なんの能力もなくても幸せか|感謝は自然に湧く心
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感謝は義務ではなく、心の奥から自然に湧き上がる感情です。
仏教の「盲亀浮木」のたとえが示すように、人として生まれること自体が奇跡であり、有り難いこと。
能力の有無は感謝と無関係で、今ある環境や日常に気づいたとき、初めて本当の感謝が生まれます。
今日は「なんの能力もなくても幸せか|感謝は自然に湧く心」と題して、感謝について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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●なんの能力もなくても幸せか|感謝は自然に湧く心
○なんの能力もなくても幸せか|感謝は自然に湧く心
なんの能力が無くても、衣食住が揃っていれば完璧ですか?それに感謝をするべきですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11318730981)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
感謝とは、するべきものではなく、自分の中から自然に溢れ出てくるものです。心の奥底から湧き上がるからこそ、「ありがたい」という気持ちや「幸福感」が伴い、心が満たされるのです。逆に「感謝しなければならない」という義務感から生まれた感情は、真の感謝とは言えません。それは、どこかに不足感があり、それを埋めるために作られた「形だけの感謝」に過ぎないのかもしれません。
作られた感謝は、外からの評価や社会的な「良い人像」に合わせたもので、本心からの感情ではありません。そのため、そこには本物の幸福感は生まれず、むしろ自分の心が疲弊していきます。本当の感謝は、条件や比較を超えたところに存在します。ある日ふと感じる夕焼けの美しさや、体を動かせることの喜び、大切な人がそばにいる安心感。そういった瞬間に、理由もなく「ありがたい」と思える心が感謝です。
もし感謝の気持ちが自然に湧かないときは、自分を責める必要はありません。それは心がまだ回復の途中だったり、視点が「ないもの」へ向いているサインかもしれません。無理に感謝しようとせず、まずは自分の心を満たし、安らげる時間を持つことが大切です。そうしているうちに、気づけば「ありがたい」という感情が静かに芽生えてくるものです。
◯盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ
感謝とは、「今在るモノ」に対して自然に湧く「ありがたい」という思いです。
仏教には「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」という教えがあります。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。
その丸太ん棒は風のまにまに、 西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難(あなん)よ。
※阿難は釈迦十大弟子の一人
百年に一度、浮かび上がるこの亀が、 浮かび上がった拍子に、 丸太ん棒の穴に ひょいと頭を入れることがあると思うか」 聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません」 と答えると、「絶対にないと言い切れるか」。お釈迦さまが念を押される。
「何億年かける何億年、 何兆年かける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」と阿難が答えると、
「ところが阿難よ、 私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、 難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」 と教えられています。
この話は、人として生まれること自体がどれほど奇跡的で「有り難い」ことかを示しています。「有り難い」という言葉は「有ることが難しい」と書きます。つまり、今自分の目の前にある日常は、決して当たり前ではなく、極めて貴重なものだということです。
しかし、人は慣れによって、その貴重さを忘れがちです。食べられること、眠れる場所があること、話を聞いてくれる人がいること。これらは一度失わない限り、その価値に気づきにくいものです。だからこそ、本当の感謝は「与えられているもの」に気づいた瞬間に生まれます。そしてその感謝は、無理やり作らなくても、心の奥から自然に溢れ出すものです。
◯無いことが在る
感謝は、今在るモノへの「ありがたい」という思いです。そう考えると、能力があるかないかは感謝とは直接関係がありません。
私たちはしばしば「何かを持っていない自分」に目を向けがちですが、「無い」というのは「無いことが在る」という状態です。たとえば、競争の世界で勝ち抜く力が無いことは、激しい争いから距離を置けるという面も持ちます。欠けていると思っていたことが、実は心を守る役割を果たしている場合もあります。
また、衣食住が整っているということは、それだけで多くの人が願っても叶わない条件をすでに満たしているということです。そこに特別な能力が加わらなくても、安心して生きられる環境は十分に「ありがたい」ことです。ただし、そのありがたさは他人に「感謝しなさい」と言われて生まれるものではありません。それは、自分が心の奥で本当に「幸せだ」と感じたときに初めて芽生える感情です。
だからこそ、能力の有無に一喜一憂するのではなく、自分の目の前にすでに在るものに気づくことが大切です。その気づきが、本当の意味での感謝を呼び込み、穏やかな幸福感へとつながっていきます。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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