自尊心の再生|真実の生き方で自信と誇りを取り戻す
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自尊心とは、自分を尊い存在と思う心のことです。
自尊心を向上させるためには、自分の生命が特別であること。それと同じように他人の生命も特別な存在で尊いということを知ることです。
今日は『自尊心の再生|真実の生き方で自信と誇りを取り戻す』と題して、自尊心について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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くろちゃんです。
自尊心の再生|真実の生き方で自信と誇りを取り戻す
尊くない生命など存在しない
自尊心を高める方法は何かありますでしょうか?
年齢を重ねるごとに自尊心が低くなっている自分がいます
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10281529400)
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
自尊心とは、読んで字のごとく自分のことを尊いと思う心のことです。
ですから、方法の前に本質的な問題として、どんな自分であれば自分のことを尊いと思えるのか?誇りに思えるのか?、さらに言うなら『なぜ?自分は尊いのか?』が大切なのであって、それが自分の中で定義されていないと表面的に自尊心を高める方法をいくら実践しても役に立ちません。
ボールを打つという目的を忘れて、ただなんとなくバットの素振りをしているようなものなのです。
どんな自分であれば、自分のことを尊い人間だと思えるでしょうか?
そして、なぜ?そもそも自分は尊いのでしょうか?
とても簡単です。『自分』という唯一無二の生命だからです。
自分の生命だけが特別という意味ではありません。どの人の生命も唯一無二です。つまり、誰もが特別な生命です。
西郷隆盛の座右の銘である『敬天愛人』は『天は人も自分も同じように愛してくださる。それと同じように自分を愛する心で他人を愛することが大事である。』という意味です。
つまり、自分の生命が特別なように隣にいる他人の生命も特別であるということです。
自分のことを尊敬するように他人のことも尊敬する心を持つことが大事なのです。
なぜ、そもそも『自分』は尊いのか?
なぜもへったくれもありません。生きている生命で尊くない生命など、そもそも存在しないのです。
生まれた時は満点
どんな自分であれば、自分のことを尊い人間だと思えるのでしょうか?
尊くない生命などそもそも存在しないのですから、どんな自分でも尊いのです。
ですが、そうは思えないことがままあるから困ったものなのです。
そもそも生きているだけで尊い生命であるということを踏まえて、どうすれば自尊心を高められるかを考えます。
まずは減点法だと考えてください。そもそも私たち人間は満点でスタートしたのです。
生まれた時は満点でした。
生まれた時には自尊心などなかったのです。自尊心という概念が必要なかったという意味です。
自分を疑ったり、蔑んだり、侮る心が微塵もなかったからです。
自分が尊いことが普通ですから、改まって自分を尊いと思う必要がなかったのです。
そこからスタートしたにも関わらず、なぜ自尊心は脆くも崩れてしまったのでしょう?
それは自分を信じられる生き方をしてこなかったからです。
嘘をついたり、誤魔化したり、他人の見ている前ではいいカッコをし、見ていないところではサボったり・・。
そういう自分への数々の裏切りが、自尊心をガタガタにしてしまったのです。
ですが、生きていれば、自分を偽り、仕方なく周りに合わせてしまうことがあります。
歳を重ねれば重ねるほど、自分に嘘をつき傷つけることが多くなります。
歳を重ねるほど自尊心が低くなるのはそのためなのです。
傷ついた自尊心を癒やす唯一の方法
本題ですが、どうすれば自尊心を高められるでしょうか?
自分が正しいと思う生き方をすることです。
そうすれば、自尊心が高まり、自信と誇りがもてるはずです。
たとえ、常識やルールに沿った生き方をしても、自分が正しいと信じる道でなければ、自分への疑いが生まれます。
『あの人がこう言ったから』は、自尊心の前では全く力がありません。
人生で、人のせいにできることは一切ないと思ってください。
社会的には責任を負うことはなかったとしても、だからといって『自分』から許されることはありません。
ドラマ『イチケイのカラス』の中で、竹野内豊さん演じる入間裁判官が黒木華さん演じる坂間裁判官に『マラドーナの神の手ゴール』の話をたとえ話に、こんな話をします。
元アルゼンチン代表のマラドーナ。
1986年FIFAワールドカップメキシコ大会準々決勝イングランド戦で決めた神の手ゴール。
君はどう思う?
ゴール前にあがったボールにマラドーナは手を使いヘディングのようにしてゴールを決めた。
この試合を裁いた主審は後に言った。
『副審はゴールを指していたし自分にはハンドは見えなかった。その会場にいた8万人も同じように気づいていなかった。
間違っていたのは僕ひとりじゃない。会場全体だよ』と。
これ裁判に置き換えたら興味深いよね。
マラドーナ本人だけが真実を知っていた。
裁判官は真実を知っている被告人に判決を言い渡さなければならない。
僕たちは被告人を裁いているように見えて僕たちも裁かれてる。
本当のことを知っているのは『自分』だけなのです。
他人に裁かれているようで、本当に自分を裁いているのは自分だけなのです。
報いは自尊心という形で表れます。
今からでも遅くありません。
自分にとって正しい生き方をすることが、傷ついた自尊心を癒やす唯一の方法なのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
自尊心の再生|真実の生き方で自信と誇りを取り戻すのまとめ
今日は『自尊心の再生|真実の生き方で自信と誇りを取り戻す』と題して、自尊心について考えました。
尊くない生命など存在しない
なぜ?そもそも自分は尊いのでしょうか?
とても簡単です。『自分』という唯一無二の生命だからです。
自分の生命だけが特別という意味ではありません。どの人の生命も唯一無二です。つまり、誰もが特別な生命です。
生まれた時は満点
生まれた時には自尊心などなかったのです。自尊心という概念が必要なかったという意味です。
自分を疑ったり、蔑んだり、侮る心が微塵もなかったからです。
自分が尊いことが普通ですから、改まって自分を尊いと思う必要がなかったのです。
傷ついた自尊心を癒やす唯一の方法
今からでも遅くありません。
自分にとって正しい生き方をすることが、傷ついた自尊心を癒やす唯一の方法なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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