幸せで死にたい|心が満たされた証拠

幸せの絶頂で「もう死んでもいい」と感じる不思議な心の正体について考えます。
それは決して悲しいことではなく、自分の力で幸せを生み出せるようになった証拠かもしれません。
外側の環境に頼らず、今の瞬間を最高の場所に変える力が身につくと、生と死の境界線は穏やかに溶けていきます。
どこにいても自分らしく輝ける、究極の心の自由を手に入れるための考え方を丁寧にお話しします。
今日は「幸せで死にたい|心が満たされた証拠」と題して、幸せで死にたいについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!
今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。
●【ド正論!】小野田紀美「戦争なんて絶対したくないです」国防とはこういうこと
●幸せで死にたい|心が満たされた証拠
○幸せで死にたい|心が満たされた証拠
ただ気になる質問なので、深くは捉えないでください。
最近幸せを感じると、もう死んでもいいなと思ってしまいます。
前から死んでもいいなという気持ちはずっとあるのですが(理由は分かっています)最近は幸せを感じるとその気持ちが溢れてしまいます。
ただ、マイナスな死んでもいいなじゃないんです。
こう思ってしまう方、他にもいらっしゃいませんか?
一体この感情の正体はなんですか?
誰に言ってもあまり理解されません。
ちなみに、自傷行為も自殺を図ったこともありませんし、この先もやるつもりはありません。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12325523792)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
この世とあの世の区別がない、あるいはその境界線がとても薄くなっている状態といえます。
心の本音の部分で「どこにいても、どんな状況であっても自分は幸せを感じることができる」という強い安心感を持っていると、場所や時間の違いを超えて、どこへ行っても大丈夫だという気持ちになります。
これは、自分の外側にある環境や、他人の言葉、世の中の出来事に心を振り回されることなく、自分自身の内側から静かに幸せを生み出す力を持っている証拠です。
そのような穏やかな気持ちに包まれている状態こそが、人間にとっての本当の幸せではないでしょうか。
その幸せな気持ちが最高に高まって、心が満杯になると、今の体や命という形に強くしがみつく必要がなくなります。
無意識のうちに「今のこの瞬間がこれほどまでに満たされているのなら、いつ人生が終わっても、その先の見たことがない世界でも自分は同じように幸せでいられるはずだ」と思えるようになるのです。
これは決して投げやりな気持ちや、生きることを諦める暗い感情ではありません。むしろ、今この瞬間を心から大切にし、命を精一杯に使っているからこそたどり着ける、究極の「心の自由」なのです。
生きることと死ぬことを別々のものとして分けるのではなく、一つの大きな安らぎの流れとして感じているため、死ぬことへの怖さが消え、ただただ「ありがとう」という感謝の気持ちだけが溢れてくるのでしょう。
誰かに説明してもなかなか理解されにくい感覚かもしれませんが、それは自分自身の心が、外の世界の助けがなくても自分で輝いているという、とても素晴らしい状態にあることを示しています。
このように、自分の力で幸せを感じられる心があれば、この世界にいても、もし別の世界に行ったとしても、変わらずに幸せでいられるという確信が持てるようになるのです。
◯何があっても、どこにいても大丈夫
「環境や他人に左右されずに自らの力で幸せを作れる」ことが一番幸せな状態だとすると、反対に、自分の幸せを周りの状況にすべて任せてしまっている状態は、とても不安定で、不自由なものだといわなければなりません。
世の中の多くの人々は、「もっとお金があれば」「もっと優しい人がそばにいれば」「もっと良い生活ができれば」という条件がすべてそろわなければ、幸せになってはいけないという決まりを自分自身に作っています。
しかし、「何かがなければ幸せになれない」という考え方は、裏を返せば、その条件がなくなった瞬間に自分は不幸になってしまうという恐怖を、いつも抱え続けていることと同じなのです。
たとえ一時は思い通りに完璧な環境が手に入ったとしても、その喜びはやがて毎日の生活の中に混ざり、「当たり前」のことになってしまいます。すると、人間はまた新しい「足りないもの」を探し始め、いつまでも満足できない状態が続いてしまいます。
たとえば、どれほどきれいな景色の中にいても、心がその美しさを感じる準備ができていなければ、そこはただの場所でしかありません。
最高の幸せとは、外からプレゼントとしてもらうものではなく、どんなに厳しい冬のような大変な状況であっても、自分の中に温かい光を灯し続けられる力そのものを指す言葉なのです。
自分の外側に答えを求め続けているうちは、心はいつも風に揺れる木の葉のように、落ち着かないままです。
自分の力で幸せの種をまき、育てることができる人だけが、外の世界で何が起きても変わらない平穏な心を手に入れることができます。
その強さが身についたとき、人は「何があっても、どこにいても大丈夫だ」という気持ちになり、生きることへのこだわりからも自由になれるのです。
それは、外側の世界に支配されない、本当の意味での自立した心を持っているということでもあります。
◯「今」を最高の場所にする
厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)。これはかつて徳川家康が大切にしていた言葉です。
もともとは仏教から生まれた言葉で、いろいろな意味がありますが、「汚れ傷ついたこの世界を、そのまま清らかな場所(浄土)にすることを目指そう」という意味で使われることがあります。
この考え方は、「今生きている世界を、自分たちの手でより良いものにしていこう」という前向きな姿勢を表しています。
多くの人は「死んだあとに天国へ行く」と考えがちですが、この言葉が教えてくれるのはその逆です。自分が今生きているこの場所を、少しでも穏やかで幸せな場所に近づけることを目標にする。それが本当の意味での「幸せを求める」ということなのです。
本当の幸せに気づくことが、生きている「今」を天国のような場所にすることに繋がります。
幸せというものは、死んだ後にたどり着く遠い場所にあるのではなく、今この瞬間の、目の前にある当たり前の生活の中に自分自身の手で創り出していくものなのです。
自分が今ここにいて、息をして、小さな喜びを丁寧に見つけることができるようになると、生きている「今」という時間そのものが輝き始めます。そうなると、この世界で生き続けることと、別の世界へ行くこととの間に、大きな違いや壁はなくなります。なぜなら、どちらの世界にいたとしても、自分自身が幸せの源である限り、そこは常に最高の居場所になるからです。
「死んでもいい」と思えるほどの幸せな気持ちは、今の人生を嫌がっているのではなく、むしろ「今」を最高の場所にすることに成功したからこそ溢れてくる光のようなものです。
その光を大切に持って歩んでいくことが、人生をより深く、より穏やかなものにしていく道となります。
生きている今がすでに最高に幸せであれば、未来や死んだ後のことを心配する必要はなくなります。その安心感を持って毎日を過ごすことこそが、私たちが目指すべき、本当の素晴らしい生き方といえるでしょう。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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