恐れから逃げない|恐れは安らぎを見つけるためにある

アドセンスに記述ミスがあります。一部のアドセンスは正しく表示されません。

私たち人間は比較することでしが物事を認識出来ません。

恐れがなければ、安らぎに気づくことが出来ないのです。

不幸せを知らない人間は、幸せを知ることは出来ません。

苦しいことがなければ、感謝がなく当たり前の世界にしてしまうのが人間です。

恐れは安らぎを見つけるためにあるのです。

今日は『恐れから逃げない|恐れは安らぎを見つけるためにある』と題して、恐れから逃げないについて考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

恐れから逃げない|恐れは安らぎを見つけるためにある

恐れから逃げない

恐れを感じたとき、逃げ出したいという気持ちが起こります。

できれば避けて通りたい。

ですが、たとえ恐れから逃げたとしても、明日またその恐れがやってくるかもしれません。

ですから、恐れから逃げるのではなく、恐れに身を任せて、その中で安らぎを見つけます。

嫌な場所、嫌な人、嫌な出来事。

生きていれば、嫌なモノがあるときがあります。

逃げられないときもあります。

嫌だ嫌だという心で『私』を守っていると、安らぎは見えてきません。

克服しようとか、なんとかしようという気持ちでもなく、ただただ身を任せるような気持ちになります。

『今ここ』を生きることに徹底します。

ただただ、来た球を打つことだけに徹します。

そうすると嫌なことの中に、そうでもないことが見えてきます。

それが光になり安らぎになります。

今この瞬間には、恐れと『恐れ以外』がある

逃げていては光は見えません。

逃げて違う場所に行っても違う形になって恐れはやって来ます。

恐れは、人や場所や出来事が起こしているわけではありません。

『私』が起こしています。

嫌な人や場所や出来事を見た『私』の反応です。

同じような人は他にもいるし、同じような場所、出来事はこれからもあります。

『私』が逃げずに向き合い、光を見つけなければ、『私』の反応は変わりません。

ですから、恐れに身を任せて、その中で光を見つけないといけないのです。

今この瞬間には、恐れと『恐れ以外』の両方が在ります。

違う言い方をすると、今この瞬間には喜びと『喜び以外』の両方が在ります。

見るのは『私』です。

『私』は、今どちらを見て生きているか?なのです。

恐れは安らぎを見つけるためにある