自然の摂理と意志|自分で生きる意味
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人は「自然の摂理に従う」と聞くと、自分の気持ちを我慢することだと思いがちです。
でも本当は、自分で考えて選ぶことも自然の一部です。
笑ったら相手が笑う、怒ったら空気が悪くなる。
それも自然の流れです。
自分の意志で生きようとすることは、自然にそむくことではありません。
それ自体が、自然の中で生きている証なのです。
今日は「自然の摂理と意志|自分で生きる意味」と題して、自然の摂理について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
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●自然の摂理と意志|自分で生きる意味
○自然の摂理と意志|自分で生きる意味
自然の摂理に従いたくありません。
俺は俺の意志で生きたいんです。あ…
もしかして…
俺は俺の意志で生きるという、そもそもそれが自然の摂理なんでしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11323469771)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
人間も自然の一部ですから、自分の心に素直に正直に生きることも自然の摂理といえるでしょう。
人間は心にもない言動をすることがありますが、それは人間の性であり、それも自然の摂理なのかもしれません。
時に心ない言動をしたとしても、世界(現実)とやり取りしながら、その場にあった反応をしていくことが自然の摂理に適っているということです。
人は「自然の摂理」という言葉を聞くと、抗えない運命や、従わされるルールのように感じることがあります。
しかし本来、自然の摂理とは外側から押し付けられるものではなく、内側から起こるものでもあります。人間も自然の一部である以上、心が動き、迷い、揺れ、時に偽りの言葉を口にすることさえも、人間という存在の自然な営みだといえるでしょう。
私たちは常に「正しくあろう」としますが、正しさとは後から振り返ってわかるものであり、その瞬間にはわからないことの方が多いものです。
だからこそ、人は心にもない言動をし、違和感を覚え、反省し、また修正していきます。この試行錯誤の連続そのものが、自然の流れの中にある人間らしい生き方なのです。
「自然に生きる」とは、感情を抑え込むことでも、理想像に無理に合わせることでもありません。むしろ、違和感を覚えた自分、失敗した自分、後悔する自分を含めて、その都度世界と向き合いながら反応していく姿勢こそが、自然の摂理に沿った在り方です。自然とは完成形ではなく、常に変化し続けるプロセスだからです。
人間が人間である以上、迷いは避けられません。だから「俺は俺の意志で生きたい」と感じること自体も、自然から外れたものではありません。
その意志が生まれた背景にも、環境や経験や感情があり、それらすべてが自然の連なりの中にあります。
意志を持つことは、自然に逆らうことではなく、自然の中で生きている証なのです。
◯常に自然の只中で生きている
自然とは「今」ということです。
今、目の前にある現実が自然です。今、目の前にある現実と共に生きていくこと。自分の言動に対して世界(現実)が反応してきます。それに対しては自分もまた反応する。それが自然の摂理です。
人間が空気を汚せば、緑を破壊すれば、海を汚せば、それに対して世界が反応してくるように、良くも悪くも人間は自然とやり取りしてきました。それが自然と共に生きていくことであり、自然の摂理です。
私が笑えば、目の前の人が笑い、自分が不機嫌になれば場の空気が悪くなります。これも自然の摂理です。
私たちは、常に自然の摂理の中で生きているのです。
自然の摂理を難しく考える必要はありません。
それは「今、この瞬間に何が起きているか」という、とてもシンプルな事実の積み重ねです。過去の後悔も、未来への不安も、実体として存在しているのは常に「今」だけです。この「今」に現れている現実こそが、自然そのものだといえます。
人は「自分の意志で生きたい」と思うとき、自然から距離を取ろうとしているように感じるかもしれません。しかし実際には、意志を持った瞬間もまた「今」であり、その意志が世界に働きかけ、何らかの反応を引き起こします。その反応を受けて、また次の選択が生まれる。この往復運動が、自然とのやり取りであり、摂理です。
自然災害や環境問題は、人間と自然の関係性をわかりやすく示していますが、同じ構造は日常の人間関係にも存在します。笑顔も、不機嫌も、無言も、すべてが場に影響を与え、空気を変えます。そして変わった空気は、必ず自分自身にも返ってきます。この循環から、人は逃れることができません。
つまり、自然の摂理とは「何を選ぶか」ではなく、「選んだ結果、何が起き、それにどう応じるか」という流れの中にあります。意志を持つことも、迷うことも、反発することさえも、すべては自然の循環の一部です。
私たちは自然の外で生きているのではなく、常に自然の只中で生きています。
◯今日も自然の摂理の中で生きている
自然の摂理に従いたくない、「俺は俺の意志で生きたい」、そう感じる瞬間こそが、人間として自然に生きている証なのかもしれません。
「従いたくない」と感じるのは、誰かに強制されている感覚があるからです。しかし自然の摂理は、命令でも規則でもありません。
ただ、起きたことに対して必ず何かが返ってくるという、極めて中立な仕組みです。その中で自分の意志を持つことは、自然に逆らう行為ではなく、自然の中で役割を果たしている状態だといえます。
意志とは、無から突然生まれるものではありません。過去の経験、感じた痛み、得た喜び、周囲との関係性、それらが積み重なった結果として、今この瞬間に立ち上がります。その意志が行動となり、行動が現実を動かし、現実がまた新たな感情を生みます。この連続性こそが、自然の流れです。
「俺は俺の意志で生きる」という言葉には、孤立や独立の響きがありますが、実際には世界との関係を断ち切ることはできません。どれほど自分本位に生きているつもりでも、世界は必ず反応し、その反応を無視することはできないからです。だからこそ、自分の意志で生きるとは、世界との関係性を引き受けることでもあります。
もしかして…と立ち止まったその瞬間に、すでに答えは出ています。疑問を持ち、考え、問い直すこと自体が、自然の摂理の中で起きている営みです。自然に従うか、意志で生きるかという二択ではなく、意志を持って生きることそのものが、自然の摂理の一部なのです。
自然の中で生きるとは、流されることではありません。抗い、悩み、選び続けることです。そのすべてを含めて、人間は今日も自然の摂理の中で生きています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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