他人の目を気にしなくていい理由
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他人の目を気にしない。
そう生きられたらいいと多くの人が思っていますが、なかなか出来ない。
それは他人の目を気にしないで生きたからといって、必ずしも幸せな人生が用意されているわけではないことに薄々気づいているからかもしれません。
ですが、それでも他人の目を気にせずに生きることを推奨します。
今日『他人の目を気にしなくていい理由』と題して、他人の目を気にしない生き方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
他人の目を気にしなくていい理由
善い心が世間で言う善い行いと一致するとは限らない
自分の心をわかってあげられるのは自分だけ
他人の目を気にしていたら自分の心に逆らって生きることになります。
ジャン・ヴァルジャンが世間の目を気にしていたら、パンを盗まずに19年間服役することはありませんでした。
ですが、姉の子どもたちを飢えて死なせてしまい。自分を責めて後悔して生きていくことになったかもしれません。
どちらの道を選んでも苦しいこともあるし、またその中で良いこともあるでしょう。
どちらを選んでも人生はすべて自分が引き受けるしかないということだと思います。
他人の目を気にして自分の思いを控えめにして生きていくことが世間とうまくやれて、それが生きやすいと感じれば、それもいいと思います。
ただ、どちらの生き方をしても他人は『私』の心まではわかってくれません。
どんなに胸の内をさらけ出したとしても、それを聞いて『うんうん』と頷いてくれたとしても、だから相手が100%わかってくれたわけではありません。
自分の心をわかってあげられるのは自分だけなのです。
悪いことをしたとして、なぜ悪いことをしたのか。その本当の真意をわかっているのは自分だけです。
悪いことを推奨しているのではなくて、自分の善は他人にとっては悪の場合もあるし、自分にとっての悪が他人にとっては善の場合があるということです。
この世界で起こっていることは目に見えないところで起こっている
他人の目を気にしなくていい理由のまとめ
今日『他人の目を気にしなくていい理由』と題して、他人の目を気にしない生き方について考えました。
善い心が世間で言う善い行いと一致するとは限らない
他人が見る目は、その人の行動や発言だけを捉えて言っているだけで、心までは見えていないということです。
その人がどんな意図があるのか、どんな思いを持っているのか、そんなことは他人にはわかりません。
ジャン・ヴァルジャンが子どもたちを救いたいという思いでパンを盗んでしまったように、善い心が世間で言う善い行いと一致するとは限らないのです。
自分の心をわかってあげられるのは自分だけ
人生はすべて自分が引き受けるしかないということだと思います。
他人の目を気にして自分の思いを控えめにして生きていくことが世間とうまくやれて、それが生きやすいと感じれば、それもいいと思います。
ただ、どちらの生き方をしても他人は『私』の心まではわかってくれません。
この世界で起こっていることは目に見えないところで起こっている
『私』たちは、目に見えないところで幸せになったり、不幸せになったりしているのです。
物質至上主義的な世の中にあって、実は心がすべてを支配しているのです。
だから、他人の目を気にせずに自分に素直に正直に生きて欲しいのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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