縦横高さ時間のない世界を生きる|今を生きる

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『今を生きる』とは、『今』を生きることではありません。

今という言葉も思考もまだ生まれていない世界を生きることです。

それが縦横高さ時間のない世界です。

今日は『縦横高さ時間のない世界を生きる|今を生きる』と題して、今を生きるについて考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

縦横高さ時間のない世界を生きる|今を生きる

今を生きようとしては今を生きられない

『今を生きる』とか『今ここ』という言葉が誤解を与えているのではないか?と、ふと思ったのです。

(自分自身も誤解していたかもと思いました。)

どんな誤解か?というと、表現が難しいですが、たとえば『今ここ』という箱があって、その箱の中を生きるみたいな印象です。

『今ここ』生きようとすると、それはもう『今ここ』ではないのです。

今というのは、今じゃないからです。

今というのは『今』という言葉が生まれる前です。

『私』の中の話に置き換えると思考が起こる前です。

それが今です。

ですから、『今を生きる』とき、今を生きようとしては今を生きられないのです。

縦横高さ時間のない世界

私たちは、縦横高さ時間のない世界から、縦横高さ時間のある世界に生まれました。

そして、縦横高さ時間のない世界に帰っていきます。

今というのは、縦横高さ時間のない世界のことなのだと考えています。

ing、現在進行中ということです。

生まれる前の世界であり、死んだ後の世界でもあります。

言葉も思考も生まれる前の世界です。

私たちは縦横高さ時間のある世界を生きています。

その中で、縦横高さ時間のない世界のように生きることが『今を生きる』ことです。

言葉が生まれる前、思考が生まれる前です。

私たちが知っている感覚で言えば、スポーツをして集中しているとき、音楽をしている人であれば楽器を演奏しているときなどが、その感覚なのではないかと思ってます。

ゾーンに入ったなどと言われる状態です。

日常生活の中で、その域で生きる必要はないかもしれません。

ですが、必要だから『今を生きる』というものではないと思います。

今を生きた結果、何が見え、何ができるか?ではないかと思っています。

今を生きることは『素直に生きる』こと