心は宇宙より広い?|言葉を超えた人間存在

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「心は宇宙より広い」という表現は比喩ではなく、人間存在の本質を映し出す哲学的な問いです。言

葉に縛られることで心は狭くも広くもなり、宇宙と同じく果てのない可能性を秘めています。

そして最終的には「心とは自己を超え、世界に開かれた存在そのもの」であると気づくことができます。

今日は「心は宇宙より広い?|言葉を超えた人間存在と題して、心は宇宙より広い?について考えます。

 

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●心は宇宙より広い?|言葉を超えた人間存在

 

○心は宇宙より広い?|言葉を超えた人間存在

 

むかし道徳の教科書というのがありました。

その中にこんなことが書かれていました。

海は広い。空はもっと広い。宇宙はさらにもっと広い。しかし人間の心はさらにさらに広いというような言葉。

あなたはご自身の心がそのように広いものだという実感がありますか。

観念上の哲学用語に縛られたりしているうちは、その心の広さを実感できないのではありませんか。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10319736210

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

言葉に縛られてはいけないなと思います。

 

言葉はコミュニケーションツールとして欠かせないものですが、「自分」にとっては感覚に制限をかけてしまうものだとも言えます。本来、宇宙よりも広い心を細切れに(言葉単位に)区分し、言葉になっていない思いを亡き者にしてしまいます。言葉に縛られないということを念頭に置いておくことで、ギリギリですが広さを享受することができるかもしれません。

 

人間は考える存在です。そして「考える」とは多くの場合「言葉で思考する」ことを意味します。私たちは日常的に、頭の中で言葉を連ね、論理を組み立て、自己理解や他者理解を進めています。ところがこの便利さは同時に、私たちの心を狭める側面も持っています。

たとえば「嬉しい」「悲しい」という単語に収められない感情が、確かに胸の奥にあるのに、言葉がないために存在しないものと扱ってしまうことがあります。これは言葉が「心の翻訳機」であると同時に「検閲官」にもなっている証拠でしょう。

 

もし言葉を絶対視せず、感覚や直観をそのまま味わう習慣を持てたなら、心はより広がりを持ちます。自然に触れて「ただ美しい」と感じるとき、そこには説明も定義も不要です。涙があふれる瞬間、理由は求めなくてもよいのです。言葉に頼らず感覚に身を委ねる時間が、人の心の「宇宙的な広さ」を実感させてくれるのではないでしょうか。

◯心の果て

 

心が宇宙よりも広いかどうか?は、実際に比較することはできません。

 

しかし、こうは考えられないでしょうか。私たち、一人ひとりの心も宇宙の一部であり、心も宇宙と同じく無限であると。

宇宙の果てにたどり着いたら、そこはもう「宇宙の果て」ではなくなります。果てはまだ見ぬ未知の宇宙に存在します。心もまた同じで、「私」が知っている心は果てにあらずです。

 

宇宙について科学は膨大な知識を積み重ねていますが、未だに「果て」があるのかどうかすら確定できていません。

心についても同じで、心理学や脳科学が多くを解き明かしたとはいえ、まだ触れられていない領域が無限に残されています。つまり「心が宇宙より広いかどうか」という問いは、単なる比喩以上の意味を持ちます。

私たち自身が「まだ知らない広がりを抱えている」という事実は、心も宇宙も同じなのです。

 

人の心には驚くほど多様な可能性があります。愛や喜びの力はもちろん、創造力や直観、さらには逆境に立ち向かう強さまでも内包しています。

そして、それらは一度「限界だ」と思った瞬間を越えて、新しい広がりを見せます。

宇宙探査が果てを押し広げるように、私たちの経験もまた、心の地平線を更新し続けているのです。だからこそ「心は宇宙より広い」という言葉は、決して誇張ではなく、人間存在そのものを表す象徴といえるでしょう。

◯日常の中で心の広さに触れる体験をする

 

心が本当に広いかどうかは、観念だけでは実感できません。大切なのは「日常の中でその広さに触れる体験」を持つことです。

たとえば、他人を理解しようと努める瞬間、怒りや憎しみを手放す瞬間、あるいは自然や芸術に深く感動する瞬間――そのすべてが「自分の心が宇宙のように広い」という実感を呼び覚まします。

 

心が狭く感じられるとき、人はしばしば「自分の思考や立場に縛られている」状態にあります。固定観念や先入観が心の可能性を狭め、無限の広がりを小さな箱に押し込めてしまうのです。逆に、相手の立場に立ち、異なる意見を受け入れることができると、心の窓が開かれます。そうした柔らかさこそが、心の広さの実感をもたらすのです。

 

また、心を広げる実践として「手放す」ことも重要です。過去の後悔、未来への不安、自己への過度な執着――これらを少しずつ緩めていくことで、心は自然と広さを取り戻します。あれこれ抱え込むより、流れに委ねる方が、心は軽く、伸びやかに広がるのです。

 

最終的に「心は宇宙より広い」と実感できるかどうかは、観念上の比較ではなく、自分自身の体験にかかっています。誰かに証明してもらうのではなく、自分が日常の中で「あ、心は無限だ」と感じること。その積み重ねが、教科書に書かれていた言葉を、自分自身の真実として受け止める道なのだと思います。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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