当たり前の奇跡|足るを知る豊かさ
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日常の中にある幸せは、空気のように目に見えず、失って初めてその大切さに気づくものです。
健康な体、愛する人との時間、そして命を繋ぐためのお金。これらはすべて、存在するだけで奇跡と呼べるほど有り難いものです。
多くのものを追い求めるよりも、今手の中にあるものの価値を見つめ直すことで、心は本当の安らぎを感じ始めます。
当たり前の日々を慈しむことで、人生をより豊かに彩るための知恵を共有します。
今日は「当たり前の奇跡|足るを知る豊かさ」と題して、当たり前について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●おすすめYouTube
くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!
今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。
●自己肯定感はなくて良い
●当たり前の奇跡|足るを知る豊かさ
○当たり前の奇跡|足るを知る豊かさ
健康は失ってから初めてありがたみがわかり
恋人は別れてから良さを実感し
親は亡くなってからありがたみを知り
基本的にお金は生活出来るぐらいあれば充分って本当ですか
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11325316836)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
すべてのことに言えることだと思います。有ることが難しいと書いて「有り難い」とはよく言ったものです。
私たちは日々の生活の中で、目の前にあるものを当然の権利として受け取ってしまいがちです。朝目が覚めること、呼吸ができること、食事が喉を通ること。これらはすべて、失った瞬間にその価値が骨身に染みるものばかりです。
健康を失うと、ただ痛みがないという状態がいかに贅沢だったかを思い知ります。恋人と別れると、隣に誰かがいてくれるという心の安らぎが、どれほど自分を支えていたかを痛感します。そして親を亡くしたとき、無償の愛を注いでくれる存在がこの世にいない寂しさを通じて、ようやくその存在の大きさを理解するのです。
これらは後悔という形で見えてくることが多いものですが、実は「当たり前」という霧の中に隠れていた真実の姿でもあります。
お金についても同じことが言えるでしょう。「生活できるくらいあれば充分」という言葉は、決して向上心を否定するものではありません。
そうではなく、自分の命を維持し、今日という一日を無事に過ごせている状態に満足し、感謝できる心の豊かさを指しています。
お金はあればあるほど便利ですが、それ自体が目的になってしまうと、私たちは「今ある幸せ」を見失ってしまいます。
お金が「生活できるだけある」という状態は、裏を返せば「今日も生かされている」という奇跡そのものです。
その有り難さに気づくことができれば、外側の条件に振り回されることなく、穏やかな心で過ごすことができます。
私たちは、失ってから気づくのではなく、今ここにある幸せを「有り難い」と再定義する練習をしている最中なのかもしれません。
この視点を持つだけで、世界の見え方は劇的に変わっていくはずです。
◯盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ
お釈迦さまの教えに「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」という教えがあります。
果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は風のまにまに、 西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
「阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、 浮かび上がった拍子に、 丸太ん棒の穴に ひょいと頭を入れることがあると思うか」
聞かれた阿難は驚いて、「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません」 と答えると、「絶対にないと言い切れるか」とお釈迦さまが念を押される。
「何億年かける何億年、 何兆年かける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」と阿難が答えると、「ところが阿難よ、 私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、 難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」 と教えられています。
この話は、人間として生まれることがいかに奇跡的で「有り難い」ことかを説いたものです。
私たちが今ここに生きていること自体が、天文学的な確率を超えた、とても尊いことなのです。しかし、多くの人はこの奇跡を忘れ、日々の小さな不満や不足に心を奪われてしまいます。たとえば、仕事がうまくいかない、人間関係に悩んでいる、もっと贅沢をしたいといった悩みです。
もちろん、悩むことが悪いわけではありません。
しかし、今ここに生きているだけで、本来は「宝くじに何度も当選した」ような状態であることを忘れてはいけません。
不幸せだと感じているとき、私たちは「もっと何かを得なければ幸せになれない」と錯覚しています。ですが、盲亀浮木の教えを借りれば、今の状況がどうであれ「存在していること自体が最大の幸福」であるという事実に突き当たります。
この圧倒的な肯定感を土台に据えることができれば、日々の風景はこれまでとは違った輝きを放ち始めることでしょう。
◯本当に求めているのは「安心感」や「満足感」
「足るを知る」という言葉がありますが、これは決して現状に甘んじて努力を止めることではありません。
今あるものの中に十分な価値を見出し、自分の心を満足させる知恵のことです。
お金や健康、人間関係において「もっと、もっと」と追い求める心は、まるで喉が渇いているときに塩水を飲むようなものです。飲めば飲むほど、さらに渇きが強くなり、心はいつまでも満たされることがありません。
健康であるうちに、その体を大切に扱う。恋人が隣にいるうちに、感謝の言葉を伝える。親が健在なうちに、一緒に過ごす時間を作る。
これらはすべて、失ってから後悔しないための行動ですが、それ以上に「今を豊かに生きる」ための秘訣でもあります。
お金についても、「生きるために充分な額」があることを認めたとき、私たちは初めてお金に支配される側から、お金を道具として使いこなす側へと回ることができます。
私たちが本当に求めているのは、通帳の数字や地位の高さではなく、それらを通じて得られる「安心感」や「満足感」ではないでしょうか。
もし、それらが「今この瞬間」に、自分の心持ちひとつで手に入るとしたら、これほど素晴らしいことはありません。
生活できるだけのお金があり、この奇跡的な確率の中で命を授かっている。その事実を心から受け入れることができたとき、私たちは何物にも代えがたい「心の平安」という富を手にするのです。
大切なものは、遠くにあるのではなく、常に自分の一番近くに存在しています。
それに気づくための感度を磨くことこそが、人生をより良く生きるための唯一の道だと言えるでしょう。
今夜、眠りにつく前に、今日を無事に過ごせたこと、そして自分が今ここに存在していることの「有り難さ」を一度だけかみしめてみてください。
その小さな積み重ねが、あなたの人生を真の意味で豊かなものへと変えていくはずです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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