相手が『私』を見て不快に思うのは?|相手に自分の姿を見る
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今日のテーマは、昨日のテーマと重複しています。
『相手の姿から自分を知る』ということです。
相手が悪いor『私』が悪いというのは二元論です。
それをひとつにしていくとは、どういうことか?
今日は『相手が『私』を見て不快に思うのは?|相手に自分の姿を見る』と題して、相手に自分の姿を見るについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
相手が『私』を見て不快に思うのは?|相手に自分の姿を見る
相手の姿、態度は『私』のあり方を教えてくれる鏡
信念があるだけで、嫉妬されることはありますか?
私は、落ち着いています。カチャカチャしている人達から、あまり好かれていません。
負けている、とか思うんですか?
マウント取られることが、毎日あります。
仕事もできないのに、生意気と見られているのでしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11268162831)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
自分と違う考えの人がいると、そう言われているわけではないのに自分が否定されているような気持ちになって、心がざわつくということがあります。
僕はどちらかというとカチャカチャしている方です。
以前に接客をしていると、自分では普通に接客しているつもりなのに、お客様から不快な顔をされました。
お客様からすれば、急かされているように感じたのだと思いました。
遅いことを責められているように感じさせたのだと思うのです。
この質問者さんとは、逆のパターンですね。
落ち着いているとのことなので、きっと、カチャカチャしている人たちからしたら自分が否定されているような気持ちになるのでしょう。
信念があるということは、自信もあるのだと思います。
それがなおさら、そう感じさせるということがあったのかもしれません。
相手の姿、態度は『私』のあり方を教えてくれる鏡です。
相手が『私』を見て不快な態度を取るということは、『私』が相手にとって不快な気持ちにさせる姿であるということです。
『私』がどういう気持でいるとか、がんばっているとか、そういうこととは別の問題なのです。
『私』は相手にそう映っているんだと気づく
若い人の育て方|『私』がいるだけで、現場がピリッとする
今日のテーマは、昨日のブログと原理は同じです。相手は『私』のあり方を映す鏡なのです。
昨日のブログでは、若い人が仕事が出来ないのは、それを許している、『私』を含めた周囲のせいでもあるということを書きました。
つまり、この人の前では『これくらいでいい』と思われているということです。
もし、『私』が尊敬されていたり、憧れの先輩、上司であったなら、若い社員は『私』がいるだけでピリッとした勤務態度になるし、普段以上にがんばりを見せるでしょう。
そうならないのは、それが『私』の普段のあり方を映し出しているのです。
つまり、気づいたことを言わない姿は、『言わない』『見ていない』『許している』と思われているのです。
実際は見ていて、腹立たしい気持ちになっていたとしても言わなければ、それは見ていないと同じなのです。
それが『私』あり方であり、その姿が相手を通して映し出されているのです。
なので、相手を単純に否定するのではなく、そうか?!『私』は相手にそう映っているんだと気づいて『私』を変えていくということが大切なのです。
相手に自分の姿を見ることで、ひとつになる
『相手を変えるのではなく、自分を変える』と、よく言われます。
それでは、いつでも『私』が悪いのか?と思うかもしれませんが、そうではありません。
昨日書いたことと重複しますが、相手には相手の課題があり、『私』には『私』の課題があるのです。
信念があり、落ち着いた生き方をしている『私』を見て、相手が不快な気持ちになるということは、相手が自分の信念に自信がないことの表れなのです。
『私』は、その相手の姿をみて、『私』の態度が相手にそういう気持ちを感じさせているのだと気づくことが出来るのです。
相手は自分の課題と向き合い、『私』は『私』の課題に向き合うのです。
相手は『私』のことを責めてくるかもしれません。
そうしたときに、相手を責めるのではなく、相手の姿から『私』のあり方に気づいて、『私』を変えていくのです。
そうすれば、今度はその姿が相手にどう映るでしょうか?
その姿が立派だな、尊敬するなと、憧れる要因になるかもしれません。
そうして、その人の姿、態度が変われば、それが今の『私』のあり方を映し出しているというわけです。
『私』と相手(世界)は、1セットというわけです。
相手が悪いor『私』が悪いというのは二元論です。
それもこの世界のひとつの見え方ですが、それでは対立しか生まれません。
相手に自分の姿を見ることで、ひとつになる。
そうすることで、私が変わり、相手が変わる。
それが一元論で、この世界を生きるということなのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
相手が『私』を見て不快に思うのは?|相手に自分の姿を見るのまとめ
今日は『相手が『私』を見て不快に思うのは?|相手に自分の姿を見る』と題して、相手に自分の姿を見るについて考えました。
相手の姿、態度は『私』のあり方を教えてくれる鏡
相手の姿、態度は『私』のあり方を教えてくれる鏡です。
相手が『私』を見て不快な態度を取るということは、『私』が相手にとって不快な気持ちにさせる姿であるということです。
『私』がどういう気持でいるとか、がんばっているとか、そういうこととは別の問題なのです。
『私』は相手にそう映っているんだと気づく
相手の姿が相手を通して映し出されているのです。
なので、相手を単純に否定するのではなく、そうか?!『私』は相手にそう映っているんだと気づいて『私』を変えていくということが大切なのです。
相手に自分の姿を見ることで、ひとつになる
相手が悪いor『私』が悪いというのは二元論です。
それもこの世界のひとつの見え方ですが、それでは対立しか生まれません。
相手に自分の姿を見ることで、ひとつになる。
そうすることで、私が変わり、相手が変わる。
それが一元論で、この世界を生きるということなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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