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祈りが人生を動かす瞬間|意を乗せるという生き方

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祈ることは、何もできないからすることではありません。

「こう生きたい」と心に決めることが祈りです。

祈ることで心が強くなり、行動する力が生まれます。

だから、祈ることは終わりではなく、始まりなのです。

今日は「祈りが人生を動かす瞬間|意を乗せるという生き方と題して、祈りについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。


そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

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●祈りが人生を動かす瞬間|意を乗せるという生き方

 

○祈りが人生を動かす瞬間|意を乗せるという生き方

 

祈るようになったら人間も終わりなんですか?

「祈るようになったら終わり」、「自分でどうにもできない状況に陥り、最後の手段として神頼みしか残されていない状態」や「自分の行動ではなく、運任せになってしまった状態」。

 

行動の放棄、​現実の厳しさ、運や他力(祈り)に委ねてしまった状態。

 

必要なのは、運を掴むための知恵や努力、そしてリスクを負う覚悟であり、それらを放棄して祈りに逃げることは「終わり」なのかもしれないですか?

 

祈るしか残された道がないとか。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10322082130

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

祈りを古神道では「意乗り」と書くそうです。

 

「意を乗せる」ということです。

違う言い方をすると、決意表明とも言えるのではないでしょうか。

 

つまり、「祈り」をどう使うか、だと思うのです。

多くの人は、困った時にだけ祈ります。どうにもならない現実に直面し、手立てを失ったとき、「神様、お願いします」と口にする。けれども、もしそれだけが祈りだとしたら、確かにそれは“終わり”のように見えるかもしれません。

 

しかし、古代の人々にとって祈りは「始まり」だったのではないでしょうか。祈りとは、何かを願うというよりも、「こう生きたい」「こうありたい」という自らの意志を天に託す行為。つまり、祈ることは“自分への宣言”であり、“覚悟の言葉”なのです。

 

私たちは、日常の中で多くの選択をしています。成功するかどうか、結果はわかりません。だからこそ、心の中で「これでいい」と祈る瞬間がある。祈ることで自分の中に一本の軸が立ち、行動が定まる。その祈りは、何かにすがるものではなく、自らの意志を明確にするための「意乗り」なのです。

 

祈りを“逃避”に使えば終わりになります。けれども、“決意”として使えば、それは始まりになる。

祈りとは、自分の意志を乗せ、未来へ向かうための最初の一歩なのです。

◯「祈り」は意志を形づくるエネルギー

 

「ともいき」には3つの約束があり、そのひとつに「素敵な人になると決める」というものがあります。

今回の質問に回答するにあたり、この「決める」という行為は、「祈り(意乗り)」そのものだと感じました。

 

決めることと祈ることは、本質的には同じです。

「こうありたい」「こう生きたい」と決めた瞬間に、人は心の向きを変える。考え方が変わり、見える景色が変わり、行動が変わる。祈りが叶うかどうかは結果の話であり、大切なのは「祈った方向に心が向かうこと」です。

 

たとえば、「幸せになりたい」と祈る人がいます。しかし、それを「幸せであろう」と決めた人は、日常の中で幸せを探す目を持つようになります。見るもの、感じるもの、言葉の選び方さえ変わってくる。

つまり、「祈り」は意志を形づくるエネルギーなのです。

 

「意乗る」という言葉の中には、自分の意志を世界に送り出すという意味があります。思いを込めた祈りは、やがて言葉や行動となって現れ、他者に影響を与え、めぐりめぐって自分に返ってくる。だから、祈りは単なる願いではなく、“循環の始まり”でもあるのです。

 

結果は誰にもわかりません。けれども、意を乗せなければ、何も始まらない。

「祈る」という行為には、静かだけれど確かな“動き”があります。祈りとは、心を動かすことであり、行動を導く最初のエネルギー。

だからこそ、祈りは行動の放棄ではなく、行動を生み出す「決意の種」なのです。

◯祈ることができたとき、ようやく人は始まる

 

「祈り」とは、運を待つことではなく、運を動かすための心の構えです。

祈った瞬間に、すでに自分の中で「動き」が始まっている。

それは外側の世界を変えるというよりも、まず内側の世界を整えるということ。

祈るという行為は、未来を誰かに委ねるものではなく、自分がどう生きるかを再確認する行為だと思うのです。

 

祈り=他力本願と思われがちですが、本当の祈りは「自分の中の力を呼び覚ます行為」です。

心から祈るとき、人は自分の本音と向き合います。

「どうしたいのか」「何を大切にしたいのか」。

その問いを自分に返し、覚悟を定めた瞬間に、祈りは現実を動かすエネルギーへと変わるのです。

 

神に願うことを通じて、自らも努力することを誓っているのです。

神社で手を合わせるのは「どうかお願いします」ではなく、「こう生きます」という宣言。

その祈りの姿勢こそが“意乗り”であり、祈りの本質です。

 

祈りは「終わり」ではなく「整える時間」です。

祈ることで人は、立ち止まり、自分を見つめ直し、再び歩き出す力を取り戻します。

祈りは行動を止めるものではなく、行動に“意味”を与えるもの。

 

祈るようになったら終わりではありません。

祈ることができたとき、ようやく人は始まるのです。

祈りは逃避ではなく、自分と未来への誓い。

祈る人ほど、強く、優しく、生きる覚悟を持っているのだと思います。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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