水筒は空で正解?|言葉のズレが社会を変える

人は同じ言葉を聞いても、ちがう意味にとることがあります。
だから「わからない」と思ったら、たしかめていいのです。それはむしろ大切な力です。
今日は「水筒は空で正解?|言葉のズレが社会を変える」と題して、言葉のズレについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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●【答えが深すぎる問題】300円を持って170円のパンを買ったら、おつりはいくら?
●水筒は空で正解?|言葉のズレが社会を変える
○水筒は空で正解?|言葉のズレが社会を変える
水筒をお持ちください→空の水筒を持たせる。
大抵の人は中身を入れた水筒を持たせることくらいわかるだろ。という投稿を見て、前後のやり取りにもよりますが、なんの脈絡もなく「水筒を持たせてください。」と言われたら私も多分空の水筒を持たせてしまう派です。
どうしたら中身を入れて持たせる。と分かるのでしょうか…。
昔から 普通はそういうことはしない。と仕事でもよく言われてきました。
診断済みのADHDなので周りとズレてるのだと思いますが、どうしても暗黙の了解が分かりづらいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14315327309)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
受け取り方は人によって違います。
中身入りの水筒と思うことが「当たり前」ではないということを、そのお知らせを作った人もわかっていないのです。
同じモノを見て、皆が同じことを思うわけではないということをわかっていないのです。
だとすると、暗黙の了解がわかっている人と、わかっていない人という分け方が正しいのでしょうか?
実は両方わかっていないという見え方もします。
「水筒をお持ちください」という言葉には、確かに中身が入っていることを前提とするニュアンスが“社会通念”としてあるのかもしれません。けれど、言葉としては不完全ですし、受け手の立場や経験値によって、どうとでも解釈され得る曖昧さを含んでいます。
この曖昧さを無自覚に使っていること自体が、ある種の「わかってなさ」ではないでしょうか。
むしろ、空の水筒を持たせてしまうという判断をした人のほうが、言葉の意味に忠実だったとも言えます。
つまり、「自分がズレている」と感じる必要は全くないのです。
ズレているのではなく、「違う視点を持っている」だけ。
もっと言えば、そのズレはむしろ社会が整っていくためのヒントになります。
実際、あなたのように「これってどういう意味?」と疑問を持つ視点は、言葉や指示の不完全さを明らかにし、それを改善するきっかけになります。
「誰にでも伝わる表現になっているか」を問い直す姿勢は、決して否定されるべきではなく、むしろ歓迎されるべきものです。
ですから、「暗黙の了解がわからない」という自覚があることは、悪いことではありません。
むしろそれを通して、周囲に「配慮のある言葉の使い方とは何か?」を問い直させる機会を提供しているという自負を持ってください。
◯人が違えば、受け止め方も違う
人は同じものを見聞きしても、抱く思いはそれぞれ異なります。
例として、こんな問題を考えてみましょう。
「300円を持って170円のパンを買いに行った時、お釣りはいくらになるでしょうか?」
この問いへの答えは一つではありません。
「130円」と答える人もいれば、「30円」と答える人もいます。
計算式で見れば、300円−170円=130円ですが、現実には170円のパンを買うために「300円をまるごと渡す」人は、ほとんどいないでしょう。大半の人は「200円(100円玉2枚)」を出して「30円のお釣り」をもらうでしょう。
それ以外にも0円という答えもあります。キャッシュレスで払えばお釣りは0円です。300円といっても100円玉2枚に50円玉1枚、10円を5枚持っていればちょうど渡してお釣りが0円になります。
つまり、「正解」とは人の感覚や行動によって変わってくるのです。
この例は、見聞きしたものに対する「捉え方の違い」をよく示しています。
水筒の話もまさに同じで、「水筒=中身入り」と捉える人もいれば、「水筒=容器そのもの」と考える人もいます。
「違うのが当然」という前提がなければ、誤解やすれ違いはいつまでもなくなりません。
でも、それって本当に悪いことなんでしょうか?言葉というのは、そもそも万能ではありません。
人が違えば、受け止め方も違います。それを前提にするだけで、コミュニケーションは驚くほど楽になります。
「この言い方だと誤解されるかも」「これって自分にはわからないから確認してみよう」。
そうした意識が広がっていくと、社会はもっと優しくなれるはずです。
ですから、違う捉え方をすることに罪悪感を持つ必要はありません。それは、「気づき」のきっかけであり、他者への理解を深める第一歩なのです。
◯「なんで?」という感覚を大切にする
「普通こうするでしょ」「常識でしょ」「誰でもわかるよ」そんな言葉に、私たちは思った以上に縛られています。
けれど、これらの言葉は「多数派の感覚」に過ぎず、「絶対的な正解」ではありません。
そしてその“多数派の感覚”でさえ、人や場面によって簡単に崩れます。
診断済みのADHDを持つあなたが「どうしても暗黙の了解がわかりづらい」と感じるのは、感覚や認知の傾向が一般的なパターンとは違っているからかもしれません。
けれど、それは決して劣っているという意味ではありません。むしろ、「わかりにくいものを明らかにする力」があるということなのです。
では、どうすれば“当たり前”に惑わされずに過ごせるのでしょうか。
まずは、「確認することを恐れない」ことです。「水筒を持たせてください」と言われたら、「中身も入れておいたほうがいいですか?」と聞く。
「わかってないと思われたくない」という気持ちは当然ですが、それよりも「きちんと理解して動ける」ほうがずっと価値があります。
次に、「わからなさ」を表現することを習慣にしましょう。
あなたのような人が「これって伝わりにくいですよ」と声を上げることで、多くの人が「言い方を変える」ことに気づけます。
実際、ビジネスの現場では「確認すること」「丁寧に伝えること」ができる人が重宝されるようになっています。
そして何よりも、「自分を責めない」こと。
あなたが今感じている“ズレ”は、間違いではなく「多様性の証」です。
社会が変わるには、こうした声が必要なのです。
あなたの「なんで?」という感覚こそが、未来の誰かを救うヒントになるかもしれません。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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