賢者は馬鹿のふり?|見栄を張る人の心理
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世の中には、とても頭が良いのに「自分は何も知らない」と振る舞う人がいます。
反対に、自分を実際よりも大きく見せようと必死になる人も少なくありません。
この違いは、心の中にある自信や余裕の差から生まれます。
本当の賢さとは、単に知識を蓄えることではなく、自分の弱さを認め、常に学び続ける姿勢を持つことです。
知的な余裕がもたらす心の自由と、見栄の裏側に隠された心理について、ドラマや文学の例を交えながら解き明かします。
今日は「賢者は馬鹿のふり?|見栄を張る人の心理」と題して、馬鹿のふり?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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今日も、
そんなYouTubeの中から
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●賢者は馬鹿のふり?|見栄を張る人の心理
○賢者は馬鹿のふり?|見栄を張る人の心理
私の周りでは頭のいい人ほど馬鹿のふりをし、頭の悪い人ほど自分をよく見せようとします。
なぜですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13324437958)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
自分をよく見せようとするというのは、頭が良さそうに見せるということでしょうか?
だとすると、頭が悪い人が頭が良さそうに見せるのは、頭が悪いことを恥ずかしいことだと思っているからでしょう。「わからないとは言えない」というコンプレックスがあるのです。
一方、頭の良い人は「わからない」ということを恥ずかしいことだとは思っていません。わからないと認めることで学ぼうという意識が自分の中で起こります。そうすると不思議と学ぶ機会を得たり、教えてくれる人が現れたりするからです。
人間にとって、自分の弱点や知らないことをさらけ出すのは勇気がいることです。
しかし、自分を大きく見せようとする行為は、実は自分の成長を止めてしまうことにつながります。
たとえば、会議や話し合いの場で、本当は理解できていないのに頷いてしまった経験はないでしょうか。その瞬間は恥をかかずに済みますが、後になって困るのは自分自身です。知ったかぶりをすることで、新しい知識を吸収するチャンスを自ら捨ててしまっているのです。
一方で、本当に賢い人は、知識というものは常にアップデートされるべきものだと理解しています。世の中には自分の知らないことが無限にあると知っているからこそ、謙虚になれるのです。
自分が何も知らない状態であることを受け入れる「無知の知」という考え方がありますが、これはまさに知的な余裕から生まれるものです。
見栄を張って自分を飾り立てる必要がないのは、自分の価値が「知っているかいないか」という表面的な部分だけでは決まらないと確信しているからに他なりません。
コンプレックスに縛られていると、どうしても相手より優位に立とうとして「自分はすごいんだ」というアピールをしてしまいますが、それは心のどこかに不安がある証拠なのです。
◯在る者は、在るとも無いとも言える
2021年に放送されたドラマに原田知世さんが主演した「スナックキズツキ」という作品がありますが、この物語の中には人間の真理を突いた象徴的な場面が登場します。
「人はみな、傷つきながら、傷つけながら生きている」ということをテーマに、傷ついた人を癒やしてくれるお酒を置いていないスナックでのお話です。
その中で、スナックのママのトウコ(原田知世)はお客さんの瀧井君(小関裕太)に「ねぇ、お金持ちであることの最大の利点って何だと思う?」と質問をします。
これは村上春樹原作のベストセラー「ノルウェイの森」に出てくる一節です。
主人公の青年に女の子が問いかけるセリフです。
青年は「わからないな」と答えますが、女の子は「お金がないって言えることなのよ」と答えます。
お金がないと言えないのは「本当にお金がないから」だというのです。お金持ちの女学校に通っていた女の子は、友だちはみんなお金持ちの娘たちばかりです。その女の子は、親が無理してその学校に入れたから自分だけはお金持ちじゃないのです。
友だちはみんな、「○○しよう」と言った時、お金がない時は「今わたしはお金が無いから」と言えますが、自分はとてもそうは言えないと思います。なぜなら、わたしがお金が無いと言ったら、それは本当にお金が無いことだから。みじめなだけだと感じてしまうのです。
「無いと言える」「わからないと言える」という選択が出来るのが富を持つ者の最大の利点だと瀧井君は思います。
無い者は、無いと言えないけれど、在る者は、在るとも無いとも言える。瀧井君はそう思ったのです。
無い者は、無いことを悟られないために「無い」とは言えないのです。
この話は、知性においても全く同じことが言えるのではないでしょうか。
本当の意味で知的に満たされている人は、自分が「わからない」と言っても、周囲からの評価が揺らがないという自信を持っています。
つまり、知識という富を持っているからこそ、あえて「持っていないふり」をする選択肢が持てるのです。一方で、知識が足りないと感じている人は、その欠如が露呈することを恐れ、必死に「持っているふり」をして自分を守ろうとします。
馬鹿のふりができるのは、それが「ふり」であるという余裕がある証拠であり、自分をよく見せようとするのは、そうしなければ自分を保てないという切実な事情があるからなのかもしれません。
◯「正解の呪縛」から自由なる
自分をよく見せようと必死になっている人は、心の中に「常に正解を出し続けなければならない」という重いプレッシャーを抱えています。
このプレッシャーは、自分を賢く見せたいという願いが強ければ強いほど、逃れられない重荷となってのしかかってくるものです。
周囲から「あの人は優秀だ」と思われ続けるためには、どんな問いに対しても即座に正しい答えを出し、決して間違った判断をしてはいけないという強迫観念に囚われてしまいます。
しかし、この状態は、新しい挑戦や自由な発想を妨げる大きな壁になります。なぜなら、正解がわからない未知の領域には手を出せなくなり、失敗する可能性のある選択肢をすべて排除してしまうからです。
結果として、自分をよく見せようとする努力が、かえって自分の可能性や成長の幅を狭めてしまうという皮肉な結果を招くことになります。
一方で、頭がいいと言われる人があえて「馬鹿のふり」をするのは、この「正解の呪縛」から自由であるためでもあります。
最初から完璧な自分という虚像を捨て、時には何も知らないふりをすることで、周囲の期待という重圧を軽やかにかわしているのです。
馬鹿のふりができる人は、もし何かに失敗しても「自分はまだまだ未熟ですから」と笑って受け流すことができます。この柔軟さこそが、実はもっとも効率よく学びを深める秘訣です。
正解を出し続けなければならない人は、自分の間違いを認めることが敗北のように感じられ、守りの姿勢に入ってしまいますが、馬鹿のふりができる人は常に攻めの姿勢でいられます。
他人の評価という不安定な物差しに振り回されず、自分が本当に知りたいことや、探求したいことに集中できる環境を自ら作り出しているのです。
このように、自分をよく見せようとする行為は、自分自身を「正解」という狭い檻の中に閉じ込めるようなものです。
常に誰かの顔色を伺い、期待に応えるための答えを探し続ける人生は、非常に疲弊するものでしょう。
本当の意味での賢さとは、単に多くの知識を持っていることではなく、自分の無知や失敗を許容できる心の広さにあるのかもしれません。
見栄を張ることをやめ、常に正解を出さなければならないというプレッシャーから自分を解放したとき、人はようやく本当の知性と向き合うことができるようになります。
周りからどう見られるかよりも、自分がどう成長していくかを大切にする生き方こそが、結果として誰よりも深く、豊かな人生を切り拓いていく道へと繋がっていくはずです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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