汚い言葉への反省|自分を許す
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言葉が汚い人が嫌いなのは、自分の中に同じものがあるからです。
自分の中にある嫌いな部分を相手が持っていると嫌悪感を持つのです。
他者に対する嫌悪は、自分の中にもあるのだと認識して、他者を許容することで自分自身を癒やすことができるのです。
今日は「汚い言葉への反省|自分を許す」と題して、自分を許すについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●汚い言葉への反省|自分を許す
○汚い言葉への反省
脳内で汚い言葉言うのをやめたい
気づくと言ってる
言葉が汚い人きらいなのに、脳内で言ってたら同じことよね?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14297242214)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
言葉が汚い人が嫌いなのは、汚い言葉を使う自分が嫌いだからです。
だから、言葉が汚い人のことを、脳内で口汚く罵ってしまい、そんな自分が嫌になっているのではないでしょうか。
どうやら、私たちの脳(意識)は、「私」と「他人」を区別しないようです。
つまり、自分なら汚い言葉を使ってよくて、他人は許せないということはなく、自分だろうが、他人だろうが、汚い言葉を使う人間のことが嫌いなのです。
他人は自分の映し鏡だと言いますが、そのことがここでも表れています。
他人のことで許せないのは、同じ部分が自分にもあるということです。
口には出さなくても、脳内で相手のことを汚い言葉で罵倒している自分のことが嫌いなのです。
とうぜん、汚い言葉を使う他人のことも嫌いです。
他人を見て、好きとか嫌いとか、それ以外にも様々な感情が湧きますが、同じことが自分の中にも必ずあります。
というのは、自分の中になければ、好き嫌いのジャッジができないからです。
自分の中になければ、他人の行動を見ても何も感じません。心が動きません。無関心ということです。
関心が起こるのは、自分の中にも同じものがあるからです。
自分が綺麗好きな性格だとしましょう。
だから、そうでない人、不潔で整理整頓の苦手な人が嫌いなのでしょうか?
実は、それだけでは、そうでない人を嫌いにはならないと思います。
綺麗好きな自分でも、たまに整理整頓ができていないことがあったり、汚れているのに放置してしまうことがあって、そんな自分が嫌いなのです。
だから、それと同じことをしている人のことを嫌いになるのです。
○自分を許す
本題は、汚い言葉を使うのを辞めたいということです。
汚い言葉を使う人が嫌いだから、その人のことを汚い言葉で悪く言ってしまうのです。
繰り返しになりますが、その根本の理由は、自分が、たとえ脳内であっても汚い言葉を使うからです。
これに関しては、「卵が先かひよこが先か」みたいですが、これは1セットなのでひとつのことだと言わざるを得ません。
結局は、原因は「私」にあるのです。
変な話ですが、「私」が、汚い言葉を使う人が嫌いでなければ、「私」が汚い言葉を使うことはなくなるのです。
しかし、嫌いなことを好きになることはできませんし、仮にできたとしても不健全です。
そこで、言葉が汚い人のことを許してあげるのです。
好きになる必要はありませんが、「そう言わなければやってられないのかな?」くらいに思うようにするのです。
それだけでも、汚い言葉を使う人のことを、脳内で汚い言葉で罵っていたことを、しなくなります。
仮に、自分が脳内で使う「汚い言葉」のうち、半分が汚い言葉を使う人のために使われていたとしたら、半分はなくなるわけです。
それだけでも、自分に対する嫌悪が、だいぶ小さくなります。
そして、これが一番の効用ですが、それは、相手を許しているようで、それは同時に自分を許していることになります。
そうすれば、自分の心が癒やされて、汚い言葉を脳内で使うことが少なくなると思います。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●汚い言葉への反省|自分を許すのまとめ
今日は「汚い言葉への反省|自分を許す」と題して、自分を許すについて考えました。
○汚い言葉への反省
言葉が汚い人が嫌いなのは、汚い言葉を使う自分が嫌いだからです。
だから、言葉が汚い人のことを、脳内で口汚く罵ってしまい、そんな自分が嫌になっているのではないでしょうか。
どうやら、私たちの脳(意識)は、「私」と「他人」を区別しないようです。
つまり、自分なら汚い言葉を使ってよくて、他人は許せないということはなく、自分だろうが、他人だろうが、汚い言葉を使う人間のことが嫌いなのです。
○自分を許す
結局は、原因は「私」にあるのです。
変な話ですが、「私」が、汚い言葉を使う人が嫌いでなければ、「私」が汚い言葉を使うことはなくなるのです。
しかし、嫌いなことを好きになることはできませんし、仮にできたとしても不健全です。
そこで、言葉が汚い人のことを許してあげるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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