自然に従って生きよ|今は今の最善を尽くす
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マルクス・アウレリウスの「自省録」にある「死んだ自分」として生きるとは、今目の前のことに集中して、迷いなく最善を尽くすことではないでしょうか。
先のことを考えず、自然に従って生きるということです。
今日は「自然に従って生きよ|今は今の最善を尽くす」と題して、自然に従って生きよについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●自然に従って生きよ|今は今の最善を尽くす
○自然に従って生きよ
「君の人生は終わったものと考え、死んだ人間として、残りの人生を「もうけもの」と見て、自然に従って生きよ。
運命が君に配る札を愛し、その札を紛れもない自分のものとして受け入れよ」
、
これは「自省録」に載ってた言葉です。
私は30代ですが、具体的にどう解釈すればいいでしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293053954)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
「自然に従って生きよ」。
そのためには、人生は終わったものと考えた方がいいのです。
この先も人生が続くと思っていると、先のことを考えてしまうからです。
これを選ぶ以外に道はないと内心ではわかっていても、先のことを思うと、人情としてその道を選べないことがあります。
先のことを考えずに、今ここ、最善の手を打つには、自分は死んだ人間として、私利私欲を考えに入れずに今目の前に来た球(現実)を打つのです。
運命が君に配る札(カード)とは、「目の前に来た球」(現実)であり、その札(カード)を自分のモノとして受け入れるとは、迷うことなく打つということです。
ありのままに現実を受け入れ、ただ当たり前に対応するということです。
これは人生の話のようですが、「今」を生きるための心構えの話です。
常に、今という時を、自然に従って生きるということではないでしょうか。
○今は今の最善を尽くす
なぜ、「今」を生きられないのか?
それは、今に集中して生きることができないからです。
もし、1時間後に死ぬことがわかっていたら、今できる最善のことを迷うことなくすると思います。
しかし、まさか1時間後に死ぬなんて思っていませんし、何なら永遠に生きるかのような気持ちで、今を生きています。
今こうすることが最善だと思っても、明日か、明後日か、一週間後か、一ヶ月後か、はたまた一年後か、今の選択がどう影響するかを想像してしまいます。
想像した通りになるかどうかもわからないのに、先のことを考えると、今最善だと思うことができなくなるのです。
明日か、明後日か、一年後か、その時が来たら、その時の最善を尽くせばいいのです。
だとしたら、今は今の最善を尽くせばいいはずです。
つまり、今は「今」を生きればいいのです。
○僕の自省録
「自省録」の名の通り、「君の人生は終わったものと考え、死んだ人間として、残りの人生を「もうけもの」と見て、自然に従って生きよ。運命が君に配る札を愛し、その札を紛れもない自分のものとして受け入れよ」とは、マルクス・アウレリウスの葛藤の言葉です。
「こうありたい」という生き方の目標であり、そう努めて生きても、なかなか思った通りには生きられないという自省の念が込められているのでしょう。
そんな自分をありのままに受け入れて生きていきたいというマルクス・アウレリウスの心の声を感じますが、そう感じるということは、それはまさに僕自身の心の声に他ならないと思いました。
改めて、このブログは、僕の自省録なのだと思った次第です。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●自然に従って生きよ|今は今の最善を尽くすのまとめ
今日は「自然に従って生きよ|今は今の最善を尽くす」と題して、自然に従って生きよについて考えました。
○自然に従って生きよ
「自然に従って生きよ」。
そのためには、人生は終わったものと考えた方がいいのです。
この先も人生が続くと思っていると、先のことを考えてしまうからです。
○今は今の最善を尽くす
今こうすることが最善だと思っても、明日か、明後日か、一週間後か、一ヶ月後か、はたまた一年後か、今の選択がどう影響するかを想像してしまいます。
想像した通りになるかどうかもわからないのに、先のことを考えると、今最善だと思うことができなくなるのです。
明日か、明後日か、一年後か、その時が来たら、その時の最善を尽くせばいいのです。
だとしたら、今は今の最善を尽くせばいいはずです。
○僕の自省録
自分をありのままに受け入れて生きていきたいというマルクス・アウレリウスの心の声を感じますが、そう感じるということは、それはまさに僕自身の心の声に他ならないと思いました。
改めて、このブログは、僕の自省録なのだと思った次第です。
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