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決めつけで生きる?|心の静止画を手放す

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人は「大人しい」「明るい」などと決めつけられがちで、それに苦しむことがあります。

でも、私たちは見た目の一部で人を判断しがちで、気づかないうちに偏見を持っています。

人は変わるものなので、自分や他人をゆるやかに見てあげることが大事です。

今日は「決めつけで生きる?|心の静止画を手放すと題して、決めつけについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

●おすすめYouTube

くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!

今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。

●物事を静止した状態で捉えてはならない【ドラマの名言で哲学する】#3年B組金八先生

 

●決めつけで生きる?|心の静止画を手放す

 

○決めつけで生きる?|心の静止画を手放す

 

人って決めつけで生きているんですか?

大人しい、真面目、静か、人見知り

明るい、うるさい、親しみやすい

実は優しい部分があったり、明るいところもあったり、暗いところもあったり、取り繕っていて自分が嫌だったり、でも見えるとこしか見えないから、みんな無意識に偏見を持ちながら生きているんですか?強めな時はド偏見とか、決めつけすぎとか言って、あまり人の内面をみようとしない人のことを言うんですか?

最近考えすぎて色んなことに気づいちゃうことが多いんです。

辛いです。自分見失っちゃいそうで怖いです。もう嫌です。

でも決めつけないと生きていられないんですよね。でも生きるのが怖いです。

どこで止めないといけないんでしょうか

人って決めつけで生きていますか

教えてください

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11315151531

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

「物事を静止した状態で捉えてはならない」。これは金八先生の言葉です。

この言葉の通り、人は物事を静止した状態で捉えがちです。しかし、完全に決めつけずに生きることもまた、人間には難しいことです。

なぜなら、私たちは静止した状態を通してしか物事を判断できないからです。

たとえば、誰かと初めて会ったとき、「この人は大人しそうだな」「明るそうだな」と瞬時に印象を抱きます。それは、相手の声のトーン、表情、服装、話し方などの一部分を切り取って判断しているからです。この一瞬の印象を「固定された特徴」として記憶に刻むのが人間です。

それは「静止した状態」で物事をとらえるということに他なりません。

この「静止」は便利です。なぜなら、私たちの脳は常に膨大な情報にさらされていて、それをすべて動的に処理することはできません。だからこそ、「あの人はこういう人」という枠を作り、処理の手間を省いているのです。脳にとっては効率的ですが、心にとっては不自由かもしれません。

しかし、人の性格や状態というものは、常に動いています。昨日は明るく振る舞えたけれど、今日は少し静かにしていたい。そういう日もあるでしょう。誰にでも、明るい面と暗い面、優しい部分と冷たい部分があります。それらは「静止した写真」ではなく、「流れる映像」のようなものです。

「この人はこういう人」と決めてしまうと、その人の今を見なくなってしまいます。それは自分自身にも言えることで、「私はこういう人間だから」と自己定義を固定しすぎると、本当はもう変わり始めているのに、その変化を否定してしまいます。

だからこそ、「物事を静止した状態で捉えてはならない」という言葉は、人を自由に見るため、自分を大切にするための、深い知恵なのだと思います。

◯思い通りにいかない人生をまるごと引き受ける

 

「一切皆苦(いっさいかいく)」。これは仏教の教えで、人生は思い通りにならないという意味ですが、別の角度から見ると、「人間が感じる刺激は痛みだけ」だという意味でもあります。

どういうことか?というと、人生では良いことも悪いことも同じ程度起こっているはずなのです。でも、私たちは悪いことの方にばかり反応しがちです。

たとえば、10人から「あなたの話、とても良かったよ」と言われても、1人に「なんかイマイチだった」と言われたら、その1人の言葉ばかりが心に残る。人は、ポジティブよりもネガティブに強く反応する生き物なのです。

だからこそ、「決めつけられている気がする」とか、「偏見で見られて苦しい」といった感情が浮かぶのも自然なことなのです。質問者さまが感じている「辛さ」「気づきすぎて苦しい」という状態は、むしろ人間としての感受性が高く、細かい違和感をキャッチできている証です。

けれど、この「気づきたくないことに気づいてしまう」感覚は、とてもつらい。誰かのふとした目線、言葉、その裏にある「ラベル」を感じ取ってしまう。そうすると、自分の存在が雑に扱われているような気持ちになります。そして「自分っていったい何なんだろう」と、自分すら信じられなくなってくるのです。

でも大切なのは、それを「受け入れること」です。

人間は不完全な存在です。判断するときに雑になってしまうのです。無意識にラベルを貼ってしまう。それを全てやめることは、正直なところ不可能です。

だからこそ、偏見や決めつけに気づいたとき、「またやってしまった」「でもそれが人間だ」と、自分も他人も少しゆるく許してあげることが大切なのです。

「一切皆苦」とは、思い通りにいかない人生をまるごと引き受けるという生き方です。

完璧を目指すより、ゆるやかに不完全さを受け入れること。そこに人間らしい強さと優しさが宿るのです。

◯“今この瞬間の自分”を大切にする

 

「人は“今この瞬間”だけを生きている」。これは心理学者ヴィクトール・フランクルの思想にも通じる考え方です。

彼は、どんな絶望の中でも“意味”を見出すことで人は生きていけると言いました。

これは、「人は決めつけで生きているのか?」という問いにも繋がります。人間は、今の状況を把握するために、限られた情報で世界に意味を与え、判断し、行動します。

それが「偏見」や「決めつけ」になることもあります。

でも、それは悪いことではありません。それは、生きるために必要な“思考の近道”なのです。問題なのは、その意味づけを絶対視してしまうことです。

「あの人は明るい」→「だからいつも元気なはず」

「私は真面目」→「だから柔軟にできない」

こうやって、意味づけが固定されてしまうと、人は苦しくなります。特に、自分に貼ったラベルが、自分の内面とズレていると、「本当の自分はこうじゃないのに」と苦しくなってしまいます。

質問者さまが「最近、気づきすぎて辛い」「自分を見失いそう」というのも、自分の内面と、他人のラベル、自分の思い込みとのズレに苦しんでいるからなのだと思います。

でも、その苦しさは、「見ようとしている証拠」でもあります。

多くの人は、そのズレに気づかないまま、無意識に合わせて生きています。でも、質問者さまは気づいているのです。だからこそ、悩んでいるのです。

そんなとき大切なのは、「じゃあ、自分はどうしたいのか?」という問いを持つこと。他人のラベルではなく、自分で自分を定義してあげることです。

「今日は元気だけど、明日は無理しない」

「静かにしていたい時も、自分でOKを出す」

「優しくなれない自分にも、意味があると認める」

そうして、“今この瞬間の自分”を大切にする。昨日でも明日でもなく、「今この自分」を丁寧に扱う。それが、自分を見失わない生き方です。

フランクルは、「人間は何をされるかではなく、それにどう応答するかによって決まる」と言いました。

誰かに決めつけられても、それをどう受け取るかはあなたが選べます。

生きるのが怖いときは、まず“今”に目を向けて、「私は今、どうしたい?」と自分に問いかけてください。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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