自力と他力|いつでも来た球を打てる自分でいる

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他力本願という言葉が『他人まかせ』という意味ではないことは、だいぶ浸透しているとは思いますが、他力とはどういう意味か?これはあまり浸透していないと思います。

おこがましいですが、解説をさせていただきます。

そして他力本願とともいきの関係についてご理解いただければと思います。

今日『自力と他力|いつでも来た球を打てる自分でいる』と題して、他力本願について考えます

 

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自力と他力|いつでも来た球を打てる自分でいる

自力と他力

『他力本願』という言葉が間違って使われることがあります。

他力本願は『他人まかせ』という意味ではありません。

他力本願は、もともと浄土宗の言葉で、他力とは『阿弥陀如来の力』のことを言います。

阿弥陀さまに念仏を唱える者を阿弥陀さまがすべて救いとってくださる。

救いとるとは、成仏させてくださるということです。

それが阿弥陀さまの本願であるということです。

他力本願とは、決して他人まかせという意味ではありません。

他力とは阿弥陀さまの本願力のことであり、言い換えると自然の力、大いなる存在の力ということです。

つまり、他力本願とは、自然の流れに身を任せるという意味です。

自力に対して他力ですから、自分の力でなんとかしようとすること。努力を否定しているのか?というと、もちろんそういうわけではないでしょう。

ただ、こうは言えないでしょうか。

人間は自然の力には勝てないと。

それは地震や台風のような災害だけを指しているわけではなくて、水が高きから低きに流れるといったシンプルなことも含めて、人間は自然の力には勝てないと思うのです。

自分でなんとかしようとしても自力の力などたかがしれているわけです。

自然の流れに乗る。

自然の力を借りる。

人間が自分の力でなんとかしようと思うことがおこがましいとさえいえるのです。