Amazonで電子書籍を出版しました。

KindleUnlimited会員なら0円で購入できます。

ぜひ、お読みください。m(_ _)m

くろちゃんへの承認のクリックをお願いします
人気ブログランキング

信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心

amazonチャージ  コンビニ・銀行でチャージする度最大2.5%ポイント

「信頼よりもっと深いつながりってあるの?」という質問に、「ともいき」という言葉で答えました。

ともいきとは、一緒に生きること。

信じる・信じないではなく、おたがいが同じ空気を吸って生きているような関係です。

人と人が心でつながることの大切さを伝えています。

今日は「信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心と題して、信頼の先にある言葉について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。


そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

●おすすめYouTube

くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!

今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。

●王貞治"練習は嘘をつかない"

 

●信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心

 

○信頼の先にある言葉とは|「ともいき」が教える共生の心

 

信用よりも信頼のほうが強いと思いますが、信頼に優るものがあるとすれば、それはどんな言葉で表現すべきものでしょうか。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14321301939

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

共生という言葉で表すとどうかと思いました。

 

浄土宗では「共生」と書いて「ともいき」と読むそうです。

実は、自分の活動に「ともいき」という名をつけたのは、この読み方を知ったことがきっかけでした。

「ともいき」という音を口にしたときの、あの丸く柔らかな響き。

どこか包み込むような優しさがあり、「ああ、これだ」と心に響いたのを覚えています。

 

話を元に戻しましょう。

 

「信用」や「信頼」という言葉には、明確な主体と客体があります。

「あなたを信頼する」「この人を信用できない」というように、常に“相手”を判断する構図が存在します。

つまり、信頼とは関係性の上に成り立つ“距離のある絆”なのです。

 

けれど、「ともいき」は違います。

そこには、信じる・信じないという選択がそもそも存在しません。

ふたりが分かれて存在しているのではなく、まるで“一体”になって生きているような感覚。

互いを判断する必要がなく、ただ「共に在る」。

 

それが「ともいき」という状態です。

 

「信用」や「信頼」は二人称的な関係ですが、「ともいき」は一人称複数。

“私たち”として生きる感覚です。

そこには比較や条件もなく、「それしかない」世界が広がっています。

 

信用や信頼を超えた関係を言葉にするなら、まさにこの「ともいき」という在り方がふさわしいのではないでしょうか。

信頼の先に生まれるのは、もう“信じる”という行為を必要としない関係。

ただ、共に息づく関係です。

◯“ともに生きている”という実感

 

信頼には、まだ「私」と「あなた」という境界が残っています。

「私はあなたを信頼している」――この言葉の中には、無意識のうちに“距離”が存在します。

けれど、「ともいき」はその境界を溶かしていく言葉です。

 

たとえば家族。

あるいは、長年連れ添った夫婦。

あるいは、何も言わずとも通じ合う仲間。

そうした関係の中には、「信頼している」という言葉を超えた、静かな一体感が流れています。

 

それは「あなた」と「私」が完全に溶け合うということではありません。

それぞれが自分のままでありながら、同じ空気を吸い、同じ方向に歩んでいく感覚です。

 

つまり、「ともいき」とは“共鳴”に近いのです。

共鳴は、相手を操作することも、支配することもなく、ただ響き合うだけです。

そしてその響きの中に、言葉では表現できない深い安心が生まれます。

 

信頼の先にあるのは、まさにこの共鳴の世界です。

信用の段階では「相手を見て判断する」、信頼の段階では「相手を受け入れる」。

しかし「ともいき」は、判断も受け入れも超えて、「すでにひとつである」という境地です。

 

それは宗教的でも、精神的でもなく、ごく人間的な実感です。

一緒に食卓を囲む、一緒に笑う、一緒に泣く――そうした日常の中に、境界のない信頼が自然と育まれていく。

 

「信頼に優るもの」があるとすれば、それは“ともに生きている”という実感そのものなのです。

そこには、言葉よりも確かな体温があります。

◯自然に生きる

 

「ともいき」という言葉を言い換えると「自然に生きる」だと思います。

 

森の木々は、お互いの根を通して水分や栄養を分け合っています。

強い木が弱い木を助け、倒れた木が新しい命の養分になる。

そこには“信頼”という言葉すら存在しません。

ただ、共に生きている。自然に生きているのです。

 

人間の関係も、本来はそうあるべきではないでしょうか。

誰かを信じようとする前に、相手のいのちを自分の中に感じること。

その瞬間、もう「信頼する・しない」という段階を超えて、「一緒に生きている」状態に入ります。

 

この感覚を持つと、人との関係は驚くほど変わります。

誰かを許すとか、理解するとか、そうした努力が不要になるのです。

なぜなら、“同じいのち”を感じているからです。

 

「ともいき」は、他者と争わない心の在り方を教えてくれます。

それは理想ではなく、実践的な生き方。

自分の中のエゴを少し手放し、相手を自分の一部として感じてみる。

たったそれだけで、信頼の先にある穏やかな世界が見えてきます。

 

信頼を超えるものは、愛でもなく、思いやりでもなく、ただの“共生”です。

ともに呼吸し、ともに感じ、ともに生きる。

そこにこそ、人と人との究極のつながりがあるのです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。

ぜひ、お読みください。m(_ _)m

 

ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。

「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!

くろちゃんへの承認のクリックをお願いします
人気ブログランキング
くろちゃんのメルマガ 日刊ともいきマガジンの登録はこちらです。
Amazonで電子書籍を出版しました。

KindleUnlimited会員なら0円で購入できます。

ぜひ、お読みください。m(_ _)m