自分は生かされてる?恵まれてる?|どちらも大切な考え方
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自分は「生かされている」と思っても、「恵まれている」と思っても、どちらも大切です。
どちらの言葉も、たくさんの人や見えない支えの中で生きている、という同じ気持ちを表しています。
そして、自分が助けられているように、自分もまた誰かを助けて生きています。
そのことに気づくと、生きるのが少し楽になります。
今日は「自分は生かされてる?恵まれてる?|どちらも大切な考え方」と題して、自分は生かされてる?恵まれてる?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
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くろちゃんは、
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●自分は生かされてる?恵まれてる?|どちらも大切な考え方
○自分は生かされてる?恵まれてる?|どちらも大切な考え方
自分は生かされてる 自分は恵まれてる どっちの考え方の方がいいですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12323408642)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
どちらもいいです。どちらも大切です。
どちらかに決めるよりも、どちらも含まれた温かい感覚(たとえるなら)を大切にするのがいいと思います。
その他にも「守られている」「愛されている」など。
生きていると辛い時、苦しい時があります。
そんな時、そのすべてを包み込む温かい感覚を思い出すことで、人は救われると思います。
人生には、自分の努力だけではどうにもならない出来事が、何度も訪れます。
頑張っても報われない時、理由もわからず苦しさだけが積み重なる時、人はつい「自分は不運だ」「なぜ自分だけが」と考えてしまいがちです。
そんな時に必要なのは、物事を合理的に説明する理屈よりも、心の奥に静かに灯る感覚です。それが、ここで言う「温かい感覚」なのだと思います。
「生かされている」と思えば、自分の存在が自分一人の力で成り立っているわけではないことに気づきます。「恵まれている」と思えば、今あるものが当たり前ではないことに目が向きます。
どちらも、自分を小さくする考え方ではありません。むしろ、自分を責める思考から距離を置き、世界とのつながりを感じ直すための視点です。
人は、苦しい時ほど視野が狭くなります。目の前の問題だけが世界のすべてのように感じられ、出口が見えなくなります。
しかし、そんな時こそ「自分は守られている」「自分はここにいていい」という感覚を思い出すことが、心を立て直す支えになります。
それは宗教的な話でも、特別な思想でもありません。生きてきた事実そのものが、すでに無数の支えの上に成り立っているという、静かな事実の確認です。
だからこそ、どちらか一方を選ぶ必要はありません。
「生かされている」と感じる日もあれば、「恵まれている」と感じる日もある。その揺らぎを含めて、人は人として自然なのだと思います。
そして、その両方を包み込む感覚こそが、次に進むための土台になります。
◯バーチャルウォーター
「生かされている」「恵まれている」。
この二つの言葉は、同じひとつの感覚を違う言葉で表しただけだという風に思います。
先ほども申しました。「温かい感覚」というものに対して、ある人は「生かされている」と思い、また別のある人は「恵まれている」と思った。あるいは、ここではそれを「温かい感覚」と呼んだ、ということです。
バーチャルウォーターという言葉をご存知でしょうか。
おにぎり一個を作るのに、お米づくりから考えると実に270リットルの水が必要だそうです。
その目に見えない水のことをバーチャルウォーターと呼ぶそうです。
ところが、おにぎりに必要なのは水だけではありません。
お米を作る人、お米を運ぶ人、売る人、そしておにぎりを調理する人、その人たちがいて、今目の前に一個のおにぎりがあります。
自分たちの暮らしに関わるすべてのモノや、電車、バスなどの交通機関、すべてに、たくさんの人が関わっていて、その人たちの後ろにも、たくさんの人が関わっています。
すべての人たちが、他人の喜びのために働いています。
そして、そのことでお金を稼ぎ、家族を養い、生きがいが生まれ、自分も幸せになっているのです。
これが「生かされている」「恵まれている」ということです。
この話が示しているのは、私たちの生活が、どれほど多くの「見えない支え」によって成り立っているかという事実です。普段、私たちはそれを意識することなく生きています。コンビニでおにぎりを買う時、その背後にある人の数や時間の積み重ねを、一つひとつ思い浮かべることはほとんどありません。
しかし、意識しないからといって、存在しないわけではありません。
むしろ、意識しないほど自然に受け取っているということ自体が、すでに恵まれている状態だとも言えます。そして、その構造の中で生きているという事実が、「生かされている」という感覚につながっていきます。
重要なのは、これを知識として理解することではなく、感覚として受け取ることです。
頭で「そうらしい」と思うだけでは、人生はあまり変わりません。
ふとした瞬間に、自分の暮らしの背後に無数の人の営みがあることに気づいた時、人の態度や言葉遣い、物の扱い方が自然と変わっていきます。
そしてその変化は、感謝を強要するものではありません。「ありがたく思わなければならない」という義務感ではなく、「自分は一人で立っているわけではない」という安心感です。
その安心感こそが「温かい感覚」の正体なのだと思います。
◯自分も誰かを生かしている
もうひとつ忘れてはいけないことがあります。
自分が生かされているように、自分もまた、誰かを生かしているということです。
ここまでの話は、支えられている側の視点でした。しかし、人生は一方通行ではありません。
私たちは受け取るだけの存在ではなく、同時に与える側でもあります。自分では大したことをしていないと思っていても、その存在や行動が、誰かの人生を確かに支えています。
たとえば、何気なく交わした一言が、誰かの気持ちを軽くしているかもしれません。仕事での一つの作業が、誰かの生活を円滑にしているかもしれません。家族を支え、友人の話を聞き、社会の中で役割を果たしている。
それらすべてが、「誰かを生かす」行為です。
この視点を持つと、「生かされている」「恵まれている」という言葉は、受け身の表現ではなくなります。自分もまた循環の一部として、世界に関わっているという実感が生まれます。
すると、自分の人生に対する見方が少し変わります。無力感や虚しさの中にいた人ほど、「自分にも意味がある」という静かな確信が芽生えてきます。
生きることは、特別な使命を果たすことではありません。
日々を生き、関わり、影響を与え合うことそのものが、すでに十分な価値を持っています。
だからこそ、「どちらの考え方がいいか」という問いの答えは、最終的にこうなります。どちらも、自分と世界のつながりを思い出させてくれる、大切な考え方だということです。
そしてその感覚を胸に、今日を生きる。それだけで、人はもう十分に、生きていると言えるのだと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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