悩みがあって上出来|在るものを見ることに努めよ
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人生をよりよく生きるためにいくつかのメソッドがあるのではなくて、あるひとつのあり方を伝えるために様々な表現が存在しています。
つまり、幸せになるためにはたったひとつの状態に気づき、そのあり方で生きることに努めるだけなのです。
そのために様々な表現が用いられていますが、それはいくつかのメソッドやいくつかの幸せの形があるということではなくて、たったひとつの状態に導くための表現なのです。
今日『悩みがあって上出来|在るものを見ることに努めよ』と題して、在るものを見る生き方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
悩みがあって上出来|在るものを見ることに努めよ
願った通りにはならないけれど思った通りになる
悩みとか課題というのは色々な形を装い、多種多様にあるようにみえますが、実は元を正せば悩んでいる本人の考え方や価値観と言われるものに由来しています。
本人はこう言います。
相手がこうしてくれたら・・・。
あの時あんなことが起こらなければ・・・。
あれがあったらこんな問題は起こらなかった・・・。
時間があれば・・・。
一見して自分にはどうしようもないことばかりのようですが、実はその逆で自分がその出来事をどう捉えているかという考え方ですべての悩みは起こっています。
上に書いた例に共通しているのは『ないもの』を求めていることです。
先日書いた記事『願った通りにはならないけれど思った通りになる|思った通り幸せになる方法』でも書きましたが、ないものを願っているので、思った通りになっています。
願った通りにはならないけれど思った通りになる|思った通り幸せになる方法
ないものを願っているので、ないことに悩むという至極当たり前のことが起こっているだけなのです。
先日の記事では『在るものを見る』ということを提案しました。
では、在るものを見るためにどうすればいいのか?
在るものを見る
すべての決まっているという考え方で生きることです。
『人生で起こることはすべてシナリオ』
人生で起こることはすべてシナリオ
すべては決まっているとしたら『在るもの』だけを見るようになります。
というよりも、すべて在るものの集まりになります。
すべては決まっているからです。
選んでいるという錯覚があるから選ばなかった場合という想像が発生していて、それがないものになるのですが、すべては決まっているとしたら、在るものしかこの世界には存在しないことになります。
ですから、すべては決まっているという考え方で生きることで『在るものを見る』という生き方が出来るようになります。
生きていれば自分に都合が良いことも在るし悪いことも在ります。
しかし、それも決まっていて、確かに目の前に在るものです。
在るものをどうするか?
悩みを解決するとしたらそう考えないといけないですよね。
ないものを欲しがってもどうすることも出来ません。
だってないのですから。
たとえば、在るものが自分に不都合なものだとしたら、それをどうするか?
そう考えることで悩みが解決するのです。
在るものを見ることに努めよ
そうは言っても悩みたくなるのが人間です。
煩悩具足の凡夫というように、私たちは煩悩の塊です。
※煩悩具足の凡夫とは
仏教用語。凡夫とは我々人間のこと。煩悩具足とは煩悩100%という意味です。
煩悩具足の凡夫とは、煩悩だらけの人間という意味です。
煩悩とは私たち人間を悩み煩わせるものです。
つまり私たちの人生は悩み煩わしいもので出来ているとも言えるし自分自身が煩悩で出来ているとも言えます。
ですから悩みはあって当たり前。
ないものを欲しがって当たり前なのです。
それを自覚して、在るものをみようと心がける修行を人生を通してしているのです。
悩みはあって当たり前、だから何もしないのではなく、在るものを見ることに務めることです。
でも悩みはなくならない。
でもそれで上出来なのです。
悩みがあって上出来|在るものを見ることに努めよのまとめ
今日『悩みがあって上出来|在るものを見ることに努めよ』と題して、在るものを見る生き方について考えました。
願った通りにはならないけれど思った通りになる
ないものを願っているので、ないことに悩むという至極当たり前のことが起こっているだけなのです。
先日の記事では『在るものを見る』ということを提案しました。
では、在るものを見るためにどうすればいいのか?
在るものを見る
選んでいるという錯覚があるから選ばなかった場合という想像が発生していて、それがないものになるのですが、すべては決まっているとしたら、在るものしかこの世界には存在しないことになります。
ですから、すべては決まっているという考え方で生きることで『在るものを見る』という生き方が出来るようになります。
在るものを見ることに努めよ
在るものをみようと心がける修行を人生を通してしているのです。
悩みはあって当たり前、だから何もしないのではなく、在るものを見ることに務めることです。
でも悩みはなくならない。でもそれで上出来なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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