自己中な人に腹が立つ理由|自分を許せば心は軽くなる

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人は誰でも自分のことを中心に考えて生きています。

だから、自己中な人に腹を立てることがあっても、それは当たり前のことです。

大事なのは「そんな自分も悪くない」と思うことです。

自分を責めず、他人も変えようとしないことで、心が楽になります。

人はみんな同じように不完全で、だからこそ優しくなれるのです。

今日は「自己中な人に腹が立つ理由|自分を許せば心は軽くなると題して、自己中な人に腹が立つ理由について考えます。

 

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●自己中な人に腹が立つ理由|自分を許せば心は軽くなる

 

○自己中な人に腹が立つ理由|自分を許せば心は軽くなる

 

自己中な人に腹を立ててしまう自分が嫌です。

そしてそんな自分も自己中であると理解しています。

人間なんてみんな自分のことしか考えてないんです。どうしたらもっと楽に生活できますか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14322120209

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

おっしゃる通り、人間は誰もが自己中心的です。

 

だからこそ、他人を変えようとせず、自分自身も無理に変えようとしないことが大切です。自分を許せないでいると、他人のことも許せなくなるからです。多くの人は、他人に対して腹を立てるとき、その裏側に「こうあるべき」「なぜわかってくれない」という思いを抱えています。しかし、その「こうあるべき」は、実のところ自分の中の基準にすぎません。つまり、他人を責めているようでいて、自分の価値観を押しつけているのです。

 

「自分を許す」といっても、それは甘やかすことではありません。未熟な自分と「共に生きる」ということです。人は誰でも、頭でわかっていてもできないことがあります。感情が追いつかないこともあります。そんなときに自分を責めてしまうと、さらに苦しくなります。大切なのは、変わろうと努力しつつも、変われない自分を否定しないことです。それが「受け入れる」ということの本当の意味です。

 

常に今できる最善を尽くし、できた分だけを認める。完璧でなくてもいい。未熟なままでも生きていていい。そう思えるようになると、他人のことも自然と許せるようになります。

 

たとえば、自己中な人に腹を立てたとしても、「自分もかつて同じようなことをしたかもしれない」と気づくことができれば、その怒りは静まっていきます。人間関係の本質は、相手を変えることではなく、相手との距離の中で自分を見つめ直すことです。

 

未熟な自分と「共に生きる」ことができれば、未熟な他人をも受け入れられるようになります。腹を立ててしまう自分も、情けないと思う自分も、それでいいのです。人間は未完成のまま生きる存在だからこそ、学びがあり、成長があります。自分を許すことは、他人を許すための第一歩なのです。

◯人は皆、我利我利亡者である

 

「自己中な人に腹を立ててしまう自分が嫌」。このことを素直に認めているところが素晴らしいと思います。

 

自分もまた自己中だと認めているところが素晴らしいのです。このことを認めているのなら、何も変える必要はないと思います。そう考えることができるなら、あとはそんな自分を受け入れて、「共に生きる」だけだからです。

 

なぜ、楽に生きられないのか?それは「今の自分では駄目だ」と思っているからです。けれども、今の自分は駄目ではないのです。駄目なところがあるとするなら、「今の自分を駄目だと思っていること」そのものです。人間は誰しも、自分の主観の中で生きています。自分が正しいと思うことを信じて行動し、自分の幸せを願って生きています。だから、どんな人も程度の差はあれ自己中心的なのです。

 

仏教では「人は皆、我利我利亡者である」と教えられます。これは、「自分の利益ばかりを追い求める者」という意味です。しかし、この教えの本質は「それをやめなさい」ではなく、「それが人間の本質なのだと気づきなさい」ということなのです。人間は自分の主観でしか生きられません。だから、自分が正しいとしか思えない。その性質を否定することはできないのです。

 

つまり、「自己中心的であること」を悪だと決めつけるのではなく、「自分もまたその一人である」と素直に認めることが、心を楽にする「始まり」になります。

 

他人を見て腹を立てるのは、「自分ならそうしない」と思っているからです。でも、その「自分ならそうしない」も、ただの主観にすぎません。人は自分の立場と経験によってしか判断できません。だからこそ、相手の行動も、自分の感情も、どちらも「人間らしいこと」と受け止めればいいのです。そこに、善悪の決着をつける必要はありません。認めるだけでいい。認めることが、受け入れることにつながります。

◯本当の意味での“楽に生きる”道

 

「人間はみな自己中心的である」と理解したうえで、どう生きるか。そこに本当の意味での“楽に生きる”道があります。

 

私たちは「正しくありたい」「優しくありたい」と思うあまり、自己中心的な自分を否定しようとします。しかし、否定すればするほど、苦しみは深くなります。なぜなら、「自己中心的であること」は人間の性質であり、完全に消すことはできないからです。

 

他人に腹を立てるのは、「自分の思い通りにいかないこと」に直面しているからです。つまり、相手に腹を立てる瞬間、私たちは「自分の基準を相手に押しつけている」状態にあります。そのことに気づけたとき、怒りはやがて理解に変わります。

 

仏教では「怒りをなくそう」とは教えません。「怒りを見つめなさい」と教えます。感情を抑えることではなく、「そう感じている自分」を静かに見つめるのです。腹を立てている自分を、悪いものとして排除しようとする必要はありません。「いま、自分は怒っている」と気づくだけで十分です。その気づきの中に、心の余白が生まれます。

 

楽に生きるとは、誰かに合わせることではなく、誰かを否定しないことです。嫌な人がいてもいい。腹を立てる自分がいてもいい。そのすべてを「人間らしい」と受け止めることが、心の自由を取り戻す道です。

 

人間は、自己中心的であるからこそ、他人の痛みを想像できます。自分が苦しんだから、他人の苦しみを理解できるのです。自己中心性は、悪ではなく、人間の証。だから、完璧に優しくなくても、思いやりを持てなくても、あなたはそれで十分なのです。

 

腹を立ててもいい。嫌な気持ちになってもいい。その中に「生きている自分」がいる。それを受け入れたとき、あなたの心は静かに軽くなっていくのです。

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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