真実は尽きることがない|影と光を見抜く生き方

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人は「これが本当のことだ!」と思っても、あとで「まだわかってなかった」と気づくことがあります。プラトンの洞くつのたとえ話も、そのことを教えています。

本当のことはとても深くて、どこまでも続いているのです。だから失敗したり、わからなくなるのは当たり前。大切なのは、その気づきを素直に受け入れて、また学びつづけることです。不完全だからこそ、人間は成長できるのです。

今日は「真実は尽きることがない|影と光を見抜く生き方と題して、謙虚さの本当の意味について考えます。

 

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●真実は尽きることがない|影と光を見抜く生き方

 

○真実は尽きることがない|影と光を見抜く生き方

 

井の中の蛙、大海を知らず。

地球にうごめく人間、天界を知らずでしょうか。

高校時代に読んで体が震えたプラトンの洞窟の喩え、まさにあれは真実を言ったものだと直観した私の直観力が当っている気がしてしょうがないのですが。

 

妄想だと一蹴される人が、まだまだほとんどなのでしょうね。

悲しんでいいですか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14319848859

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。





「自分は真実を見抜いている」という思いも、また影であるということを忘れないようにしています。それなのに、数年に一度思い知らされる出来事が起こり、「わかってないじゃないか!」とその度に思っています。

 

人は何かを理解したと思った瞬間、安心感と優越感を得ます。特に哲学や宗教、人生の意味といった大きな問いに触れるとき、「自分は真実をつかんだ」と感じる瞬間が訪れます。しかし、その感覚こそがまた一つの「影」である可能性を常に意識しておくことが大切です。

 

プラトンの洞窟の比喩では、人間は壁に映る影を現実だと思い込んでいると説かれます。もし洞窟の外へ出て光を見ても、それを「真実だ」と信じた瞬間に、また別の影に囚われるのかもしれません。つまり、真実に近づいたと思うその確信さえ、次なる成長のステップから見れば未熟であったと気づくのです。

 

人生を重ねる中で、何度も「自分はまだわかっていなかった」と打ち砕かれる経験をします。それは痛みを伴うものであり、同時に深い学びでもあります。なぜなら、その気づきがあるからこそ人は傲慢にならず、より謙虚に探求を続けられるからです。

 

「影であることを忘れない」という態度は、悲観ではなく希望につながります。真実に到達したと思っても、まだまだその先がある。その気づきこそが、人間を成長させ、思考を深め、人生をより豊かにしていくのです。

◯「わかってなかった」は希望

 

数年に一度「わかってないじゃないか!」と思う度に思うことは、真実だと思っているものは影で、その影を見抜いて真実にたどり着いたと思ったら、それもまた影だということ。これは「宇宙の果て」と同じなのです。

 

宇宙の果てにたどり着いたと思ったら、そこはもう“果て”ではなくなってしまう。果ては常に「まだ見ぬ未知」として再び現れ、探求心をかき立てます。真実も同じです。「これが答えだ」と確信した瞬間、その確信は新たな問いを呼び起こし、さらに深い理解を求めることになります。

 

数学や哲学の世界では「無限に続く中心」という概念があります。円の中心は「ここだ」と定めても、その座標をさらに細かく分けていけば、新たな中心が次々と現れます。同じように、真実も「ここにある」と思った瞬間、その奥にはさらなる真実が潜んでいるのです。

 

これは人間にとって限界ではなく、むしろ希望です。真実に尽きることがないからこそ、探求は続きます。もし「完全な真実」に一度で到達できるのなら、人間の成長も学びも止まってしまうでしょう。

 

「わかってないじゃないか!」という失望は、同時に「まだ学べる」という可能性の証でもあります。洞窟の比喩が示すのは、囚われから抜け出す勇気と同時に、外の世界の無限さを受け入れる謙虚さです。私たちは影を超えるたびに成長しますが、その影は尽きることなく現れ続けます。その繰り返しの中にこそ、人間の尊さと探求の意味があるのだと思うのです。

◯不完全な人間が不完全なまま生きること

 

大事なことは、「わかってないじゃないか!」と思ったことを、できるだけ素直に、ありのままに受け止めることです。言い訳したり、正当化して、自分の罪を軽くしようとしないことです。

 

人間は不完全な存在です。だからこそ、間違えもすれば、失敗も繰り返します。その不完全さを恥じて隠すのではなく、「これが人間だ」と受け入れることが、本当の強さではないでしょうか。

 

社会の中では「間違いを認めないこと」が美徳のように扱われる場面もあります。しかし、正直に「わかっていなかった」と言える人こそ、真実に近づく一歩を踏み出せる人です。プラトンの洞窟から一歩外へ出るには、まず「自分は影しか見ていなかった」と認める必要があります。それは弱さではなく、むしろ勇気の証なのです。

 

また、不完全さを受け入れると、人は自然体で生きられるようになります。無理にカッコつけたり、賢く見せようとしなくてもいい。自分の影を直視しながら、その都度「まだ学べる」と前を向く。そうした姿勢が、結果として他者の共感や信頼を呼びます。

 

「わかってないじゃないか!」を繰り返すことは、失敗の積み重ねではなく、生きる営みそのものです。不完全な人間が不完全なまま生きること。その過程にこそ、人生の価値と美しさが宿るのだと信じています。だからこそ、悲しむ必要はありません。むしろ、その気づきの一つひとつを誇りに思っていいのです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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