自分が嫌いすぎてたまりません|嫌う自分と生きる方法

自分のことが大嫌いだと思うときは、心が苦しくなります。
でも「嫌い」と思う気持ちの中には、「本当はこうなりたい」という思いも隠れています。逃げてしまうのも、頑張りたい気持ちがあるからです。
人は誰でも、好きなところと嫌いなところがあるものです。まずは「そんな自分がいてもいい」と思うことから、少しずつ心が軽くなっていきます。
今日は「自分が嫌いすぎてたまりません|嫌う自分と生きる方法」と題して、自分が嫌いについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
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奇跡を感じている
くろちゃんです。
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今日も、
そんなYouTubeの中から
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●自分が嫌いすぎてたまりません|嫌う自分と生きる方法
○自分が嫌いすぎてたまりません|嫌う自分と生きる方法
自分が嫌いすぎてたまりません
全てが嫌いです
逃げ癖も完璧を求めすぎてる性格も
素の自分を受け入れられない性も
本当に自分が全部悪いんです。嫌いすぎてたまりません
誰かこの感情をマシする方法ありませんか
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14321276504)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
自分を嫌いな自分、逃げ癖がある自分、完璧を求めているのに完璧でない自分、素の自分を受け入れられない自分を認めていますし、あとは、その自分と共に生きていくことを決めるだけです。
「決める」ことが難しいと感じるかもしれませんが、何かを変えるのではなく、今のままの自分を「始まり」にして、これからを生きていくだけです。
多くの人は、「嫌いな自分をなくしたい」と思いながら生きています。けれど、本当の意味で自分を救うのは、「変わること」ではなく「認めること」です。逃げてしまった過去も、うまくいかなかった経験も、すべて自分の一部です。どれか一つでも欠ければ、今のあなたは存在しません。だからこそ、「そんな自分もいた」と認めるだけでいいのです。
逃げてしまう自分を責める代わりに、「自分は逃げるしかなかったほど、つらかったんだ」と認めてあげてください。逃げるという行為は、恥ではなく「もうこれ以上頑張れなかった」という心のSOSです。人は弱いからこそ、傷つき、迷い、立ち止まります。
その弱さをなかったことにしようとすればするほど、心はどんどん苦しくなります。だからこそ、「自分は弱かった」と素直に認めることが、回復への第一歩になるのです。
完璧を求めすぎて苦しい自分にも、同じように優しく向き合ってください。「完璧でなければ価値がない」と思ってしまうのは、心のどこかで自信を失っているからです。その不完全さを受け入れることは、「自分の限界を知り、できないことを認める勇気」を持つこと。完璧を手放すのは諦めではなく、ありのままの自分に戻るための“強さ”です。
私たちは「強くなる」という言葉を聞くと、弱さを克服することだと考えがちです。けれど、本当の強さとは、弱さを抱えたまま、それでも生きていこうとする姿の中にあります。弱さを認めること。それは、自分を嫌いなままでも生きていけるようになる、いちばん現実的で、やさしい方法です。
だから、「嫌いな自分をなくそう」としないでください。どんなに嫌っても、逃げても、自分は自分から離れられません。ならば、その自分を否定するより、「そんな自分でも、今ここにいる」と受け止めることから始めてみましょう。
その瞬間から、あなたの人生は、静かに変わり始めます。
◯「不完全さ」は、欠陥ではなく“人間である証”
「弱さを認める」ということは、自分だけが欠けているわけではないと知ることでもあります。
多くの人は、自分の欠点や弱さばかりを見て、「自分は他の人より劣っている」と感じてしまいます。けれど実際には、誰もが何かを抱え、何かを失い、何かを諦めながら生きています。
自信を持って「自分に満足している」と言える人など、ほとんどいません。
人間は誰でも、自分の中に「嫌いな部分」や「変えたい部分」を持っています。
それを努力で克服できるなら良いのですが、どうしても変えられないことや、受け入れざるを得ないこともあるでしょう。
たとえば性格の癖や心の傷は、完全に消すことができません。
しかし、だからこそ人は他人に優しくなれたり、共感する力を持てたりするのです。
たとえば健康を考えてみましょう。
私たちの体の中では、毎日、数千個ものがん細胞が生まれているといわれます。
それでも健康でいられるのは、免疫機能が働いているからです。身体は完全ではありませんが、完全でないことを前提に、バランスを取りながら生きているのです。
心もまったく同じです。
完璧ではないからこそ、人は支え合い、学び合い、許し合うことができます。
「不完全さ」は、欠陥ではなく“人間である証”なのです。
そして、その不完全さを受け入れた瞬間、人は驚くほど自由になります。
弱さを否定する生き方は、常に緊張を伴います。
「ちゃんとしなきゃ」「失敗してはいけない」と思うたびに、自分の首を絞めてしまう。
けれど、「できないときもある」「迷うこともある」と認めると、心は少しずつほぐれていきます。
自分を守るために“完璧”を求めてきた心が、「不完全でもいい」と思えたとき、初めて本当の意味での“安心”が訪れるのです。
誰もが不完全で、誰もが弱い。
その前提を受け入れたとき、人はようやく他人にも、自分にも優しくなれます。
そして、その優しさこそが、あなたを再び立ち上がらせてくれる力になるのです。
◯自分を理解する
「自分を嫌い」という感情は、突き詰めれば「本当の自分を理解できていない苦しさ」から生まれます。
自分の弱さを認めたあとに大切なのは、嫌うことではなく“理解しようとすること”です。
たとえば、逃げ癖がある自分を責めるのではなく、「なぜ逃げたかったのか」を考える。
完璧を求めすぎる自分を嫌うのではなく、「なぜそこまで頑張りたかったのか」を見つめる。
そこにあるのは、ただ怠けているわけでも、強がっているわけでもなく、
「傷つきたくない」「誰かに認められたい」「安心したい」という、ごく人間的な願いです。
自分を理解するとは、過去の自分の“選択”を責めるのではなく、“背景”を見つめること。
「なぜ、あのときそうするしかなかったのか」を知ろうとすることです。
そうすれば、今まで嫌っていた部分の中にも、「ちゃんと理由があった」と気づけます。
人間の成長とは、自分を変えることよりも、自分を理解する深さで決まります。
弱さを理解できたとき、人は他人の弱さにも寛容になります。
それが、心の成熟というものです。
そして、理解の先に生まれるのが「許し」です。
完全に好きになれなくても、許せるようになる。
その瞬間、自分との戦いが静かに終わります。
誰かに認めてもらうよりも先に、自分が自分を理解し、認めてあげること。
それが「自分を嫌いすぎてたまらない」状態から抜け出す、最も確かな方法です。
嫌いな自分と和解することは、決して特別なことではありません。
それは、弱さを抱えたまま、それでも前を向いて生きていくという、
とても人間らしい、誇らしい生き方なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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