知らない人への態度は本性?|人間の多面性と本性の一部について
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知らない人への態度は、その人の性格の一部を見せています。でもそれが全部ではありません。
人はやさしいときも冷たいときもあり、その全部をあわせて本当の自分になるのです。
今日は「知らない人への態度は本性?|人間の多面性と本性の一部について」と題して、知らない人への態度は本性?について考えます。
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●知らない人への態度は本性?|人間の多面性と本性の一部について
○知らない人への態度は本性?|人間の多面性と本性の一部について
知らない人に対する態度がその人の本性だと思いますか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11320315376)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
知らない人(二度と会わない人)だと思うと、自分の負の部分(怒りやわがままなど)を出すことに遠慮がなくなる人がいます。それは確かに本性の一部ではあるけれど、本性には負だけでなく正の部分もあるはずです。ですから、それを本性の全部とは呼べないように思います。
たとえば、電車や店で知らない人に対して乱暴な態度を取る人がいます。これは「見られていない」という油断や「どうせ一度きり」という認識が働くためでしょう。
人間は本来、多面的な存在であり、親しい人には優しくできても、赤の他人には無関心や冷たさを見せることもあるのです。しかし、それをもって「この人の本性は冷酷だ」と断じるのは、あまりに単純化しすぎた解釈でしょう。
人には、家庭での姿、友人との姿、仕事での姿、そして知らない人に対する姿があります。そのどれもが「その人自身」であり、切り離して考えることはできません。
むしろ、それらの総和こそが「本性」に近いものだといえます。知らない人に素っ気ない態度をとるのは確かに一面の表れですが、それは本性の“全部”ではなく、状況によって引き出された“部分”に過ぎないのです。
つまり、知らない人への態度から本性を垣間見ることはできても、それがすべてだと決めつけるのは誤りです。
本性とは、負だけでなく正の面をも含んだ、もっと広がりのあるものだからです。
◯人の本性は「結果の断片」にではなく、「変化の過程」
「今見ている「あなた」は、”あなたの全部”ではなく一部です」。
「今」というのは、別の言葉に置き換えると「結果」です。結果は、これまでの様々な要因(原因)の集合体です。
ひとつの原因に対してひとつの結果が出ているわけではありません。たくさんの事情、要因、人間関係やタイミング、時代背景、未来への予測、それら「今」を取り巻く様々な要因の結果として今があるわけです。「今のあなた」は、その結果の一部でもあるのです。
知らない人と相対している「今」「今のあなた」も、それらのたくさんの事情や要因の結果です。
もし、ひとつでも条件が違えば違う「今」、違う「あなた」が、そこにいるはずなのです。だとすると、その奇跡のような「今」あるいは「あなた」だけを捉えて本性とするのは、いささか無理があると思うのです。確かに本性の一部であることは間違いありません。
こんな言い方もできます。本性を隠している姿だって、その人の本性を表している。
たとえば、知らない人に冷たく接したとしても、それはそのときの心の余裕のなさや体調、または社会的な背景などの「要因」が重なった結果です。
逆に、親切に接する場合も、同様にさまざまな事情が絡み合っているのです。私たちは、ある瞬間の「行動」や「態度」だけを切り取って相手を評価しがちですが、その瞬間は膨大な要因が織り込まれた「一つの表現」に過ぎません。
つまり、本性は単なる「今の態度」ではなく、状況の変化によって多様に表れるものです。そして、本性を「隠している姿」もまた、その人の選択であり表現です。
人は仮面をかぶることもありますが、その仮面をかぶる選択自体もまた本性の一部。
要するに、人の本性は「結果の断片」にではなく、「変化の過程」にこそ潜んでいるのです。
◯本性とは「矛盾を含んだ全体像」
ここまで見てきたように、知らない人に対する態度は、その人の本性の一部を表すことはあっても、すべてではありません。では、本性とは何か。「矛盾を含んだ全体像」だといえないでしょうか。
人は誰しも矛盾を抱えています。優しいのに怒りっぽい、正直なのにずる賢い、思いやりがあるのに冷淡な行動をとることもある。これらは決して嘘や仮面ではなく、すべてその人の本性の一部です。本性とは、善悪や正負をひとつにまとめた「総合的な姿」なのです。
知らない人に冷たい態度をとるのも本性なら、知らない人に親切にするのも本性です。どちらか一方だけを抜き出して「これがその人の正体だ」と言ってしまうのは、人間という存在をあまりに単純化しすぎています。むしろ、本性とは矛盾や揺らぎを含んだままの姿だと考えられるのです。
また、「知らない人への態度」はその人が持つ「安心感の度合い」や「余裕の有無」を映し出す鏡でもあります。心に余裕がある時は優しさを示せるし、追い詰められている時には苛立ちが出る。つまり、態度そのものよりも、その背景にある「状態」を見なければ、本性を理解することはできません。
結局のところ、人間の本性を知ろうとするなら、ひとつの行動だけでは不十分です。長い時間をかけ、その人がどんな状況でどんな選択をするのか、正と負、強さと弱さをすべて見ていく必要があります。
そして、その本性を持って良い悪いとジャッジするのではなく、「この人はこんな時、こういう風になる人なのだ」と、良い時も悪い時も同じ態度で受け止められるといいと思うのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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