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人生の後半こそ好きなことをして生きる|“駄目”じゃなく“正解”な生き方

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人は、どんなときも「自分でやりたいこと」を選んで生きています。

だから「好きなことをして生きたい」と思うのは、悪いことではありません。

人生には失敗もありますが、それも自分が選んだ結果です。

人のせいにせず、自分の気持ちを大切にして生きることが、本当の自由につながります。

人生の後半も、そして、それに気づいたなら人生の前半でも、自分の心に正直に生きていいのです。

今日は「人生の後半こそ好きなことをして生きる|“駄目”じゃなく“正解”な生き方と題して、人生の生き方について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。


そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

●おすすめYouTube

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そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。

●鈴木農水大臣 安倍晋三さんとの2012年7月1日のエピソードを話す

 

●人生の後半こそ好きなことをして生きる|“駄目”じゃなく“正解”な生き方

 

○人生の後半こそ好きなことをして生きる|“駄目”じゃなく“正解”な生き方

 

人生の後半になるほど好きなことだけして生きていきたいと思ったら駄目ですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11321782706
※質問は原文ママです。

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

 

解釈次第ですが、人間は「好きなことしかやっていない」という解釈ができます。

やりたいことは何がなんでもやるし、どうしてもやりたくないことは何だかんだと理由をつけてやらない。やったとしても本気にはなれません。やりたいことを諦めたとしても、やりたい思いがその程度だったとも言えます。そういう葛藤が、まるで「好きなことだけをしては生きてはいけない」という錯覚を生み出しているのです。

 

しかし、やるにしてもやらないにしても、最終的に決断したのは「自分」のはずです。

つまり、人間は結局、自分がやりたいこと、好きなことしかしていないと解釈することができます。

 

「仕事だから」「家族のために」と言いながらも、結局はそうしたいからそうしている。そこにどんな理由をつけようとも、最後に選んでいるのは自分自身です。誰かに言われたから、仕方なくやったように思えることでも、「それを受け入れる」という選択をしたのは自分。そう考えると、私たちは人生のすべての瞬間で、「好きなこと」をしているとも言えるのです。

 

人生の後半だからといって、好きなことを制限する必要はありません。むしろ、今までの経験があるからこそ、自分の「好き」の意味がより明確になります。若い頃は「やりたいことがわからない」と悩む人も多いですが、後半になれば「これは違う」「これは本当に心地いい」という感覚がはっきりしてくる。それは、時間と経験を積み重ねた人だけが持てる「感性の知恵」です。

 

「好きなことだけして生きる」というのは、何も新しい挑戦をすることだけを指すのではありません。

小さな日常の中に、自分の“好き”を取り戻すことでもあります。好きな音楽を聴く、好きな人と過ごす、好きな景色を見る――そんな積み重ねこそが、人生の後半を豊かにしていくのです。

人生の後半だからと言わず、自覚を持って「したいこと、好きなこと」をすればいいのです。

◯自分はどんな意図で行動したのか

 

人生に駄目なことなどありません。

ただただ、原因と結果があるだけです。

やったことに対する結果があるだけなのです。

 

ですから、どんな生き方をしても、それはその人の自由です。ただし、やったこともやらなかったことも、すべて自分に返ってきます。たとえ、その結果が不本意であったとしても受け入れるしかありません。

 

受け入れるといっても、「納得しないといけない」という意味ではありません。納得しようがしまいが、その結果は現実として目の前に広がり、その現実を生きるしかないということです。人生とは、自分が選んだ行動の連続でできており、そこに「正しい・間違い」は本来存在しません。

 

気をつけたいのは、結果とはたくさんの原因の集合体だということ。

自分が起こした原因”ひとつ”で結果が作られているわけではありません。自分が良い行いをしたからといって、必ずしも良い結果が出るとは限りません。逆に、失敗したことが、長い目で見れば自分を救うきっかけになることもあります。

 

だからこそ、「結果」だけに一喜一憂するのではなく、「自分はどんな意図で行動したのか」を大切にすべきです。どんなに結果が思い通りでなくても、そこに誠実さがあったなら、その経験は必ず未来で意味を持ちます。

 

「好きなことをしてもいいのか」と悩む人は多いですが、実はその悩み自体が、「自分の行動に責任を持ちたい」という証拠でもあります。

好きなことをして生きる人ほど、自分の行動に対して敏感です。だからこそ、うまくいかないときに落ち込み、周りの視線を気にしてしまうのです。けれども、そこにこそ人としての成長があります。

 

「やってみたい」と思う気持ちが湧いたなら、それがすでに一つの原因です。

行動すれば、それが新たな結果を生み出します。結果がどうであれ、その過程で自分が何を感じ、何を学ぶか――それこそが人生の醍醐味なのです。自分の信じた「好き」を貫くことが、最終的には最善の原因になるのです。

◯自分の心に正直に、静かに誇りを持って生きる

 

「好きなことだけして生きていきたい」という思いは、決してわがままではありません。

むしろそれは、「本音で生きたい」という人間らしい自然な欲求です。

人生の前半は、社会や他人の期待に応えることにエネルギーを使ってきた人が多いでしょう。しかし、後半に差しかかると、「本当はどう生きたいのか」「自分にとっての幸せとは何か」という問いが浮かび上がってきます。それは、これまでの積み重ねがあるからこそ出てくる成熟した問いです。

 

好きなことだけして生きるというのは、実は「逃げ」ではなく「選択」です。

嫌なことを避けているのではなく、「自分の時間を、心が喜ぶ方向に使う」という主体的な生き方です。たとえば、好きなことをしているときは、努力や苦労さえも楽しさに変わります。逆に、やりたくないことをしていると、どれだけ成功しても満たされません。

結局、「何をやるか」ではなく、「どんな心でやるか」が人生の質を決めているのです。

 

もちろん、「好きなことだけして生きていく」には覚悟も伴います。

好きなことには責任もセットでついてきますし、楽しいだけの日々ではありません。好きな道を選んだ結果、孤独を感じることもあるでしょう。周囲の理解を得られないこともあるかもしれません。

けれども、その孤独こそが「自分の人生を生きている証拠」です。誰かに決められた道ではなく、自分の意志で選んだ道に立っているからこそ、そこには静かな誇りが宿ります。

 

また、「好きなことだけして生きる」ことは、他人を無視することではありません。

むしろ、自分を大切にするからこそ、他人の気持ちにも寄り添えるようになります。自分を犠牲にして他人を喜ばせる生き方は、一見美しく見えますが、心の中に無理が生まれます。

本当の優しさとは、自分の心を満たしたうえで、自然と周りに優しさを分けられる状態のことです。

 

人生の後半は、誰かに認められるためではなく、自分を喜ばせるために生きる時間です。

今まで積み重ねてきた経験があるからこそ、これからは「好き」を中心に据えてもいいのです。好きなことをして生きるとは、自由を得ることではなく、「自分で自分を縛らない生き方」を選ぶこと。

そしてその自由は、他人から与えられるものではなく、「自分で自分を許す瞬間」から始まります。

人生の後半こそ、自分の心に正直に、静かに誇りを持って生きていきましょう。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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