自我はなぜあるのか|「わからない」を生きる力に

「なぜ自分だけが自我を持っているのか」と考えることは、とても大切な問いです。
答えは「わからない」かもしれませんが、わからないからこそ、人は考えたり意味を見つけたりして生きていけます。
答えのない問いも、自分らしく生きる力になります。
今日は「自我はなぜあるのか|「わからない」を生きる力に」と題して、自我はなぜあるのかについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
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くろちゃんは、
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●自我はなぜあるのか|「わからない」を生きる力に
○自我はなぜあるのか|「わからない」を生きる力に
哲学について質問です。
なぜ自分は自我を持っていて、自分として活動できるのかが不思議でたまりません。
宗教的な観点からよく魂は下界に修行に来てるだとかその魂がたまたま自分という体に宿ったと言われますが、それも所詮自分として形成されるであろう魂という括りを抜け出せないですよね?
宗教抜きにして考えてみても、なぜ自分の体だけに自我があるかが分かりません。
どなたか回答していただけると嬉しいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12317857082)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
とても深くて本質的な問いです。「なぜ自分というものが、今、ここに、自我を持って存在しているのか」ということを聞かれているのだと思います。
それは、水や空気がなぜあるのか?くらい難しい問いではないでしょうか。
この世界の生物にとって、水や空気はなくてはならないモノです。
ですが、生物のために水や空気が存在しているというわけではないでしょう。
水や空気の働きや仕組みは解明できても、なぜこの世界に存在しているのか?は誰も説明できませんし、今後も解明できないのではないかと思います。
自我の働きや仕組みも想像したり説明することはできても、なぜ存在しているか?は、おそらく誰も説明できないと思うのです。
このような問いを抱くのは、哲学的な好奇心のあらわれであり、「なぜ?」を深掘りする力そのものが、自我の証でもあります。
しかしながら、それを言語や論理で完全に説明しようとすると、どうしても限界があります。
そもそも自我という存在自体が、自分の内側から観測している主観でありながら、それを対象として観察することは不可能に近いのです。
つまり、「わからない」が回答です。
もう少し言うなら受け入れた上で、その仕組みや働きの中でどう生きていくか?が大事だと思っています。
完全にわからない、だからこそ探究する意味があり、答えの出ない問いと付き合いながら、今この瞬間をどう生きるかに意識を向けることが、自我のもつ意義のひとつかもしれません。
「なぜ自分は自我を持っているのか」という問いは、解くための問題というより、「問い続ける」ための出発点としての意味を持つのだと思います。
◯「なぜ、存在しているか?」はわからない
自我だけに限らず、この世界にある“存在”のすべてについて「なぜ、存在しているか?」はわからないのではないでしょうか。
この世界にはあらゆる「存在」があります。
空、海、山、風、動物、人間、言葉、時間、意識……
どれひとつとして「なぜ存在するのか?」という根本の問いに、完全に答えられるものはありません。
人間が作り出したモノなら、なぜそれを作ったか?という理由があります。
しかし、そうでない限り、そこには理由も意味もありません。
こうこう、こういう成り立ちで生まれたという成り立ちは解明できたとしても、それは「なぜ存在しているか?」ということの答えではないからです。
たとえば、太陽系の成り立ちや人間の進化の過程は、科学的に解明されつつあります。
しかし、「なぜ宇宙は存在するのか?」という問いには、どれだけ理論を積み重ねても決定的な答えがありません。
同じように、自我も脳の構造や意識の働きとして機能的に説明することはできますが、「なぜそれが“自分”として感じられるのか?」という部分は、科学でも宗教でも答えきれていないのが現状です。
これは、問いの方向が「原因」ではなく「根源」に向いているからだと思います。
原因は探れますが、根源は超えられません。
根源的な問いに対しては、理屈よりも「どう受け取るか」「どう向き合うか」が問われているのかもしれません。
「意味を見出す」ことは人間だけができる能力です。
つまり、「なぜ存在するのかわからない」ものに対して、「わからないことを抱えたまま、それでも意味をつけて生きる」という態度こそが、自我の真の働きとも言えるのではないでしょうか。
◯悩み、迷い、問い続ける
ここで大事なのは、自我がなぜ存在するのか、という問いに対して「わからない」という答えを受け入れることで生まれる可能性です。
「わからないからダメ」なのではなく、「わからないから考える」「わからないから関係する」という方向へ進めることが、人間にとっての知性であり、感性であり、生きることそのものです。
もし自我の意味や存在の理由がすべて明確に説明できたとしたら、そこには想像も、葛藤も、発見もなくなります。
それは、もしかすると、機械のように決まった動きをするだけの存在かもしれません。
一方で、「なぜこの身体に自我が宿っているのか」「なぜ“わたし”なのか」と悩み、迷い、問い続けることによって、自我は他者と出会い、世界と関わり、自分の中に新しい意味を築いていきます。
そのプロセスにこそ、人間らしさがあり、自我が「活動」する価値があるのだと思います。
「なぜ自分に自我があるのかわからない」という疑問は、終わりのない問いではなく、生きることと共に歩む問いです。
問い続けることそのものが、自我の証であり、存在の意義なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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