全能感は悪者?|全能感が劣等感を包み込む
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全能感という言葉を初めて聞いて、素晴らしいなと思いましたが、たしかに全能感100%だと社会には適合しにくいだろうと思いました。
『自分には何でも出来る』という感覚はとても大切です。
ですが、それは周りの人の力や助けも必要だということを知った上での全能感であれば最高です。(それは全能感とは言わないようですが)。
今日は『全能感は悪者?|全能感が劣等感を包み込む』と題して、全能感は悪者?について考えます。
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全能感は悪者?|全能感が劣等感を包み込む
全能感は悪者?
謎の全能感がいくつになっても治りません
大きな挫折をしたことがないからだと思います。
この気持ちは捨てた方が良いですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12264669407)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
お恥ずかしい話ですが、『全能感(ぜんのうかん)』という言葉を初めて聞きました。
全能感とは
心理学用語で、「自分が何でもできる」という感覚を意味する語。 特に子どもの発達段階において、しばしば見られる現象である。 躁病や自己愛性パーソナリティ障害の構成要素の一つとされることもあり、自身の能力を過大評価してこの感覚を持つことによって、対人関係などに問題が生じる場合もある。
この全能感は、たいていの子どもは皆持っている感覚だそうですが、多くの場合、子どもが発達していく中で、挫折や思い通りにならないことを経験して、この全能感が薄らいでいくそうです。
いわゆる『大人になる』とは、この全能感が薄らいでいくことなのです。
まれに、この全能感を持ち続けて大人になってしまう人がいるらしく、それによって対人関係に問題が生じることもあり、それが生き辛さになることもあるそうです。
多くの挫折を経験して自分を信じられなくなって生き辛い思いをしているというのは、よく聞きますが、その逆のパターンです。
常々思っていることですが、どんなことでも偏ってはいけないと思うのです。
全能感100%でも、他人の気持ちがわからない人間になるし、劣等感100%では自分を信じられず、何もなし得ない人間になってしまいます。
どちらが良い悪いではありません。
では、真ん中が良いか?というと、それもある意味偏っているのです。
真ん中でないといけないという偏りです。
全能感が劣等感を包み込む
中庸という言葉がありますが、これはちょうど真ん中という意味ではありません。
例えば、『勇気』は蛮勇と臆病の中間的な状態である時はじめて『勇気』となりますが、蛮勇と臆病の両方を持ち合わせていてこそ本物の勇気です。
臆病な気持ちを知らないのであれば、ただの無鉄砲ですし、蛮勇の気持ちがなければ行動出来ません。
勇気の場合は、両方を知った上で少し蛮勇よりであるというのが理想です。
全能感自体は素晴らしい感覚です。
『自分は何でも出来る』
皆、最初はこの感覚を持って生まれてきたのに、現実の中で忘れ去ってしまっていたのです。
ただし、そればかりではいけないですね。
たいした努力もせずに『何でも叶う』という子どもがおもちゃをねだるような気持ちが抜けきらない人もいるようです。
ですが完全に失ってしまうのは勿体ない。
全能感は幼児性を手放せないと否定する意見もありますが、すべて悪ではないと思います。
『自分は何でも出来る。だが、それには努力と他人の助けが必要である』ということを知っている。
それが理想のような気がします。
つまり、全能感が劣等感を包括するような感覚です。
どちらも在るし、100%発揮しているのですが、全能感が劣等感を包み込んでいて、慎重だけど大胆に行動出来るということです。
なので捨てた方がいいか?という問いに対しては否というのが僕の意見です。
全能感上等
全能感を持つ大人の特徴を紹介したサイトがありました。
- 失敗をしても焦らない
- 他人のことを見下した発言をしがち
- 戦隊ヒーローの「レッド」になりたい
- 協調性がなくて団体行動が苦手
- 思ったことをすぐに口に出す
- 3度やってもうまく行かないことは投げ出す
- 人から指摘されると機嫌を悪くする
- 自分の都合よく解釈する
- 友達など、周りの人の自慢話には興味がない
- 誰が見ても「人に厳しく自分に甘い」
いくつか、自分に当てはまることがありますが、それは自分の悪いところではなく、良いところだと思っています。(これって全能感?(笑))
僕は、もともと劣等感の塊のような人間でしたから、全能感とは無縁の人だったと思います。
それが『聞く』ということを学んでから、自分を信じる力を養い、それが劣等感に押しつぶされていた全能感を喚起してくれたと思っています。
『聞く』ということの本質を学んだことは、自分の人生にとってかけがえないものになりました。
『聞く』ということは、『相手を信じる』ことですし、相手を信じるには自分を信じていないといけません。
そして、幸せになるということは他人を信じることでもあります。
『聞く』を学んだことは、僕の劣等感で押しつぶされた全能感を喚起させ、全能感が劣等感を包括することで、自分を信じ行動する勇気を養ってくれました。
それが今の幸福感につながっています。
なので全能感上等です。ただし、全能感が劣等感を押しつぶしてしまってはいけません。
ただの鼻持ちならない奴になってしまうので。
では、ごきげんよう。さようなら。
全能感は悪者?|全能感が劣等感を包み込むのまとめ
今日は『全能感は悪者?|全能感が劣等感を包み込む』と題して、全能感は悪者?について考えました。
全能感は悪者?
常々思っていることですが、どんなことでも偏ってはいけないと思うのです。
全能感100%でも、他人の気持ちがわからない人間になるし、劣等感100%では自分を信じられず、何もなし得ない人間になってしまいます。
どちらが良い悪いではありません。
では、真ん中が良いか?というと、それもある意味偏っているのです。
真ん中でないといけないという偏りです。
全能感が劣等感を包み込む
全能感は幼児性を手放せないと否定する意見もありますが、すべて悪ではないと思います。
『自分は何でも出来る。だが、それには努力と他人の助けが必要である』ということを知っている。
それが理想のような気がします。
つまり、全能感が劣等感を包括するような感覚です。
全能感上等
『聞く』を学んだことは、僕の劣等感で押しつぶされた全能感を喚起させ、全能感が劣等感を包括することで、自分を信じ行動する勇気を養ってくれました。
それが今の幸福感につながっています。
なので全能感上等です。ただし、全能感が劣等感を押しつぶしてしまってはいけません。
ただの鼻持ちならない奴になってしまうので。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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