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愛されたいから善良であろうとするのは偽善か|素直に生きる答え

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人が善良であろうとするのは、愛されたい気持ちや保身の欲求が背景にあります。

これは特別ではなく誰にでも共通する自然なことです。

ただし「良い人」であることにこだわりすぎると、かえって人との距離を生みます。

大切なのは偽善かどうかを気にすることではなく、自分に素直に生きること。

素直さこそが人の心に響き、結果として人から愛されることにつながります。

今日は「愛されたいから善良であろうとするのは偽善か|素直に生きる答えと題して、善良であろうとするのは偽善かについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。


そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
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●愛されたいから善良であろうとするのは偽善か|素直に生きる答え

 

○愛されたいから善良であろうとするのは偽善か|素直に生きる答え

 

私が善良であろうと心がけていたのはただ人から愛されたかっただけなのです。それと、いざというときの正当性ですね。道徳的優位で保身するためです。

ごく小さい頃は本当に善意がありましたが、徐々になくなりました。道徳を盾にしますが人の気持ちは分かりません。そういえ人はいるでしょうか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12319613572

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。





こういうことは他人と比べられないので、自分のことしかわかりませんが、皆同じではないかと思います。

もし、この世界に自分しかいなければ、愛されたいと思うことも、そのために善良であろうとすることもないでしょう。なので、自分以外の他人と関わる以上、誰もが愛されたいがために、その人(目の前にいる人)にとって善良であろうとするのではないでしょうか。特別な感覚ではなく、むしろごく普通のことだと思います。

 

ただ、そのことに気づかずに生きている人の方が多いのかもしれません。

多くの人は「私は善意で行動している」と思い込んでいますが、深く掘り下げれば「認められたい」「嫌われたくない」「大切にされたい」という欲求に行き着きます。質問者さまが自覚しているように、道徳的な行動の裏側に愛されたい気持ちや保身の本能があるのは、誰にでも共通しているのです。

小さい頃はその仕組みに気づかず、純粋な善意と信じていたけれど、大人になるにつれて「自分はなぜ善良であろうとするのか?」と考えた結果、その背景を理解したのではないでしょうか。

 

ですから、「偽善のようだ」と感じるとしたら、それも自然なことです。しかし、自覚があるかどうかの違いだけで、人は皆同じように生きているのだと思います。善良さを演じていると感じても、それは人と関わる以上ごく普通のことであり、むしろ人間らしい営みの一部なのです。

◯「相手を尊重する」「自分を偽らない」といった態度

 

良い人であろうとすることは、自分以外の誰かよりも良い人であろうとすることです。言い換えれば「悪人」を作ってしまう行為でもあり、逆に自分を「悪人」に追い込んでしまう危険性もはらんでいます。

たとえば「私は正しいことをしている」と思えば思うほど、そこには「正しくない人」が存在してしまいます。善と悪は常に対になって存在し、比較の中で生まれるものだからです。

 

さらに「愛」を語ることにも同じ構造があります。

多くの人が「愛は素晴らしい」と口にしますが、それは「愛という感情そのもの」を讃えているのではなく、「愛を語れる自分」を特別に見せたい欲求が含まれていることも少なくありません。つまり、「愛を理解しない人」や「愛を表現できない人」を下に見てしまうのです。善や愛を語るとき、その影には必ず「そうでない存在」を生み出してしまうリスクがあるのです。

 

だからこそ、「良い人」であることにこだわりすぎると、かえって人との間に距離ができることもあります。自分をよく見せたい気持ちは自然なものですが、それが強くなりすぎると「私は正しいのに、なぜ周囲はわかってくれないのか」という孤独感を生み出してしまいます。善を装うことも愛を語ることも、結局は「自分をどう見せたいか」という欲望とつながっているのです。

 

大切なのは「良い人」に見えるかどうかではなく、「自分と他者が共に生きるために、何が必要か」を考えることです。

そのとき、善や愛という言葉にとらわれすぎず、もっとシンプルに「相手を尊重する」「自分を偽らない」といった態度を心がける方が、かえって人との関係は健やかになるのではないでしょうか。

◯善や悪というラベルを気にしない

 

善良であろうとする気持ちは、結局「人にどう思われたいか」に結びついています。しかし、本当に大切なのは「どう見られるか」よりも「どう在りたいか」です。道徳や善良さは人間関係を円滑にするために役立つ道具ですが、それを盾にしてしまうと、かえって自分の心を縛ってしまいます。

 

人から愛されたいと思うことは自然な欲求ですが、それだけに依存してしまうと、常に他者の評価を気にし続ける生き方になります。その結果、自分の本当の気持ちを見失い、「人の気持ちがわからない」と感じることも出てくるでしょう。ですが、それはあなたが冷たい人だからではなく、むしろ自分を守るために心が反応している証拠です。

 

では、どうすればよいのか。それは「善良であるかどうか」にこだわらず、もっと素直に生きることです。「愛されたいからこうする」と自覚できるなら、それも立派な正直さです。あるいは「人の気持ちはわからないけれど、それでも相手を傷つけたくない」と思うことも、十分に人間らしい態度です。善や悪というラベルを気にせず、自分の心を正直に見つめることこそが、本当の意味での人間関係を築く出発点になるのです。

 

つまり、善良さを演じる必要はありません。偽善かどうかを気にする必要もありません。大事なのは「自分はどう感じ、どう行動したいのか」を誠実に選び取ることです。そうして生きていくうちに、結果として人から愛される存在になっていくのではないでしょうか。善を意識するよりも、素直であることの方が、ずっと人の心に響くのです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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