自分に素直に正直でいる|どっちであっても対応する
アドセンスに記述ミスがあります。一部のアドセンスは正しく表示されません。
素直とはどういうことなのか?
深く考えてみたいと思います。
深いことが素直なのか?
今日は『自分に素直に正直でいる|どっちであっても対応する』と題して、素直について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
自分に素直に正直でいる|どっちであっても対応する
『こう思っていないと正しくない』は正しいのか?
自分の気持ちが分かりません。
動画を見て面白い!!とか、ペットかわいい!とか思ったりだとかそういうのは分かるんですけど、辛いな〜って思うことがあるとそれってただサボりたいだけなんじゃないかとか、推しが好き!って思うとそれは推しがいる自分が好きなんじゃないのかとか、考えると自分の気持ちがわからなくなります。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10263620490)
とても真面目な方だなという印象です。
理想の自分のようなものがあって、本音の部分でそうじゃないとしたら自分のことがわからないということを思われたのでしょう。
行き過ぎると自己嫌悪のような気持ちにもなると思います。
ですが、どれも『本当の自分』ではないか?と思います。
辛いな〜と思う、辛いからやりたくない(サボりたい)。これでひとつの気持ちです。
推しが好きなのと、推しを応援している自分が好きは、やはりセットです。
「推し」という言葉が広がったのは、アイドルオタが使い出したことが始まり。グループのなかから最も好きな対象を「一推しメンバー」と表現するようになり、それが短縮化されて「推しメン」に。さらに簡潔化して定着したのが「推し」です。
どちらか一方が正しくて、どちらかは悪ではないのです。
『こう思っていないと正しくない』。
そんな自分の中のルールとか、あるべき姿があるのでしょう。
ですが、そのようなルールこそ正しいのかどうか?(笑)
自分に素直に正直でいる
『ともいき』には、『自分に素直に正直に』というお約束があります。
素直とはなんでしょうか?
たとえば、辛いな〜という表面的な気持ちがあります。
その本音では、サボりたいという気持ちがあるとします。
その本音の部分を認めることが素直でしょうか?
そうではないと思っています。
表面的な辛いな〜と、だからサボりたいという気持ち、これらをひとつの自分の気持ちとして受け止めることが素直な心です。
本当はどうありたいのか?
辛いもサボりたいも全部でしょう。
さらに言うなら、サボりたいというのは、本当はやらなければならないという心の裏返しです。
やる必要がないと思っていることをサボりたいとは表現しません。
どこまで自分の心の声を聞けるか?は人それぞれです。
どこまで聞けるから良いとか聞けないから悪いということはありません。
ただ、聞こえたなら、自分はそう思っているんだと素直な心で認めることは大切なことだと思います。
どっちであっても対応する
自分のことでもそうですし、それは他人も同じです。
他人にも表面的な気持ちもあるし、本音もあります。
さらに、それを見ている『私』の解釈もあります。
『私』の解釈にも、表面的な部分しか解釈できていないこともあるし、その本音の部分まで解釈できるときもあります。
そう考えたら、何が本当かはわかりません。
ただ、どれもある意味本当です。
ただし、他人が思っていること。そして、自分がそう感じたことは別モノです。
それを誤解しないことです。
つまり、決めつけないということです。
曖昧というと、ふわふわした印象を与えてしまうかもしれませんが、どっちになってもいい柔軟な立ち位置というか、心の位置でいることです。
実はそういう気持ちでいると、とても心が集中します。
どっちだったとしても即座に対応するということは、いつもステップを踏みながら相手の出方を伺っているボクサーのような心境です。
どっちでもいいということは、どっちになっても対応する自分でいるということでもあるのです。
自分に対しても他人に対しても同じようにです。
自分に素直に正直でいる|どっちであっても対応するのまとめ
今日は『自分に素直に正直でいる|どっちであっても対応する』と題して、素直について考えました。
『こう思っていないと正しくない』は正しいのか?
理想の自分のようなものがあって、本音の部分でそうじゃないとしたら自分のことがわからないということを思われたのでしょう。
行き過ぎると自己嫌悪のような気持ちにもなると思います。
ですが、どれも『本当の自分』ではないか?と思います。
自分に素直に正直でいる
表面的な辛いな〜と、だからサボりたいという気持ち、これらをひとつの自分の気持ちとして受け止めることが素直な心です。
本当はどうありたいのか?
辛いもサボりたいも全部でしょう。
さらに言うなら、サボりたいというのは、本当はやらなければならないという心の裏返しです。
やる必要がないと思っていることをサボりたいとは表現しません。
どっちであっても対応する
どっちだったとしても即座に対応するということは、いつもステップを踏みながら相手の出方を伺っているボクサーのような心境です。
どっちでもいいということは、どっちになっても対応する自分でいるということでもあるのです。
自分に対しても他人に対しても同じようにです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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