食べるために生きる?|生きる喜びと食の関係性

アドセンスに記述ミスがあります。一部のアドセンスは正しく表示されません。

「食べるために生きる」ことは楽しいことですが、それだけに頼ると辛くなることもあります。

「生きるために食べる」と考えると、食べることがもっと大切に思えて、いろんな生きる意味が見つけられるようになります。

今日は「食べるために生きる?|生きる喜びと食の関係性と題して、食べるために生きる?について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

●おすすめYouTube

くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!

今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。

●小野田紀美「愛国を歌ってなぜ悪い?」

 

●食べるために生きる?|生きる喜びと食の関係性

 

○食べるために生きる?|生きる喜びと食の関係性

 

生きるために食べる。

食べるために生きてる。

皆さんはどっちですか。

私はどっちかって言うと食べるために生きてるっていう感じになってるかもしれないです。

逆にしたいです。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314843923

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

生きるために食べる」より「食べるために生きる」方が幸せな印象があります。

人生を楽しんでいるように感じます。

本能的には、食べるのは「生きるため」なのでしょう。

どんなことでも、本当のところを言えば「生きるため」なのかもしれませんが、「生きるため」がすべての目的になってしまうと人生を楽しめないかもしれません。

「生きるため」に食べているという人は、食以外(食以上に)に生きるための楽しみを持っているということだと思います。

ちなみに、僕は食べることは大好きですが、「食べるために生きている」とまでは思っていません。それは、食べる以外にも生きるために大切にしていることが自分の中にあるということだと回答しながら思いました。

では、「食べるために生きる」という状態が悪いのかといえば、決してそうではありません。むしろ、食に喜びを見出し、そこに自分の人生の楽しみやモチベーションを感じられる人は、とても豊かな心を持っているといえるでしょう。

美味しいものを食べること、美しい料理に出会うこと、その背景にある文化や物語を感じること。それらを深く味わえることは、人間に与えられた特権のひとつです。

ただし、問題は「それしかない」と感じてしまうことです。つまり、「食べること」だけが人生の軸になってしまうと、食べられない時や、食に楽しさを感じられなくなった時に、人生の目的を失ってしまうことがあります。

逆に、「生きるために食べる」という視点には、もっと長期的な視野や多角的な価値観が含まれています。「健康でいたい」「やりたいことを成し遂げたい」「誰かと一緒に未来を築きたい」。そういう目標のために、自分を大切にし、体を支えるための「食」を選ぶ。これは、自分自身の生を肯定し、前向きに生きていく態度そのものです。

大切なのは、「生きるために食べる」と「食べるために生きる」を対立させるのではなく、バランスよく取り入れることです。「食べることが好き」である自分を否定するのではなく、その喜びを軸にしながらも、他の楽しみや意味を探していくことで、より豊かな生き方ができるのではないでしょうか。

◯よりよく生きたい

 

生きる目的は「生きるため」。生きる意味も「生きること」にあると思います。

裏を返すと、生きることで、生きる”意味”や”目的”も生まれるということです。

生きていくこと、人生を全うすることが大事なのは言うまでもありませんが、そのためには「生きていく楽しみ」を見出さなければなりません。

生きるだけなら、「自分」という意識のようなものがなくても生きていけるかもしれません。

しかし、「自分」というものが生きていくからこそ、そこに楽しみを見出さなければ生きていくことが苦痛になってしまいます。

ここで大事なのは、「生きることが目的である」と聞いたときに、「じゃあ何をしてもいいのか?」と投げやりになるのではなく、「だからこそどう生きるかを自分で選べる」ということに気づくことです。

たとえば、誰かと食事をする喜び、朝日を見る穏やかな時間、自分の成長を感じる瞬間。そうした日々の中にある些細な幸せが、「生きている意味」そのものなのかもしれません。

つまり、意味はあらかじめ用意されているものではなく、自分が生きていく中で「見つけるもの」や「感じるもの」なのです。

たとえば「食べるために生きてる」と感じていたとしても、それがきっかけとなって、「じゃあもっと美味しく健康的に食べるためには?」と考えることで、自分の生活習慣を見直すようになったり、「誰かと一緒に食べるってやっぱり楽しい」と思えるようになったりします。

「生きる目的を逆にしたい」と思った時点で、もうすでにあなたの中には「よりよく生きたい」という意志が芽生えています。

それはとても尊いことですし、人生をより意味深いものにしていくスタート地点です。だから焦らなくていい。「食べるために生きてる」と思っていた時間も、無駄ではなかったのです。それも立派な“生きている証”です。

今ここにいるあなたが、「もっと違う自分でいたい」と思った瞬間に、もう次の人生が始まっています。それが「生きる目的」や「意味」という言葉の本当の意味かもしれません。

◯「食べるために生きる」から「生きるために食べる」へ

 

この変化は、単に言葉を入れ替えるだけではありません。

「生きるために食べる」という意識になるには、自分の中の「生きる理由」「目標」「信念」などを少しずつ見つけていく必要があります。

無理に大きな志を持とうとする必要はありません。大切なのは「少し先の未来に、自分がしていたいこと」「大切にしたいこと」を想像してみることです。

たとえば、「3ヶ月後に友人と旅行へ行きたい」「半年後にマラソンに挑戦したい」「1年後には好きな服を着こなしたい」など、小さな目標でも十分です。

こうした未来への願いや計画があると、「そのために健康でいたい」「体を大切にしたい」と自然に思うようになります。

そうすると、食事も「生きるため」に整っていくのです。

また、「生きるために食べる」ようになるには、自分自身と向き合う時間も必要です。

忙しい毎日の中で、つい目の前の欲求だけで食事を選びがちですが、少しだけ「今の自分にとってこれは必要なものか」と考えてみる。そういった積み重ねが、あなたの意識を少しずつ変えていきます。

逆に言えば、「食べること」が悪いのではなく、それに人生を依存しすぎてしまうと、苦しくなるということです。

食は本来、人生を彩る大切な要素のひとつです。けれど、それだけが「生きがい」になってしまうと、他の楽しみや可能性に目を向ける余白がなくなってしまいます。

「生きるために食べる」という意識にシフトすると、食のありがたみも変わってきます。

「体にやさしいものを食べる」「ゆっくり味わう」「誰かと笑って食べる」。それらすべてが、生きる質を高めてくれます。

「食べるために生きる」から「生きるために食べる」へ。

その変化は、人生を少しずつ、でも確実に明るい方向へ導いてくれるはずです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。

ぜひ、お読みください。m(_ _)m

 

ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。

「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!