排泄が恥ずかしい|体と心を整える生命の巡り

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私たちは毎日食事を楽しみますが、出すことに対してはどこか後ろめたい気持ちを抱きがちです。

しかし、生きることと出すことは、光と影のように常に表裏一体のものです。

体の中から不要なものを出す行為は、自分を健やかに保つための大切なリセットの時間であり、誰にとっても欠かせない生命の営みです。

心の奥にある罪悪感や恥ずかしさを少しずつ紐解き、自分自身の体をありのままに受け入れるための知恵を共有します。

今日は「排泄が恥ずかしい|体と心を整える生命の巡りと題して、排泄が恥ずかしいについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
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●RaMu「景気って金持ちの言葉でしょ?」→竹田答え

 

●排泄が恥ずかしい|体と心を整える生命の巡り

 

○排泄が恥ずかしい|体と心を整える生命の巡り

 

排泄をする自分が気持ち悪く感じる人は私だけですか?

便や尿を出してるトイレの時間が罪悪感があり、恥ずかしく思います。

どうすれば気持ちが楽になりますか?

排泄してない人間はいますか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10325257260

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

生きることと死ぬことがセットであるように、食べ物を体内に入れることと出すことは、切っても切り離せないひとつのサイクルです。

私たちが暮らす家を見渡してみれば、そこには必ず「食べるものを作る台所」と「不要なものを出すトイレ」が対になって存在しています。

しかし、現代の生活においてはこのバランスの捉え方が少し変わってきているのかもしれません。

 

かつての日本では、多くの人が家で生まれ、家で最期を迎えました。生と死が生活のすぐそばにあり、それはごく自然な風景でした。

ところが現在は、病院で生まれ、病院で亡くなることが一般的です。その結果、生き死にという根源的な営みが生活の外側へと追いやられ、どこか遠いもの、あるいは「触れてはいけない汚いもの」として扱われる傾向が強まってしまいました。

 

排泄に関しても同じことが言えます。体から出されるものは、本来であれば自分が生きた証そのものですが、今の社会ではそれを「隠すべきもの」として強く意識しすぎるあまり、過剰な恥ずかしさや罪悪感を抱いてしまう方がいらっしゃいます。

もちろん、感覚は人それぞれですから、汚いと感じる心そのものを否定する必要はありません。ただ、その「汚い」という物差しが、この世の絶対的な正解ではないということは押さえておいていいと思います。

 

排泄をしていない人間はこの世に一人も存在しません。あなたが恥ずかしいと感じているその瞬間、世界中のあらゆる人々が同じように体から不要なものを出し、生命を維持しています。

それは決して特別なことではなく、呼吸をするのと同じくらい、生物として当たり前で尊い機能なのです。

◯「汚い」は「悪いこと」ではない

 

「汚い」という感覚は、実は「綺麗」という感覚があるからこそ成り立つものです。

先ほど、汚いという感覚が絶対ではないとお伝えしましたが、それは無理に「排泄物は綺麗なものだ」と思い込むべきだという意味ではありません。何かに触れて「汚い」と感じ、手を洗おうとするのは、自分を守るための本能的な反応であり、とても自然なことです。

 

ここで大切にしたいのは、汚いと感じることはあっても、それは決して「悪いこと」ではないという視点です。

日本には古くから「穢れ(けがれ)を祓う」という美しい習慣があり、今も私たちの生活に根付いています。しかし、この穢れの正体を現代の視点で見つめ直すと、その多くは「衛生上の知恵」であったことが分かります。

 

大昔、科学や医学が今ほど発達していなかった時代、人々は病気や感染症から身を守るために、不衛生な場所に近づかない工夫をしました。

それが「穢れ」という言葉で表現され、神事や儀式を通じて適切に遠ざけられてきたのです。つまり、穢れを避ける行為は、人間が健康に生き抜くための「衛生上の知恵」だったのです。

 

形あるものはいつか壊れ、新しい服も着れば汚れます。それと同じで、私たちは栄養を吸収すれば必ず排泄をします。

衛生上の理由でそれを適切に処理することは不可欠ですが、処理すべき対象を「自分自身の欠点」のように感じてしまうのは、あまりにも悲しいことです。

排泄という行為そのものを否定することは、あなたが今日まで懸命に生きてきた体、そのものの営みを否定することに繋がってしまいます。

◯体を整えてくれてありがとう

 

自分の中から出てくるものを「自分ではない異物」や「恥ずべき汚れ」として切り離して考えすぎると、心はどんどん苦しくなってしまいます。

もしも排泄が止まってしまったら、体には毒素が溜まり、私たちは生きていくことができません。そう考えると、トイレで過ごす時間は、自分をリセットし、健やかさを保つための「大切なメンテナンスの時間」であると言い換えることができます。

 

私たちは普段、自分の意思で心臓を動かしたり、食べたものを消化したりすることはできません。

これらはすべて、体が自動で行ってくれている素晴らしいシステムです。排泄もまた、そのシステムにおける重要な終着点です。自分にとって不要になったものを外に逃がすことで、また新しいエネルギーを取り入れる準備が整います。

この「出す」という行為がスムーズに行われていること自体、あなたの体が正常に、そして懸命にあなたを守ろうとしている証拠なのです。

 

自然界にあるものはすべて循環しています。

雨が降り、川が流れ、やがて海へと辿り着くように、私たちの体の中でも休むことなく循環が繰り返されています。

自分を大切にするということは、自分の体のすべての働きを、ありのままに認めてあげることから始まるのです。

排泄を否定せず、「今日も一日、体を整えてくれてありがとう」と心の中で自分を肯定してあげることが、気持ちを楽にするための第一歩となります。

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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