人と比べてしまう苦しみ|差別ではなく区別で生きる心の整え方

人と比べることは、悪いことではありません。
比べることで自分を知ることができるからです。
大切なのは優劣をつける「差別」ではなく、役割を知る「区別」として違いを見つめること。
他の人のすごいところを見て落ち込むより、「自分もがんばろう」と思えるようになると心が楽になります。
比べてもいい。違っていい。
その気持ちで生きていくと、自然と感謝が生まれて、毎日が少しずつ明るくなります。
今日は「人と比べてしまう苦しみ|差別ではなく区別で生きる心の整え方」と題して、人と比べてしまう苦しみについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
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くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
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●人と比べてしまう苦しみ|差別ではなく区別で生きる心の整え方
○人と比べてしまう苦しみ|差別ではなく区別で生きる心の整え方
昔から人と比べてしまう性格です。
気にしないようにしたいのに、勝手に比べて苦しくなっています。
きっと世の中の人もそれなりの悩みとか困難を抱えながらそれでも明るく生きているだろうに、表面的なことだけ比べてズドーーーーンと落ち込んでしまいます。
人と比べない方法があれば教えてください。
もう少し楽に生きたいです。疲れました。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11321844586)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
比べない方法はないでしょう。
「比べる」には、優劣を比べるだけではなく、区別をするという役割があります。
区別ができなければ、「自分」という存在さえも不安定なものになります。
ですから、比べないようにすることではなく、比べても気にしないことです。
それもまた簡単なことではありません。
人はどうしても、人の持っているもの、自分にないものに目が向いてしまうからです。
けれど、本来「比べる」というのは人間に備わった自然な働きであって、悪いことではありません。私たちは、常に何かと何かを比べながら生きています。朝食に何を食べようか、どんな服を着ようか、誰に会おうか。選択の裏にはいつも「比較」があります。
大切なのは、その「比べたあとの自分の心の扱い方」です。
たとえば、誰かを見て落ち込むとき、それは「自分の中にも同じ可能性があるから」です。
自分にないと思うものに心が反応するのは、それを理解できる感性を持っているからです。
人の優しさに心が動くのは、自分の中にも優しさを知っているから。
「比べないように」ではなく、「比べてもいい」と許してあげること。
それが、比べる苦しみから抜け出す最初の一歩です。
「気にしても仕方がない」「今の自分で生きるしかない」「与えられた“自分”で生きる」。
どこかで、心に区切りをつけることです。
今の自分と「共に生きる」と決めること。
それができたとき、「比べる」という行為は、自分を苦しめるものではなく、自分を知るための道具に変わっていくのです。
◯諦める
大事なことは「諦める」こと。
「諦める」と言っても、断念するという意味ではありません。
「※明らかに見る」ということです。
※仏教の教えです。「諦観」
比べるという人間の機能は、生きていく上で必要なものです。
繰り返しになりますが、人間は他人との優劣だけを比べているのではなく、自分と自分以外、あるいは人とモノ、過去と今、理想と現実など、あらゆるものを比べています。
だから、「比べない」ということは、現実的には不可能です。
比べたうえで、その違いをどう解釈するか──そこにしか答えはありません。
人は比べたとき、どうしても上下や優劣をつけてしまいます。
自分が他人より劣っていると思った瞬間、ズドーーーーンと心が沈んでしまう。
でも、よくよく考えれば常に自分が優位であることなどあり得ません。
上には上がいるし、下には下がいる。
では、どう比べればいいのでしょうか。
肝心なのは、比べ方です。
上下や優劣で比べるのではなく、「役割」で比べるのです。
自分と他人の違いを「差」ではなく「区別」として見てみるのです。
差別は、違いに優劣をつけること。
区別は、違いをそのまま認めること。
それぞれが違う役割を持っているだけ。
あなたが他人と違うのは、当然のことです。
その違いを無理に埋める必要も、否定する必要もありません。
「諦める」というのは、その現実を「明らかに見る」こと。
人と比べることをやめるのではなく、「比べたあとに自分を責めない」ことです。
誰かと違うことを、ただ受け入れる。
その瞬間から、比べるという行為は成長を助ける「区別」へと変わっていきます。
◯「比べること」は「自分を知ること」
比べることをやめられないのが人間です。
けれど、比べた先に「感謝」が生まれたとき、その行為は苦しみではなく気づきに変わります。
人と比べて落ち込むとき、私たちは「自分にはないもの」ばかりを見ています。
けれど、裏を返せば「自分が何を求めているのか」に気づいているということです。
人の優しさを羨ましく感じるのは、自分の中にも優しさを理解する心があるから。
人の努力をすごいと思えるのは、自分の中にも努力したい気持ちがあるから。
つまり、「比べること」は「自分を知ること」でもあるのです。
自分を知ることで、自分の役割が見えてきます。
他人のすごさを見たとき、それは自分が「その人の役割」を感じ取っている証拠です。
そして、自分の役割が見えたとき、他人との違いに感謝が生まれます。
「自分にできないことをしてくれる人がいる」「自分を補ってくれる存在がいる」と。
その瞬間、人と自分の違いは「差」ではなく「支え合い」に変わります。
比べることは、決して悪ではありません。
比べるからこそ、自分に足りないものを知り、誰かの素晴らしさに気づける。
その気づきが「ありがとう」という感謝を生み、感謝があるからこそ、人はまた前を向けるのです。
人と比べることは、避けられない。
でも、比べながらも「これは差別ではなく区別だ」と言えるようになると、心はずっと軽くなります。
人それぞれが違う役割を生きている。
違いがあるからこそ、社会は成り立っている。
違いを認め、受け入れ、感謝する。
そのとき、「比べる痛み」は、「比べて気づく力」へと変わっていくのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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