嘘をついている自分の受け入れ方|世界から与えられた私への課題
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嘘をつきたいくないのに、ついてしまった嘘というのはあると思います。
本来、嘘を一度もつかずに生涯を終える人もいないでしょう。
だとしたら、そんな自分をどう受け入れていくのか?どう取り扱うのか?はとても大切な生き方になってくると思います。
今日は『嘘をついている自分の受け入れ方|世界から与えられた私への課題』と題して、嘘をついている自分の受け入れ方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
嘘をついている自分の受け入れ方|世界から与えられた私への課題
嘘をついている自分の受け入れ方
正直に誠実に生きることが大事だと思って生きてきましたが
大きな嘘をついて人を欺いてしまいました。
いまだに嘘はついた状態です。
自分自身の保身のためについた嘘です。
ですが正直に打ち明けたところで許されるはずもありませんし自分はもちろんですが相手にも大きなショックを与えるのは間違いないです。
保身7割、相手のためを思ってこのまま黙っておく3割という感じです。
正直に誠実に生きるのが大切だと常から思っていますが
今までに嘘をついたことがないかと言われるとそうでなく嘘をついたことは何度もあるはずです。ただ自分の中で今回の嘘は自分の人生において最大の嘘。だと思っています。倫理に反することでもあります。
打ち明けられるはずもありません。
嘘をついた事実をどう受け入れていけば良いでしょう。
ただ嘘をついた自分から逃れたいだけのように感じています。
自分の価値観に反することをしてしまい
嘘をつくという現在進行系の場合の
受け入れ方や考え方
なにかありましたらアドバイスいただきたいです。
よろしくお願いします。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14268244674)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
『ともいき』では、『自分に素直に正直に』ということを大切にしています。
換言すれば『自分に嘘をつかない』ということです。
ですが、他人や世間に対して嘘を一度もつかずに人生を終える人はいないと思います。
なので、自分に素直に正直に生きるとは?
他人や世間に対して嘘をついたとしても、嘘をついたことを自分に嘘をつかないことです。
嘘をつくことを肯定しているわけではありません。
嘘をついたことを悩むということは、質問文にもあるように本来正直に誠実に生きてきたからです。
つかないですむ嘘ならつかなかったはずだと思うのです。
内容がわからないので、無責任なことを言うようですが、この嘘をつき続けることで、今後被害が大きくならないのであれば、打ち明ける必要はないと思います。
おそらく、打ち明ける方が事態が悪くなると感じるからです。
そして、嘘をついたことよりも、嘘をつかないといけなくなるような出来事が今後起きないように気をつけて生きていくこと。
それが受け入れるということだと思います。
世界から与えられた私への課題
嘘をつかないといけなくなった原因が他人にあるという場合もあると思います。
その場合、『嘘をつかないといけなくなるような出来事が今後起きないように気をつけて生きていく』ことが難しいと思うかもしれません。
自分の努力ではどうしようもないと思うということです。
ですが、他人の起こすことまで自分には管理不能だと決めてしまうと、今後も同じことが繰り返し起こる可能性があります。
これは『世界から与えられた私への課題』だと考えられるのです。
嘘をつく人がいるということは、嘘を見逃した人がいるということでもあるし、嘘をつかないといけななくなるような出来事を起こす人がいるということは、それを見逃した人がいるということなのです。
つまり、『私への課題』は、見逃さない人になることではないか?と思います。
他人がそのようなことを起こさないように努めることです。
つまり、自分の視野をそこまで広げて気づくこと。そして気がついたときには、相手に対して戒めることが出来る人になるということです。
自分の管理可能な範囲を広げることで、自分が嘘をつかなくてすむようになる。
そうすることで、自分が本来生きたい生き方が出来るようになるのです。
すべては今のためにあったこと
終わったことは変えられません。
終わったことをなかったことには出来ません。
『自分に素直に正直に』生きることの意義というのは、『すべては今のためにあったこと』にすることです。
つまり、今回の質問のように自分の価値観に反した生き方を余儀なくされた場合でも、それを受け入れて、そのことから学び、今後に活かすことです。
ですから、自分に不都合なことが起こったら、これは『世界から与えられた私への課題』と考えることが出来るのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
嘘をついている自分の受け入れ方|世界から与えられた私への課題のまとめ
今日は『嘘をついている自分の受け入れ方|世界から与えられた私への課題』と題して、嘘をついている自分の受け入れ方について考えました。
嘘をついている自分の受け入れ方
嘘をついたことよりも、嘘をつかないといけなくなるような出来事が今後起きないように気をつけて生きていくこと。
それが受け入れるということだと思います。
世界から与えられた私への課題
他人の起こすことまで自分には管理不能だと決めてしまうと、今後も同じことが繰り返し起こる可能性があります。
これは『世界から与えられた私への課題』だと考えられるのです。
嘘をつく人がいるということは、嘘を見逃した人がいるということでもあるし、嘘をつかないといけななくなるような出来事を起こす人がいるということは、それを見逃した人がいるということなのです。
つまり、『私への課題』は、見逃さない人になることではないか?と思います。
すべては今のためにあったこと
『自分に素直に正直に』生きることの意義というのは、『すべては今のためにあったこと』にすることです。
つまり、今回の質問のように自分の価値観に反した生き方を余儀なくされた場合でも、それを受け入れて、そのことから学び、今後に活かすことです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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