『今を生きる』ということにたどり着くプロセス
アドセンスに記述ミスがあります。一部のアドセンスは正しく表示されません。
僕ごときがという遠慮とか怖れとかを脇において、『今を生きる』ということを悟ったプロセスを出来るだけ文章にしてみます。
ただ、最後まで読んでいただくとわかるのですが、ここに答えらしきものはありません。
答えは答えではないからです。
少しめんどくさいですよ。(笑)
今日は『『今を生きる』ということにたどり着くプロセス』と題して、今を生きるにたどり着くプロセスについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『今を生きる』ということにたどり着くプロセス
今を生きるは今を生きていない
何者にもならないというのは何者かになろうとしている自分がいることの表れだし、今を生きるというのも今を生きていない自分の表れです。
今のままでいいといいながら、常に今ではない状態を目指しています。
言っている意味わかります?(笑)
めんどくさいことを言い出しましたね。(笑)
つまり、人間は未来思考(志向)から逃れられないということなんですね。
だからこそ、『今を生きる』ということが出来もしないのに価値が出てくるわけです。
これが誰もが簡単に出来るなら価値なんてないわけです。
『今を生きる』をお題目のようにお伝えしているのに、出来もしないと言い放つのは一種の詐欺じゃないか!と思われるかもしれませんが、こういう言い方でやっとギリギリ言葉で説明出来るという感じです。
『今を生きる』ということにたどり着くプロセス
『今を生きる』ということの正体にたどり着くプロセスがあったわけですが、それはイメージでいうと、真に向かって深く『あっそういうことか!』と気づいていく感じです。
それを言葉で説明するとこんな感じです。
まずは『今を生きる』という言葉を聞きますね。
これは巷間よく耳にする言葉ですね。
『そうか!今を生きないといけないのか』
そういえば人間というのは、過去を悔やんだり、未来を憂いたり、まったく今を生きていないよな〜。
そうか、そういった思考と言われるものを手放して、実在する今を生きないといけないんだ!と気づくというプロセスが最初にあります。
次に『じゃ実在する今を生きるとはどういうこと?』
そうか今在るものに意識を向けることなのか!
たとば、今ここにあるテーブルとか。
外から聞こえる風の音とか。
自分の呼吸もそうだよね。
そういった間違いなく今在るものに意識を向けることで、『今を生きる』ことが出来るんだ!
つまり瞑想というのは一番シンプルに『今を生きる』方法なんだ!と気づきます。
慣れてくると、じっ!と今とともに在る自分に気づくことが出来るようになります。
この辺りでだいぶ今を生きられる自分を実感出来るようになります。
しかし、おっ!と待てよと。
今を生きようとしている今も今じゃない何かを目指して今を生きていないじゃないか!
早口言葉みたいですね。(笑)
と、かなり『今を生きる』ということがわかりかけていた段階で衝撃的な事実に気づくわけです。
え~!じゃどうすんのよ。(笑)
世界はふたつでひとつ
少し話は逸れますが、『今を生きる』を実践すると、今を生きようとしているのは今を生きていないという複雑な人間の仕組みが、すべての表れの根っこにあるんだと気づきます。
すべては1セットなんだということです。
夢を追いかけている間は夢が叶っていないとか。
話を聞いてくれる人がいるから話せるんだとか。
自分の意見を通ったときは我慢をしている人がいるとか。
自分が他人から軽く扱われるのは、自分がそれでもいいという振る舞いをしているんだとか。
幸せを感じるということはその前に不幸せ(少し小さい幸せ)な出来事があったとか。
世界は自分と自分以外で成り立っているとか。
すべては1セットだということです。
これが少し以前にブログに書いた中庸に繋がります。
どこかでプラス1が起こったらどこかでマイナス1が起こっているということです。
世界はふたつでひとつなんです。
ふたつの比率は、人によって変わります。
たとえば、世界は好きなことと嫌いなことの集まりです。
どちらでもないというのがあるという意見もあるでしょうが。
まったくどちらにも含まれない真ん中というのはなくて、コンマ1でもどちらかに振れるものですよね。
何が好きで何が嫌いかは人それぞれです。
割合は人それぞれですが、必ずふたつでひとつになっています。
これは例外なくすべての事柄に当てはまります。
『今を生きる』というのも、今を生きられていないから目指しているという1セットなんです。
受け入れることが『今を生きる』こと
はい。
え〜!じゃどうすんのよ。(笑)の続きです。
ここから先が言葉では難しくなってきます。
というのは、言葉で答えを言ってしまえば『今を生きられない今のままでいい』ということになるのですが、『今のままでいい』という言葉を発した途端に今のままではない自分が現れるわけですね。
言葉には限界があると言われるのはこういうことなのだと思います。
結局、ここには答えらしきものはありません。
答えを提示すると、今はそうでないということが確定してしまって、今を生きられないからです。
出来れば、『そういうことか!』と気づいていただいて、その答えに純粋にトライしてもらえればと思います。
で!出来ても出来なくてもいいんです。
それを受け入れることが『今を生きる』ことだからです。
『今を生きる』ということにたどり着くプロセスのまとめ
今日は『『今を生きる』ということにたどり着くプロセス』と題して、今を生きるにたどり着くプロセスについて考えました。
今を生きるは今を生きていない
何者にもならないというのは何者かになろうとしている自分がいることの表れだし、今を生きるというのも今を生きていない自分の表れです。
今のままでいいといいながら、常に今ではない状態を目指しています。
『今を生きる』ということにたどり着くプロセス
瞑想というのは一番シンプルに『今を生きる』方法なんだ!と気づきます。
慣れてくると、じっ!と今とともに在る自分に気づくことが出来るようになります。
この辺りでだいぶ今を生きられる自分を実感出来るようになります。
しかし、おっ!と待てよと。
今を生きようとしている今も今じゃない何かを目指して今を生きていないじゃないか!
世界はふたつでひとつ
少し話は逸れますが、『今を生きる』を実践すると、今を生きようとしているのは今を生きていないという複雑な人間の仕組みが、すべての表れの根っこにあるんだと気づきます。
すべては1セットなんだということです。
受け入れることが『今を生きる』こと
結局、ここには答えらしきものはありません。
答えを提示すると、今はそうでないということが確定してしまって、今を生きられないからです。
出来れば、『そういうことか!』と気づいていただいて、その答えに純粋にトライしてもらえればと思います。
で!出来ても出来なくてもいいんです。
それを受け入れることが『今を生きる』ことだからです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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