始まりと終わりしか楽しめない|途中を楽しむための人生の見方

はじめとおわりだけを楽しんで、まんなかの時間がつまらないと感じることがあります。
でも、人生のほとんどは「まんなかの時間」です。
だから、今の一歩一歩を大切にすると、毎日が楽しくなります。
山登りも、山頂だけが楽しいわけではありません。
途中の風や景色を感じるように、「今このとき」を味わうことで、人生そのものがもっと素敵になります。
今日は「始まりと終わりしか楽しめない|途中を楽しむための人生の見方」と題して、間を楽しむについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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観るのが大好きです。
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今日も、
そんなYouTubeの中から
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●始まりと終わりしか楽しめない|途中を楽しむための人生の見方
○始まりと終わりしか楽しめない|途中を楽しむための人生の見方
何事も始まりと終わりしか楽しめず、中間は楽しめないのが自分の足りていないところです。だから、そこをいかに補うかが今後のテーマになってきます。
何かアドバイスをいただけると嬉しいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11321155526)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
大きな始まりと終わりの中には、無数の小さな始まりと終わりが存在しています。
朝起きてから夜眠るまでの一日もそうです。仕事を始める瞬間も、休憩を終える瞬間も、すべてがひとつのサイクルの中にあります。
その視点に立てば、私たちは「始まりと終わり」だけでなく、日々のすべての瞬間に小さな区切りを見つけることができるのです。
つまり、「今」という瞬間そのものを始まりでもあり、終わりでもあると捉える。
そうすると、どんな時間も「途中」ではなくなります。
どの瞬間も完結した出来事であり、それ自体が完璧な体験なのだと気づけるようになります。
たとえば、コーヒーを飲むひとときに意識を向けてみましょう。
香りを感じ、口に含み、温度や苦味を味わう――それだけで、ひとつの小さな物語が終わります。
「まだ何も達成していない」と焦る気持ちが生まれた時こそ、「今この瞬間」に戻る練習をしてみてください。
始まりと終わりしか楽しめないというのは、「結果を基準にしている」状態でもあります。
けれど、「今」という瞬間をひとつの完成形と見なせば、結果を待たずして人生を味わうことができます。
そうすれば、楽しめない中間など存在しなくなり、すべての瞬間が「始まりと終わりの連続」として輝き始めるのです。
「今を丁寧に生きる」ことは、特別な修行でも努力でもありません。
ほんの少し立ち止まり、呼吸を感じ、いま目の前にある出来事を五感で受け取るだけ。
その積み重ねが、楽しみを未来や過去に預ける生き方から、「今ここで完結する生き方」へと変えていきます。
◯「歩く時間」を愛せる人のもとに豊かさが集まる
登山を例に考えてみましょう。
もし、始まりと終わりしか楽しめないのだとしたら、それは登山口と山頂に到達した時だけ喜びを感じるようなものです。
つまり、スタートとゴールの二点にしか価値を置かないということになります。
しかし、登山の本質は「登ること」そのものです。足を動かし、息を整え、景色を味わいながら進む――その過程こそが登山の醍醐味です。
道中では、鳥のさえずりを聞き、木々のざわめきを感じ、時に疲れを覚え、達成感の予感を味わいます。
これらすべてが「登山をしている時間」です。
もし、山頂だけに価値を置いてしまえば、その膨大な時間を「ただの通過点」として失うことになります。
また、途中で下山することになった登山もあります。
天候が悪化したり、体調が崩れたりして、やむを得ず引き返す。
そんなとき、「登頂できなかった」と悔やむ人もいるでしょう。
けれど、その道のりを一歩でも登ったという事実があるなら、それも立派な登山です。
人生も同じです。
私たちはゴールを目指して進む過程の中で、無数の学びや出会いを経験しています。
もし途中で計画が変わっても、思い通りにならなくても、その時間が無意味になることは決してありません。
むしろ、想定外の出来事の中にこそ、最も深い気づきが眠っているものです。
登山の途中で見える空の色、吹き抜ける風、仲間との会話。
それらを「終わりまでのつなぎ」として流してしまうか、「一瞬一瞬の宝物」として受け取るか。
その違いが、人生を味わえるかどうかを分けます。
道中を楽しめる人は、ゴールの質も高まります。
なぜなら、プロセスを大切にしている人ほど、結果に執着せず、柔軟に次の挑戦へ進めるからです。
登山を終えたあと、「また登りたい」と感じられるのは、道中が楽しかったからこそ。
人生もまた、同じように「歩く時間」を愛せる人のもとに、豊かさが集まるのです。
◯途中こそ人生
「中間を楽しめない」という感覚は、実はとても誠実な生き方の証なのかもしれません。
なぜなら、途中の過程を真剣に見つめているからこそ、「まだ完成していない」と感じるからです。
これは、怠けではなく「もっと良くなりたい」という向上心の表れなのです。
ただし、その向上心が強すぎると、「今」がいつも不足して見えてしまいます。
どんなに頑張っても「まだ足りない」「まだ途中」と思い、満足することができません。
この思考の癖をやわらげるために必要なのは、「完璧を手放すこと」です。
途中の不安や失敗も、未来の成功に必要な素材です。
たとえば料理では、味見を重ねる段階こそが一番クリエイティブで楽しい時間です。
焦げそうになったり、味が決まらなかったり――そんな不完全な時間にこそ、成長の芽が隠れています。
また、「変化を見える形で残す」こともおすすめです。
過程が退屈に感じるのは、自分の成長に気づけていないから。
日記を書いたり、進捗をメモしたりすることで、自分がどれだけ前に進んでいるかが実感できます。
その実感が、「まだ途中」という感覚を「ちゃんと進んでいる」という安心に変えてくれます。
そして何より大切なのは、「途中を生きる時間こそが人生の大部分」だということ。
結果が出る瞬間はほんの一瞬ですが、過程の時間はずっと続いています。
だからこそ、「終わりを待つ」よりも、「今を積み重ねる」ことを楽しむ生き方が、最も幸福に近いのです。
始まりと終わりを特別視せず、その間にある迷い、試行錯誤、停滞さえも「生きている証」として受け入れる。
そうすることで、人生はもっと味わい深く、豊かになっていきます。
「途中こそ人生」。
そう思えるようになったとき、あなたはもう、中間を楽しめる人になっているのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
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