私はいない?と虚無感について
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『私はいない』解説と、それを見抜いたときの虚無感について。
私がいないということを信じると、いるかいないかも、それが証明されるかどうかも、どちらでもよくなると思います。
結局はどんなことでも、それを知った上で自分がどう生きるかは自分次第だからです。
真実が自分が思っていることと違ったとしても、それはそれということです。
今日は『私はいない?と虚無感について』と題して、私はいないということについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
私はいない?と虚無感について
クオリア
クオリアは哲学から生まれた概念です。
私たちは日々、いろいろな感覚を受け取りながら生きています。
真夏に感じる「蒸し暑いという感じ」、アイスコーヒーを飲んだときの「冷たくて気持ちいいのど越しの感じ」、子猫を見た時に感じる「愛おしいという感じ」など、数えだしたらきりがありません。
私たちは、感覚に囲まれていると言っても言いすぎではないくらいです。
むしろ感覚の集合体が『私』と言えるのかもしれません。
もし、ひとつひとつこの感覚を消していって、すべての感覚がなくなったときに、果たして私は私を認識出来るのでしょうか?
話がそれましたが、その感覚は他人と共有しているような錯覚をしていますが、実は私独自のものです。
たとえば『暑い』という感覚は、暑いという感覚を共有しているのではなく、暑いという言葉を共有しているだけで、『暑い』と言ったときに、他人と同じように”それ”を感じているかはわかっていないのです。
その主観的な感覚のことをクオリアと呼びます。
そう考えると、私たちの周りはすべてがクオリアです。
モノだけではなくて、人もそうですし、出来事も感じるものですから、それもクオリアです。
この世界は私が感じたモノで出来た世界なのです。
ですから『私はいない』のではなく、『私しかいない』の方がピッタリです。
私はいないのではなく、私しかいないの方がピッタリですが、私というのは私以外の何かがあることで成立する概念です。
あなたがいるから私がいるのであって、私しかいなければ私という感覚は必要ありません。
私しかいないのであれば、私もいないのと同じです。(笑)
それが私はいない?という表現になっているのです。
虚無感について
客観的に見えるすべてのことが、実は私の中だけで起こっています。
人と比べることで感じる優越感や劣等感も私の中だけで起こっていることなのです。
そこには自分と他人がいて、何かを繰り広げて、勝ったり負けたりして、苦しんだり、喜んだりしているのですが、それもすべてクオリアで、私の中で始まり、そして終わっている物語です。
これを見抜くことで、肩の力が抜けるというか、何をやっても意味がないという虚無感が起こるということがあります。
下手をすると、これまでの価値観がすべて崩れてしまいます。
がんばってきた意味も価値もすべてが無駄だったということになってしまいます。
ただ、ここから先はその人の思想の問題になって来ます。
それを知った上でどう世界を生きていくかという思想です。
どう考えて生きていくかは、その人自身に委ねられているのではないかと考えています。
こういう話を信じても信じなくても現実は同じです。
目の前で起こる物語は同じで、ただ感じ方が少し、いえだいぶ変わります。
その人がどういう考えで世界を見るかによって見え方が変わります。
ですから、信じても信じなくてもいいし、どう考えて生きていってもいいと思います。
幸せに気づいてください
どんな悪環境にいても幸せに生きられる人もいれば、どんなに恵まていても不幸せな人もいます。
不幸せな人には、不幸せしか見えていないのです。
その人に『あなたはこんな人と比べたらすごく恵まれているんですよ』と、いくら言ってもわかってもらえません。
その人にとっては、それしかありませんから。
先日書いたブログで、『気づいたことが現実化する』と言いました。
不幸せな人は不幸せに気づいているから不幸せで、幸せな人は幸せに気づいているから幸せなのです。
『自分の周りには不幸せのタネしかないんですよ」って、不幸せな人は言います。
それしか気づいていないから仕方ないんです。
今このブログをせっかく読んでくださっているなら、試してみて欲しいと思います。
幸せに気づいてください。
そうはいっても不幸せにもたくさん気づくと思います。
それでも幸せを探して気づいてください。
それがひとつでもふたつでも見つかって、だんだん増えていって、幸せでいっぱいになったときに、幸せって自分の力でなれるんだとわかってもらえると思います。
私はいない?と虚無感についてのまとめ
今日は『私はいない?と虚無感について』と題して、私はいないということについて考えました。
クオリア
私たちは、感覚に囲まれていると言っても言いすぎではないくらいです。
むしろ感覚の集合体が『私』と言えるのかもしれません。
もし、ひとつひとつこの感覚を消していって、すべての感覚がなくなったときに、果たして私は私を認識出来るのでしょうか?
虚無感について
客観的に見えるすべてのことが、実は私の中だけで起こっています。
人と比べることで感じる優越感や劣等感も私の中だけで起こっていることなのです。
そこには自分と他人がいて、何かを繰り広げて、勝ったり負けたりして、苦しんだり、喜んだりしているのですが、それもすべてクオリアで、私の中で始まり、そして終わっている物語です。
幸せに気づいてください
今このブログをせっかく読んでくださっているなら、試してみて欲しいと思います。
幸せに気づいてください。
そうはいっても不幸せにもたくさん気づくと思います。
それでも幸せを探して気づいてください。
それがひとつでもふたつでも見つかって、だんだん増えていって、幸せでいっぱいになったときに、幸せって自分の力でなれるんだとわかってもらえると思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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