろうと努力しているとします。これは「誠実でありたい」と願う気持ちから生まれる行動です。しかし、別の人は「周囲から誠実だと思われたい」という理由で同じような行動を取るかもしれません。この場合、表面上の行動は同じでも、動機が異なるため、長い時間をかけると違いが出てくることがあります。

「誠実でありたい」と考える人は、誠実さを目的として行動するため、どんな状況でも誠実であろうとします。しかし、「誠実だと思われたい」人は、状況によっては誠実であることよりも、自分の評価を守ることを優先してしまう可能性があります。

「どんな状況でも誠実であろうとする」ことが、誠実な人の「生き方」であり「あり方」です。しかし、誠実の定義が人によって違う上に、あくまでも内面的なことなので、それが「誠実でありたい」と思う人なのか、「誠実な人物だと思われたい」だけの人なのかは外側からは区別がつきません。

ただ、誠実な人物だと思われたいと考えている人だとしても、「誠実でありたい」からこそ、誠実な人物だと思われたいと願っているのではないかと思います。

そう思い始めた時から、「誠実な人物だと思われたい人」も誠実な人になろうとしている人として「誠実でありたい」人だと考えていいと思います。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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●今日のまとめ

今日は「誠実でありたい人と誠実だと思われたい人の違いと題して、誠実な人について考えました。

○誠実でありたい人と誠実だと思われたい人の違い

外側からはつかないと思います。また、外側から見てわかったと思ってはいけません。

仮にわかると思っている人がいたとしても、それは、その人がそう思っただけのことです。なぜなら、答えは相手の中にしかないからです。

◯誠実さの定義

「誠実さ」は、絶対的なものではなく、人それぞれの基準に基づいて測られるものです。そのため、自分を「誠実な人間だ」と信じる人は、その基準を自分の内に確立しています。しかし、それが他人の基準と一致するとは限りません。たとえば、「約束を守ること」が誠実であると考える人と、「相手の事情を汲み取って柔軟に対応すること」が誠実であると考える人とでは、誠実さの定義が異なります。

◯誠実さの始まり

誠実な人物だと思われたいと考えている人だとしても、「誠実でありたい」からこそ、誠実な人物だと思われたいと願っているのではないかと思います。

そう思い始めた時から、「誠実な人物だと思われたい人」も誠実な人になろうとしている人として「誠実でありたい」人だと考えていいと思います。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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