信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心

「信頼よりもっと深いつながりってあるの?」という質問に、「ともいき」という言葉で答えました。
ともいきとは、一緒に生きること。
信じる・信じないではなく、おたがいが同じ空気を吸って生きているような関係です。
人と人が心でつながることの大切さを伝えています。
今日は「信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心」と題して、信頼の先にある言葉について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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●信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心
○信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心
信用よりも信頼のほうが強いと思いますが、信頼に優るものがあるとすれば、それはどんな言葉で表現すべきものでしょうか。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14321301939)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
共生という言葉で表すとどうかと思いました。
浄土宗では「共生」と書いて「ともいき」と読むそうです。
実は、自分の活動に「ともいき」という名をつけたのは、この読み方を知ったことがきっかけでした。
「ともいき」という音を口にしたときの、あの丸く柔らかな響き。
どこか包み込むような優しさがあり、「ああ、これだ」と心に響いたのを覚えています。
話を元に戻しましょう。
「信用」や「信頼」という言葉には、明確な主体と客体があります。
「あなたを信頼する」「この人を信用できない」というように、常に“相手”を判断する構図が存在します。
つまり、信頼とは関係性の上に成り立つ“距離のある絆”なのです。
けれど、「ともいき」は違います。
そこには、信じる・信じないという選択がそもそも存在しません。
ふたりが分かれて存在しているのではなく、まるで“一体”になって生きているような感覚。
互いを判断する必要がなく、ただ「共に在る」。
それが「ともいき」という状態です。
「信用」や「信頼」は二人称的な関係ですが、「ともいき」は一人称複数。
“私たち”として生きる感覚です。
そこには比較や条件もなく、「それしかない」世界が広がっています。
信用や信頼を超えた関係を言葉にするなら、まさにこの「ともいき」という在り方がふさわしいのではないでしょうか。
信頼の先に生まれるのは、もう“信じる”という行為を必要としない関係。
ただ、共に息づく関係です。
◯“ともに生きている”という実感
信頼には、まだ「私」と「あなた」という境界が残っています。
「私はあなたを信頼している」――この言葉の中には、無意識のうちに“距離”が存在します。
けれど、「ともいき」はその境界を溶かしていく言葉です。
たとえば家族。
あるいは、長年連れ添った夫婦。
あるいは、何も言わずとも通じ合う仲間。
そうした関係の中には、「信頼している」という言葉を超えた、静かな一体感が流れています。
それは「あなた」と「私」が完全に溶け合うということではありません。
それぞれが自分のままでありながら、同じ空気を吸い、同じ方向に歩んでいく感覚です。
つまり、「ともいき」とは“共鳴”に近いのです。
共鳴は、相手を操作することも、支配することもなく、ただ響き合うだけです。
そしてその響きの中に、言葉では表現できない深い安心が生まれます。
信頼の先にあるのは、まさにこの共鳴の世界です。
信用の段階では「相手を見て判断する」、信頼の段階では「相手を受け入れる」。
しかし「ともいき」は、判断も受け入れも超えて、「すでにひとつである」という境地です。
それは宗教的でも、精神的でもなく、ごく人間的な実感です。
一緒に食卓を囲む、一緒に笑う、一緒に泣く――そうした日常の中に、境界のない信頼が自然と育まれていく。
「信頼に優るもの」があるとすれば、それは“ともに生きている”という実感そのものなのです。
そこには、言葉よりも確かな体温があります。
◯自然に生きる
「ともいき」という言葉を言い換えると「自然に生きる」だと思います。
森の木々は、お互いの根を通して水分や栄養を分け合っています。
強い木が弱い木を助け、倒れた木が新しい命の養分になる。
そこには“信頼”という言葉すら存在しません。
ただ、共に生きている。自然に生きているのです。
人間の関係も、本来はそうあるべきではないでしょうか。
誰かを信じようとする前に、相手のいのちを自分の中に感じること。
その瞬間、もう「信頼する・しない」という段階を超えて、「一緒に生きている」状態に入ります。
この感覚を持つと、人との関係は驚くほど変わります。
誰かを許すとか、理解するとか、そうした努力が不要になるのです。
なぜなら、“同じいのち”を感じているからです。
「ともいき」は、他者と争わない心の在り方を教えてくれます。
それは理想ではなく、実践的な生き方。
自分の中のエゴを少し手放し、相手を自分の一部として感じてみる。
たったそれだけで、信頼の先にある穏やかな世界が見えてきます。
信頼を超えるものは、愛でもなく、思いやりでもなく、ただの“共生”です。
ともに呼吸し、ともに感じ、ともに生きる。
そこにこそ、人と人との究極のつながりがあるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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