怒ってもいいところ?怒るべきところ?|怒るというのは、ドアのノックのようなもの
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怒ることが悪いことか?
いつも言っていることですが、『やったこともやらなかったこともすべて自分に返ってきます』。
怒ることも同じで、良いところも悪いところもあり、すべては自分に返ってきます。
今日は『怒ってもいいところ?怒るべきところ?|怒るというのは、ドアのノックのようなもの』と題して、怒ってもいいところ?怒るべきところ?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
怒ってもいいところ?怒るべきところ?|怒るというのは、ドアのノックのようなもの
怒ることは悪いことか?
最近職場で「そんなに怒らないで」と言われました。
私としては瞬間的に怒りが爆発している感じではありません。
納得がいかない事に対して文句?を言っている感覚です。
注意を受けてから、怒らないようにするにはどうしたらいいかと考えていますが
最終的に「どうでもいい」という無関心に答えが向かっていく感じがします。
また、「怒るべきところではしっかり怒る事が大切」とも本によく書かれていますがその
怒るべきところと、怒らないでいいこと、の境界線がわかりません。
納得が行かないことに抗議するのが悪いことなのか、無関心にやり過ごすのか、その他の方法があるのか、よくわからなくなってしまいました。
怒らない様にしよう、と考えると悲しくて涙が出てきてしまう事に自分自身戸惑ってもいます。
思いがまとまらず乱文になってしまいましたが、何かアドバイスやオススメの本等紹介して頂けると助かります。
宜しくお願いします。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14267288474)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
怒ることは悪いことか?
怒ることが良いことと言う人は、おそらくいないと思います。
怒らないですむならば怒らない方がいいに決まっています。
ですが、怒らないとわからない人というのはいると思っています。
怒らないでも言えばわかると言う人もありますが、そんなことありません。
怒るという刺激がないと、心がコチラを向かない人がいます。
いわいる聞く耳を持たない人です。
聞かない人というのは、聞くと都合が悪いから聞かないという場合が多いと思います。
怒りっぽい人には怒りっぽいという課題があるように、怒られる人には怒られる人の課題があるといえます。
怒らないでも言えばわかると言う人に限って、怒るまで人の話を聞こうとしません。
怒る人も、だから怒っているという場合があるのです。
怒らないでも聞く耳を持って聞いてくれていたら、怒る必要はないのです。
たとえばの話ですが、謝っている人をそれ以上責めることはできませんよね?
それと同じです。
もちろん、すべての人がそうではないし、同じ人でも自分の都合を通したいために怒っているということもあるので、怒る人のすべてがそうだということではありません。
怒るというのは、『聞いてくれ』という心の叫びであることが多いと思います。
怒ってもいいところ?怒るべきところ?
質問の中に、怒るべきところと、怒らないでいいこと、の境界線がわからないとあります。
繰り返しになりますが、怒らないですむなら怒らない方がいいのです。
では、どういうときに怒らないといけないのか?
怒るというのは、ドアのノックのようなものだと考えています。
静かにノックして、部屋の中の人が気づいてくれれば、それ以上ノックする必要はありません。
ですが、静かにノックして部屋の中の人が気づかないようであれば、少し大きめの音が出るように強いノックをします。
それでも気づかなければ、更に強く。それでも気づかなければドンドンドンと強いノックが必要になります。
これが『怒るべきところ』だと思います。
怒るときの気持ちが嫌
元ジャイアンツのエースだった桑田真澄さんの話で『怒るときの気持ちが嫌』という話があります。
https://youtu.be/7a9pFOdkdGo
怒ったときの雰囲気とか気持ちとか、気持ちの良いものではありません。
なので、怒ることが良いとは思いません。
ただ、それよりもいけないのは、言うべきことを言わないことです。
最近は、自分さえよければいいという人が多くて、その場で何事もなければ、自分には関係ないといった人が多い気がします。
忖度したり、場の空気がどうのとか言って、大人しくしていること、言わないことが正しいみたいな風潮は、どんどん場を荒らしていくと思います。
ただ、自分イコール全体というか。自分は全体の一部なので、自分のためが、全体のためにつながっていれば最高だと思います。
つまり、みんなのために怒っているということです。
他人にも、そう映っていれば、『怒らないで』が『わかる』に変わるような気がします。
では、ごきげんよう。さようなら。
怒ってもいいところ?怒るべきところ?|怒るというのは、ドアのノックのようなもの(動画解説)
https://youtu.be/gKHAQsT5HaQ
怒ってもいいところ?怒るべきところ?|怒るというのは、ドアのノックのようなもののまとめ
今日は『怒ってもいいところ?怒るべきところ?|怒るというのは、ドアのノックのようなもの』と題して、怒ってもいいところ?怒るべきところ?について考えました。
怒ることは悪いことか?
怒らないですむならば怒らない方がいいに決まっています。
ですが、怒らないとわからない人というのはいると思っています。
怒らないでも言えばわかると言う人もありますが、そんなことありません。
怒るという刺激がないと、心がコチラを向かない人がいます。
いわいる聞く耳を持たない人です。
怒ってもいいところ?怒るべきところ?
怒るというのは、ドアのノックのようなものだと考えています。
静かにノックして、部屋の中の人が気づいてくれれば、それ以上ノックする必要はありません。
ですが、静かにノックして部屋の中の人が気づかないようであれば、少し大きめの音が出るように強いノックをします。
それでも気づかなければ、更に強く。それでも気づかなければドンドンドンと強いノックが必要になります。
これが『怒るべきところ』だと思います。
怒るときの気持ちが嫌
元ジャイアンツのエースだった桑田真澄さんの話で『怒るときの気持ちが嫌』という話があります。
怒ったときの雰囲気とか気持ちとか、気持ちの良いものではありません。
なので、怒ることが良いとは思いません。
ただ、それよりもいけないのは、言うべきことを言わないことです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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