河瀨直美さんの東大入学式での祝辞が波紋を呼んでいます
アドセンスに記述ミスがあります。一部のアドセンスは正しく表示されません。
映画監督の河瀬直美さんの東大入学式での祝辞が波紋を呼んでいると聞いて、You Tubeで聞きました。
とても真摯に伝えようとされている姿が素晴らしいなと思いました。
ただ口語の方がより気持ちが伝わったかなと。ないものを求めてはいけませんが、そっちを聞きたかったと思いました。
それはさておき・・・。
今日は『河瀨直美さんの東大入学式での祝辞が波紋を呼んでいます』と題して、河瀨直美さんの東大入学式での祝辞について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
河瀨直美さんの東大入学式での祝辞が波紋を呼んでいます
ロシアという国を悪者にするのは簡単である
令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様)全文
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_03.html
ニュースの切り取り方も悪いなと思います。
『ロシアという国を悪者にするのは簡単である』。
この部分だけを切り取って全体を流さず、どんな脈絡でその言葉が発言され、その後何を言ったのかがわからないようになっています。
ただでさえ誤解されやすい発言が、さらに誤解を招くような切り取り方です。
実は、このニュースをさっきまで知らなくてyahoo知恵袋でこんな質問があって知りました。
世の中は頭のおかしい人間ほど評価されるのでしょうか。河瀬直美という映画監督が、この御時世にロシアの侵略行為はウクライナのせい、と東大入学式で演説し、騒動になっています。この人について、まったく知らなかったのですが、フランスの文化受勲者でした。頭がおかしいと勲章がもらえるのでしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10260290070)
河瀬さんが言っているのは『一方聞いて沙汰するな』ということだと思います。
「それぞれの正義があるのだとしたら・・・」と述べられています。
正義というのは、それぞれにあります。
それは相手側からみれば、それぞれが悪なわけです。
そして第三者からみた正義にも、やはり正義と悪がある。
中国や北朝鮮からみた正義は、日本やアメリカの正義とは、恐らく違うのでしょう。
この質問者さんは、絶対的な正義や悪が存在すると思っています。
もし、そんなものがあるのなら、世の中そんな簡単なことはありません。
戦争はもちろん夫婦喧嘩だって起こりません。
ニュートラルな視点を持つ
正義とか悪というのは、どこで歴史を切り取るかで変わると思います。
確かに2022年2月24日以降の歴史では侵攻したロシアが悪です。
ですが、ウクライナはこれまで侵略を受け続けた歴史がある国です。
かつてはソ連の領土だった時代もあるわけです。
もともとは自国の領土だったというのがロシアの正義なのかもしれません。
だからとって、それが正当だと言っているわけではありません。
ただ、ロシアにはロシアの言い分もあるのだろうと。
河瀬さんは、そういう『ニュートラルな視点を持って生きていってください』ということを伝えるためのひとつたとえ話としてウクライナ侵攻の話しをされたのだと解釈しています。
東大卒業生の多くは日本という国家を運営する官僚や政治家になる人たちです。
そういう日本の未来を担う若い人たちへ最も大事な心のあり方を伝えられたのではないかと感じます。
悪を存在させることで安心していないだろうか?
河瀬さんはこうも言っています。
「悪を存在させることで安心していないだろうか?」。
この言葉の真意は深い。
自分以外を悪とした場合、自分は正義だとふんぞり返ることが出来るのです。
ウクライナのことで考えるから、わかりにくいかもしれませんが、身近な、たとえば夫婦喧嘩だと思ってください。
旦那を悪だとすれば、自分は何も変えなくていいのです。
ですが、たいていのことは自分が見方、考え方を変えれば解決してしまいます。
『他人を変えるのではなく自分を変える』でインターネット検索してみてください。
このことをテーマに書かれたブログやサイトが山ほど出てきます。
それとこれとは別ですか?
その正義は正しいのですか?
誤解されても困るので繰り返しますが、ロシアが正しいなんて言っているわけではありません。
当事者ですからないかもしれませんが、ウクライナ問題が解決したら是非ゼレンスキー大統領にぜひノーベル平和賞をと思っているくらいです。
いまさらウクライナ問題を精神論で解決出来るとは思っていません。
ただ、正義と悪の決着をつけたって何も解決しないのではないか?ということ。
そして、この戦争から人類は何かを学ばなければいけないはずです。
河瀬さんは、波紋が呼ぶことを承知でウクライナ問題をたとえに使われたと思います。
頭がおかしいどころか、とても勇気のある人だなと思います。
河瀨直美さんの東大入学式での祝辞が波紋を呼んでいますのまとめ
今日は『河瀨直美さんの東大入学式での祝辞が波紋を呼んでいます』と題して、河瀨直美さんの東大入学式での祝辞について考えました。
ロシアという国を悪者にするのは簡単である
河瀬さんが言っているのは『一方聞いて沙汰するな』ということだと思います。
「それぞれの正義があるのだとしたら・・・」と述べられています。
正義というのは、それぞれにあります。
それは相手側からみれば、それぞれが悪なわけです。
ニュートラルな視点を持つ
河瀬さんは、そういう『ニュートラルな視点を持って生きていってください』ということを伝えるためのひとつたとえ話としてウクライナ侵攻の話しをされたのだと解釈しています。
東大卒業生の多くは日本という国家を運営する官僚や政治家になる人たちです。
そういう日本の未来を担う若い人たちへ最も大事な心のあり方を伝えられたのではないかと感じます。
悪を存在させることで安心していないだろうか?
「悪を存在させることで安心していないだろうか?」。
この言葉の真意は深い。
自分以外を悪とした場合、自分は正義だとふんぞり返ることが出来るのです。
ウクライナのことで考えるから、わかりにくいかもしれませんが、身近な、たとえば夫婦喧嘩だと思ってください。
旦那を悪だとすれば、自分は何も変えなくていいのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません