悩みの真実|唯ぼんやりした不安
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「悩みなき悩み」は、最も厄介で精神的に害が大きいです。
悩みは自由の障害でもありますが、悩みがあることで「自分」を意識することもできます。
悩みなき悩みに囚われず、具体的な自分の不安や欠落を見つけ出し、今を生きる喜びを見出すのです。
今日は「悩みの真実|唯ぼんやりした不安」と題して、悩みの真実について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●悩みの真実|唯ぼんやりした不安
○悩みの真実|唯ぼんやりした不安
何に悩んでいるのか分からなくて辛いです。2日前ぐらいから突然何かに悩まされています。まあ悩んでいる原因が分からない時点で大したことでは無いのだろうとは思っているのですが、気になって考えてしまいます。
こういう時ってどうやったら考えるのを辞めれますか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14296448364)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
「悩みがないことが悩み」。
実は、この悩みが悩みの中で、もっとも厄介で、しかも人間の精神にとって、もっとも害があるのではないかと思います。
原因がわからないから大したことがないと、軽く考えてはいけないと思うのです。
芥川龍之介は、芥川龍之介の遺書のひとつとされる「或旧友へ送る手記」の一文です。
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いた者はいない。
君は新聞の三面記事などに”生活難”とか、”病苦”とか、あるいわはまた”精神的苦痛”とか、
色々な自殺の動機を発見するであろう。
しかし、僕の経験によればそれは動機の全部ではない。
のみならず大抵は動機にいたる道程を示しているだけである。
少なくとも僕の場合は唯ただぼんやりした不安である。
何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。
芥川龍之介の遺書のひとつとされる「或旧友へ送る手記」より
悩みの中で、もっとも厄介だと言ったのは、悩みがぼんやりしていて、何かわからないことが、人間を一番不安にさせるからです。
○不安は自由のめまい
哲学者キルケゴールの言葉に「不安は自由のめまいである」という言葉があります。
何にも縛られず、自由になるということは、周りに自分を邪魔するモノが何もない状態です。
障害になる壁がないのです。
一見して、自由にどこへでも行けて、最高のようですが、それはいっときのことです。
悩みとは言ってみれば、自分を囲む壁のようなモノです。
そして、その壁が、実は「自分」という枠を作っているのです。
悩みがあるから「自分」を意識することができます。
もし、その壁がなかったら、空間には何もなく、自分が今どこにいるのかもわかりません。
自由になると、「自分」がわからなくなるのです。
それが、芥川龍之介の感じた「唯ぼんやりした不安」だったのではないかと思います。
悩みという壁がないと、「自分」を探して手を伸ばした時に、「自分」を感じられず、不安を感じるのです。
不安とは、自由の時に人間が感じる「めまい」のようなものなのです。
芥川龍之介が、生活難や病苦を自殺にいたる道程だと表現しているのは、人は悩みでは、自殺までには至らないということなのかもしれません。
悩みという具体的に取り組む課題がある間は、人は自殺を踏みとどまれる可能性があります。
悩みを解決した先に、「安心」「幸せ」があると思えるからです。
具体的な悩みの向こうにあるのは希望です。
ところが、「悩みなき悩み」は、解決すべき悩みもなく、したがって、悩みの先には不安しかないのです。
○「幸せと不幸せ」を行ったり来たりする
不安になった時、自分の周りを見渡してください。
何か足らないモノはありませんか?
自分が「今ここ」で幸せであるために足らないモノはないでしょうか?
たとえば、お腹が減っているでもいいし、モノが整理されていないでもいいし、読みかけの本があるでもいいです。
今ここで、自分が幸せであるために、欠けている小さな足らずを見つけてください。
そうすれば、それを埋めるために「今を生きる」ことができます。
具体的な悩みや課題ができて「自分」が見つかります。
誤解を招いてはいけないので補足しますが、足らずを探す人生が良いと言っているのではありません。
人は満たされても、満たされなくても不幸せになるのです。
満たされると、自分の価値を見失います。この世界で生きる意味を失います。
昨日の投稿に書いた、孫さんが世界一の資産家になった時に、モノを買う喜びが消滅したのと同じです。
しかし、足らなくても、やはり自分の価値を見失うのです。満たされない自分は、この世界で価値のない人間だと思ってしまうのです。
どちらかが正解ということはありません。
人間は、人生の中で、「満足と不満足」、「幸せと不幸せ」を行ったり来たりするのです。
大事なことは、今自分がどこにいるのか?
そして、今どちらに進まないといけないのか?を、自覚しながら生きることです。
足りなければ満たす、満たされていれば欠けているところを探すのです。
今この瞬間、自分はどっちに向かって進むのか、それをハッキリさせることが、今を生きることになるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●悩みの真実|唯ぼんやりした不安のまとめ
今日は「悩みの真実|唯ぼんやりした不安」と題して、悩みの真実について考えました。
○悩みの真実|唯ぼんやりした不安
悩みの中で、もっとも厄介だと言ったのは、悩みがぼんやりしていて、何かわからないことが、人間を一番不安にさせるからです。
○不安は自由のめまい
悩みとは言ってみれば、自分を囲む壁のようなモノです。
そして、その壁が、実は「自分」という枠を作っているのです。
○「幸せと不幸せ」を行ったり来たりする
人間は、人生の中で、「満足と不満足」、「幸せと不幸せ」を行ったり来たりするのです。
大事なことは、今自分がどこにいるのか?
そして、今どちらに進まないといけないのか?を、自覚しながら生きることです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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